補論

第3極とは何か・明治~大正時代の「第3極」

ここでは「政党史」の補足として、第2次大戦前の日本の第3極について考える。そのために、「第3極」とはそもそも何なのかということについても、考えてみる。

① 第3極の定義と役割
第3極を分析するためには当然、何をもって第3極とするのか、定義を明確にする必要がある。それは意外に難しいことであると気が付く。第3党が必ず第3極であるというわけではない。その政党が第1党、あるいは第2党と恒常的に連携していれば、それは第1極、または第2極の … 続きを読む
② 明治、大正期の第3極①~立憲政友会結成以前~
明治、大正期には、その後と同様、中、小規模の、有名だとはいえない政党、院内会派が多く登場する。そこで論を進める前に、明治、大正期の第3極の大まかな歩みを確認しておきたい。ここでは分析はせず、再編の過程、各勢力の立場を、あくまでも確認するに留める。 … 続きを読む
③ 明治、大正期の第3極②~立憲政友会結成以後~
第4次伊藤内閣の増税に賛成した憲政本党から反対者が離脱して、三四倶楽部を結成した。さらに模索された憲政本党と三四倶楽部の再統一に動いていた新潟系が三四倶楽部を離脱し、新潟進歩党を結成した。旧日吉倶楽部系と旧議員同志倶楽部系の立憲政友会不参加者は … 続きを読む
④ 第3極に関する傾向
日本では戦前にも、戦後にも、2大政党制に近付いていこうとする傾向が見られる。しかし1党優位の傾向、多党化の傾向が加わり、2大政党が議席数で他の政党、会派を引き離すことは多くあっても、2大政党制がしっかりと定着するには至っていない。明治、大正期、 … 続きを読む
⑤ 非政党地帯
まず表補-Cを見てほしい。
表補-C:第7回総選挙前までの選挙区ごとの当選者の所属 … 続きを読む
⑥ 他国との比較
  明治、大正期の日本における無所属の当選者、無所属議員の多さを見た。当時の日本の、薩長閥から政権を奪おうとしていた2つの民党以外、つまり自由党の本流でも立憲改進党の本流でもない第3極については、改めて⑦、⑧で見るのだが、下記の勢力が存在した。…続きを読む
⑦ 第3極の分類の型と第6回総選挙前までの党派の分類
第3極を担った勢力は数が多く、複雑な再編を経ている。しかしそれらは間違いなく、いくつかの型に分類することができる。分析するためにも、分類することによって、諸勢力の性質を多少なりとも示したい。 … 続きを読む
⑧ 第6回総選挙後~第15総選挙以前までの諸勢力の分類
第6回総選挙から、大正期最後の総選挙となった第15回総選挙の前までについても、同様に分類した。表補-Eである。 第6回総選挙後から第15回総選挙前までの、第3極に該当する政党、会派 … 続きを読む
⑨ 第3極のそれぞれの型の役割
第3極の役割についてはすでに定義したが、5類型が全てそれを担うべきものであったわけではないし、役割の全てを担うものであったわけでもない。役割を担わなかった政党、会派を分析する対象から外そうというわけではないが、確認しておきたい。 … 続きを読む

 

 

⑩ 吏党の不振がもたらしたもの
第2回総選挙後の第3極は、自らの2つの使命のどちらを果たそうとするかによって分裂した。このような宿命が当時の第3極にあった一方、第三極に落ちるという宿命を持つ勢力もあった。ここでは、そのような宿命を持った吏党の系譜について考える。 … 続きを読む
⑪ 「2大民党制」の特徴
2大民党制の特徴を、筆者は次の①から③であると考えている。①策的な差異が明確ではなく、双方が、党の基本的な政治理念に関わる、急ともいえる変化を見せることがあった。自由党と立憲改進党の結成当初の主張は、有司専制反対と民権伸長、不平等条約 … 続きを読む
⑫ 薩長閥政府支持派に共通する傾向
吏党系、衆議院の他の薩長閥政府支持派の状況を見ていくと、それらのほぼ全てに、同様の現象を確認することができる。ここで整理しておきたい。薩長閥政府支持派を、以下の4つとする(上の2つがここで、吏党系としているものである)。 … 続きを読む

 

 

