1-25結局協力するならケンカをするな1.政権交代論

細川内閣期などの不毛な対立

自民党を、結成38年で初めて野党に転落させた細川内閣の成立は、日本においては画期的なできごとであった。しかし、この非自民・非共産連立政権は、小沢一郎新生党代表幹事と、武村正義新党さきがけ代表・日本社会党左派との対立によってつぶれた。新生党と社会党左派との間には、大きすぎる差異があった。小沢と武村の主導権争いも激しかった。

その主導権争いの影響もあり、細川総理が消費税を福祉目的税として、7%に引き上げることを発表し、与党内の反発を受けて取り消すという出来事、政治改革関連法案が、与党第1党の社会党から大量の造反者が出たことで、参議院で否決されるという出来事が起こった。

後者は、結局細川総理と、なお第1党であった野党自民党の河野洋平総裁との合意によって、修正の上で成立した。これにより、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制への変更を阻止しようとした、社会党の少なくない議員達の狙いは、失敗に終わった。それどころか、同党にとって、より不利な制度になった。小政党にチャンスのある比例区が50減らされた上に、全国が1つの選挙区であったのが、小党に不利な11ブロック(11選挙区)に分けられ、大政党に有利な小選挙区が、50増えたからだ。社会党は小党ではなかったが、体力がなく、大政党に有利な選挙制度は、自民党か、せいぜい新たに結成されるかも知れない大政党(細川連立与党の一部~多くが合流してできる新党)に有利なものであった(当時の社会風土を考えると、よほどの失政が無い限り、双方のうち与党である方が有利であったと考えられる。ただし社会党には、左派色が無いような新党には参加したくないという議員もいたし、保守政党と合流することで、支持を失う議員もいたと考えられる)。

そして、非自民・非共産連立政権崩壊の日が訪れた。

連立各党が協力し、細川の後継総理に羽田孜新生党党首を指名した直後、新生党、民社党、日本新党などが統一会派として、改新を結成した。これは民社党の大内委員長が考案し、村山社会党委員長に提案したとされている。しかし村山は、そのような認識はなかったとしている(例えば『そうじゃのう…』49頁において、「改新」という会派がつくられることになって、そこに行かざるを得ないと言う大内に対して、「がんばってやりなさいよ」と激励しただけで、自身が会派の結成に合意したと言い伝えられたとしている。真相は分からないが、日本新党はすでに社民連の2名と改革という衆院会派を結成しており、新党などの議席が少なかった参議院でも、新生党、民主改革連合と会派を結成していた。そのような会派が少し拡大するという程度で、社会党を上回る規模になるという危機意識を、―よく考えれば分かるとしても―その結成まで持っていなかったということは考えられる。また、社会党を結果として上回る議席数になるとしても、社会党外し、小沢の主導という面がなければ、あそこまで反発することはなかったのかも知れない―裏で自社連立への動きがあったとしても―)。統一会派を結成し、社会党を与党第1会派(自民党に次ぐ第2会派)から与党第2会派(全体では第3会派)に落とし、影響力を弱めようとする小沢らの策が、自らに了解を得ることもなく進められたものだと捉え、社会党左派は腹を立てた(左派は元々小沢よりは自民党と近く、この件で、自民党に寄ることに、右派などが文句を言いにくくなった)。こうしてさきがけに続いて、社会党も連立を脱し、羽田内閣は約2ヶ月の短命に終わり、村山自社さ連立内閣が成立したのである。民社党では、大内委員長が武村と社会党左派に近かったが、米沢書記長らは小沢らに近かった。そのような状況下、党内で浮いた大内が、小沢らの側に利用されたのが、この統一会派構想だと見られている。

ところが、である。その後、日本社会党と新党さきがけの流れを汲む民主党に、民社党の後継の新党友愛、小沢の自由党が合流したのだ。社会民主党(日本社会党が改称)残部も、民主党と協力関係を築いた。そして政権を「奪還した」とも言えるのだが、その道のりは遠かった。羽田内閣の与党で民主党に参加した勢力は、1994年6月から、2009年9月まで野党(小沢ら一部は、1999年1月から2000年4月にかけて、自民党と連立を組んで与党となっていた)、細川内閣では与党であった民主党結成時のメンバーも、1996年10月から2009年9月まで野党であることを余儀なくされた。この間それらは、与党としての経験を全く積むことができず、自民党離党者の中のわずかな生き残りの議員達を除き、ただでさえほとんど与党経験がなかった上に、与党経験のない新人議員も増えていった。

実にもったいない損失であり、どうせまた集まるのなら、はじめからケンカをしなければ、非自民・非共産連立も長く続いていたのにと、本当に残念に思うのである。それはそれで問題を抱えていたとしても、また、時代の変化などがあったとしてもだ。

そして、やっと政権を獲得した民主党も、党内対立のために大きく分裂した。社会保障にあてるための消費税引き上げを決めた民主党から、これに反対の小沢らが離党したのである。細川内閣期と逆の現象であると言えるから、本当は一致できるはずだと思えてならない。民主党は野党に転落すると、小沢の生活の党→自由党とも協力関係を築いた。それならばなぜ、分裂したのかと聞きたくなる。もちろん、今度は野党間の協力だから、消費税に関する姿勢を試されないということもあるが、それに甘えるのは問題だ。

なお、小沢の自由党は、社会党左派の一部が残るだけの社会民主党と、参議院で統一会派を組んでいる。かつて最も激しく対立した相手だ。この社民党も風前の灯火なのだから、そのことを認めて、身の振り方を考えるべきだと強く思う。同党もまた、民主党と連立を組んで反発して離れ、また民主党→民進党と共闘しているのだ。