1-22小池新党圧勝に日本の未来はあったのか1.政権交代論

新進党再興の場合

小池新党を中心とした再編が起こる可能性が高まった時、これを新進党の復活とする見方がされた。民主党は社会党の流れに自民党出身者や旧民社党系が加わったものだが、新進党は小沢一郎らの新生党、公明党、民社党、細川護熙の日本新党、他の自民党離党者が合流したものであった。

自由党と改称した生活の党を率いる小沢一郎は、小池新党の結成をチャンスと捉え、連携、合流を目指したし、公明党は都政において小池都知事に協力していた。民社党の流れは民主党に合流していたが、その後継の民進党は、小池側にとって、都議会でそうしたように、切り崩す対象であった。これらが合わさり、もし、さらに自民党の離党者などが加わっていれば、確かに新進党の復活であった。日本維新の会が合流しても、まあ、そのように見えただろう。

自民党、「新・新進党」の2大政党中心の政党制の是非については改めて述べる。ここでは、はたしてそのようなものが誕生し得たのかということを、考えてみたい。

新進党の時との差異は山ほどあるのだが、参加する勢力について見ると、公明党が、国政においても、自民党よりも小池を取るということは、小池が政権を取る可能性がよほど高くならない限り、あり得なかっただろう。これまでも自民党と合流せず、独自の政党として、いや創価学会独自の政治における拠点として、独自性をできるだけ守ろうとし、より有利な相手が現れた場合に組む相手を替えられる存在であり続けようとした公明党は、あえて小池と合流せず、協力体制の一角にあり続けようとするだろう。小沢の自由党は新生党よりはるかに小さいし、はるかに左に位置する。小池とは合わないし、合わせれば変節だと批判され、長年協力関係の構築に努力してきた共産、社民両党との関係が悪化する。自民党を離党する議員も簡単には現れないし(新進党結成の際は、すでに大量の自民党離党者がいた。彼らの不振、さらにその後の自民党離党者の不振が先例となっている現在、自民党を離党する議員は現れにくい)、結局、民進党離党者を取り込むことから始めなければならない。そこから始めた場合、他の参加者を得ることは、ますます難しくなる。

結論を言えば、面白い話ではあっても、有意義でないどころか、非現実的な話であった。むしろ、東京、名古屋(河村市長・減税日本か大村知事か、または両方)、大阪の、大都市連合新党の方が可能性は高いし、無駄に繰り返されてきた、政党、会派の通常の離合集散を超える、意義もある。この構想については「三都物語」として実現に多少なりとも進むかに見えたが、あっという間に崩壊した。これについては改めて述べることにして、話を戻す。

小池中心の大政党が誕生するには、小池百合子が、日本新党の人気政治家細川護熙と、新生党の陰の実力者小沢一郎の役割を共に担うしかなかったと言える。自らの言いなりになるブレーンは持ち得ても、誰かに担がれたり、自らが裏方になったりということは、これまでの小池の歩みを見てきても、ありそうにないからだ。しかし、さわやかさを求められることの多いトップ(細川)と、強引さも必要で、清廉な印象ばかり与えて居られない真の実力者(小沢)の2役を1人でやることは矛盾であり、つまりはどちらかがないがしろになってしまう。もちろん、このような2重構造には問題があるが、新党ブームを起こし、維持しつつ、他党(の一部)との連携、政界再編などを実現するには、2つの役割は必要なのである。つまりは、新党ブーム自体に問題があるということだ。

あついでにいえば、新進党が結成されるまでに、日本新党からはむしろ、離党者、新進党不参加者が続出した。不振に陥った新進党が、自民党に切り崩されていったことも忘れてはいけない。