⑬ 既成政党の分裂がもたらしたもの
政界縦断に重要な役割を果たしたといえる自由倶楽部と独立倶楽部であるが、双方には大きな差異がある。前者は自由党系の離党者、後者は無所属の当選者が中心となった会派だという点である。… 続きを読む
⑭ 自由党系の分裂
自由党系の分裂は、大正期(≒桂園時代の終焉)までは、3つの時期に集中しているといえる。なお、自由党系は3つの時期における分裂による議席の減少を、分裂が終わってから2回目の総選挙を待たずに、約半数から大部分、回復している。 … 続きを読む
⑮改進党系の分裂
⑭自由党系の分裂で見た期間における改進党系についても見ておきたい。薩長閥への接近について、自由党系に遅れをとることが多かった改進党系には、当初、分裂はあまり見られなかった。進歩党の解散まで、衆議院議員の集団離党は、第2次松方内閣期以外には確認できない。… 続きを読む
⑯民党間の「連結器」が果たした役割
薩長閥政府への接近に反発して自由党の系譜を脱した議員達が果たした、民党間の「連結器」としての役割について考えてみたい。
まずは、彼らが連携相手と合流して結成した党派について確認する。… 続きを読む
⑰第3極の諸類型の誕生と4極構造の出現
4極構造はあったのか、あったとすれば、その起点はどこであったのだろうか。これまで見てきたことを踏まえて、第3極の諸類型の誕生を確認することで、答えを導き出したい。
薩長閥と民党の対立は、衆議院では吏党と民党の対立であった。… 続きを読む

 

 

⑱薩長閥の不統一と吏党の分裂
薩長閥に重要視されなかったこと、薩長閥の不統一によって吏党の系譜は度々不振に陥り、また不振を脱することができなかった。吏党系の度重なる分裂を整理しつつ、議席数の変動という面から確認していきたい。
衆議院の政党、会派の力の源泉は議席数である。… 続きを読む
⑲実業派の誕生
第2回総選挙後、吏党系の分裂によって誕生した実業団体は、()付きで中立実業派に分類している。吏党系の分派という面を持っており、吏党系と何が変わったのかが定かでない以上、中立と断言して良いのか、難しいところである。しかしどうであれ実業団体は、初めての「実業」の名を冠した会派であり、実際に実業家が中心となった初めての会派であった。そして中立実業派に分類した、第3回総選挙後の中立倶楽部ともつながりがある。… 続きを読む
⑳増えていった会派
1890年代、薩長閥内において政権の中枢を担う勢力が交代する度に、あるいは交代する流れとなる度に、吏党の系譜は分裂を繰り返し、中立実業派は再編された。ただし第3次伊藤内閣成立後について見れば、国民協会の分裂はなかった。中立実業派の山下倶楽部も、第3次伊藤内閣の成立そのものというよりも、その当時の状況全体の影響を受けて成立したものであったといえる。… 続きを読む
㉑2つの対立軸による細分化
内閣の交代、政界縦断への漸進に関係する中立派の再編は、進歩党の結成をめぐる再編が起こる前からあった。第4回総選挙後の実業家中心の会派の再編が、具体的な政策課題を要因として行われたことを示す史料は見当たらない。その経緯を見ると、再編は新旧の内閣の中心を担っていた勢力との、それまでの距離、あるいは望む距離によるものであった。… 続きを読む
㉒薩長閥政府の多数派形成の行き詰まり
吏党系の分解と、それによって生じた勢力や吏党系の系列化は、その原因である薩長閥政府自体にも、大きな影響を与えた。衆議院における多数派形成の行き詰まりである。薩長閥は、自らの首を絞めていたのである。
第1次松方内閣期まで、衆議院の勢力分野は、薩長閥政府寄りの会派と自由党系を合わせれば過半数を上回るものであった。… 続きを読む
㉓第3極に働いた遠心力と求心力
第3極が上下左右に引き裂かれる状況(図補-I参照)は、薩長閥と民党の対立が復活しただけで、すぐに変わるものではなかった。第3極は、右から国民協会、山下倶楽部、同志倶楽部と、3つに整理されたものの、一時55議席(定数300の約18.3%)を誇った中立的な山下倶楽部は、伊藤新党への参加を決断できず、民党入り(2大民党等の合流による憲政党の結成に参加)する議員達と、完全な中立、あるいは中立という枠の中で、他の勢力に寄っていた状況に留まろうとする議員達に分かれた。… 続きを読む
㉔2つの政界再編構想による中立壊滅、第3極縮小

実業家層には本来、その全てにとは言わないまでも、自らの利害を代表する政党が必要であった。議会制を採っていた他の国々を見れば、そのまま商工業党、農業党ではなくても、商工業を主な支持基盤とする政党と、農業を主な支持基盤とする政党が、分かれている、あるいは分かれているような段階を経ていることが多かった。ドイツ帝国のように、商工業の中でも、大規模なものを支持基盤とする政党と、小規模なものを支持基盤とする政党が、分立している例もあった。…続きを読む

 

 

㉕第7回総選挙以後の選挙区ごとの当選者の所属について(仮)
表補-H:第7~10回総選挙の選挙区ごとの当選者の所属
・市部と郡部を合わせたもの、それと重複するが市部のみのもの、郡部のみのもの、という順でまとめた。
・中立会派のみを黄色くした。
… 続きを読む