1-28政党を「コロコロ変える」には2種類ある?1.政権交代論

所属政党の発展と、与党へのすり寄りを同一視してはいけない

「所属政党をコロコロ変える」、「政界渡り鳥」と批判される議員がいる。その場合、これが当てはまっている場合と、そうでない場合がある。実際に、何人かの、大政党の党首選挙に出馬したことがあるような議員を挙げて、確認してみたい。

2017年、話題をさらった小池百合子をまずは見てみる。その変遷は、日本新党→新進党→自由党→保守党→自由民主党→希望の党である。まず新進党は、日本新党を含めたいくつかの政党が合流したものであるから、この合流を野合とするのでない限り、問題はない。むしろ前進だといえる。新進党を結成した新生党、公明党→公明新党、日本新党、民社党は、細川、羽田両内閣期に与党、村山内閣期に野党として協力していた。この協力関係は、1993年の自民党分裂の前の、自公民3党の協力体制の延長線上あり、この間に、それが広く認識された上で戦われた総選挙があったことからも、新進党の結成を、野合だとは言えない。

ただし、新進党の結成に参加した改革の会、自由党、新党みらいの議員達は、基本的には野党となってからの自民党を離党し、非自民連立政権の陣営に移ったのであるから、それらについては、突然争点が浮上したわけでもないし、結成自体が問題を含んでいるといえる。「基本的に」としたのは、高市早苗は自由党結成までは無所属議員であり、新党みらいは、非自民連立政権に閣外協力をするにとどまったため、少し性格が異なるからだ。

野党から与党に移ったというだけで全て軽蔑すべき事例であるとまでは言えない。しかし改革の会の4名中3名、自由党の全員(高市含め7名)が自民党に戻っている。新党みらいは5名中2名と、やはりやや少ない。

話を小池に戻す。次に自由党への参加だ。新進党を独断で解散した小沢一郎の行動には、問題があったと言えるが(公明党系にも原因があったことについては、すでに述べたとおりである)、小池が小沢について行く決断をしたことは、おかしなことではない。新進党を解党の少し前に離党した、細川について行くことも、日本新党出身者としての1つの道であったと思うが、小沢の方針に賛同していたのなら、党に留まるのが自然である。自由党の自民党との連立については、小池が決定したことではない。

ここまで、小池が所属政党を変えたことに問題はない。次はどうだろうか。自由党を離党して保守党に参加したことは、「主張が容れられなければ連立を離脱する」という政党を離党して、連立与党に残るための行動であったから、与党自民党にすり寄ったという面がある。しかし、小沢自由党の政策が正しいものであったとしても、それを連立離脱という脅しによって、一方的に押し付けようとすることには、問題が無いわけではない。自民党が連立の正式な合意事項を明確に破ったと言える事態ではなかった(逃げられないほど明確に合意事項が記されていなかったという問題もあるが)。当時、自由党(小沢)の強硬な姿勢は、選挙協力や合流という、自由党の議員達の生き残りのため、あるいは自民党を内部でひっかき回し、分裂させるためだと、感じられた。前者は保身だが、後者については、王道ではないと分かっていながら、筆者には当時、少し期待したい気持ちもあった。そんなことでは、自民党にとってはたまったものではないし、与党第1党であるがために、自由党の改革のペースを早すぎると考えたのなら、全く理解できないことではない(自由党ほどうるさくない―自民党の利益を害する要求はしてこない―であろう公明党を、無事政権に迎え、自由党を切ったというように、筆者には見えたが)。従って、連立を継続させるという姿勢を採った保守党を評価することも、できなくはない。党の決定には、基本的には従うべきだが、それが民主的に決められたのかという問題もある(一定期間は多くのことを党首に任せるという考えもあるが、それでも、結成後数年は別として、民主的な党首選挙は必要だろう―自由党は結成から3年3ヶ月であった―)。

要するに、何を重視するかによって様々な見方ができるのである。小池が保守党を離れたのも、保守党が民主党の離党者と合流し、保守新党を結成した際のことである。その後の自民党入りも与党間の移動であり、軽い政治家だとは思うが、保守党の系譜が伸張することは考えにくかったし、そこまで責められるものでもない。

以上から、希望の党の結成を除けば、小池の行動に大きな問題があったということにはらない。希望の党の結成については、すでに評価した。与党議員の地位を捨てる動きだとは言っても、自らの地位向上のために、政局を仕掛けたという面が強すぎるように思われ、筆者は肯定的に見ることができない。自民党離党者に頼って、野党が事態を打開しようとすることについても、すでに述べた通り、問題だと考えている。それにしても、機会をとらえていつも人気のある政治家、政党、強い政治家、政党に寄るという動きに、結果としてはなっており、感心させられる。

一方、石破茂の動きは最悪だといえる。自民党→改革の会→新進党→自民党というものだ。数こそ少ないが、野党になった自民党を離党して、非自民連立側に、それが野党になると、与党に戻った自民党に、という移動なのである。信念を貫いた結果、野党を離れて与党に入るということが、2度続いたのだという見方もできないわけではないし、政治家はそれくらいしたたかでないといけないという意見もあるだろうが、筆者は政党政治をおかしくする動きだと考える。多くの政治家がそんなことをしたらどうなるか、考えてみれば分かることだ。

1996年頃には、このような議員が特に多く現れ、社会党の大転換と共に、国民の多くを失望させた。だが、このような動きをした議員の支持者の多くは、議員が与党であることを重視したようである。そうせざるを得ない、地方の事情を全否定するわけにもいかない。しかしどうであれ、政権交代が定着していないことが、与党、野党を半ば固定し、このような動きを生んだこともまた、確かである。自らと理念が近い政党に属した結果、それが与党になる時もあれば、野党になる時もあるというのが、普通である。所属政党の理念が明確に変わったというのでもなければ、簡単に離党するべきではない。理念が変わったとしても、それが良い意味で時代の変化に応じた、正しいものであり、かつライバル政党との一定の差異を維持できるものならば順応し、そうでないと思うなら、元に戻すことに、まずは全力を尽くさなければならない。

次に、民主党の代表を2度務めた、岡田克也を見る。自由民主党→新生党→新進党→国民の声→民政党→民主党→民進党→無所属の会(会派)というものだ。これが、所属政党を何度も変えているかのように報じられることがあるが、陣営を移ったと言えるのは1度だけである。小沢と共に与党の自民党を飛び出した時だ。国民の声の結成は、所属した新進党が意に反して解党されたことによる。旧社会党系の流れを汲む民主党に合流したことは、自らの主義を捨てたものだと批判することもできるが(合流に加わらなかった議員が民政党には何人かいた)、当時の民主党は新自由主義的な改革も唱えており、岡田らの政策と何から何まで異なるということはなかったし(安全保障で具体的な一致点を見出す努力が欠けていたことは、問題であったが)、新進党がなくなった後では、野党の新たなる結集が必要だという見方、それが実現すれば保守政党になるという見方はできた。

民進党の結成は、民主党と維新の党の合流によるものであったし、無所属の会の結成は、民進党が左右に割れるような分裂をしたことを受け、どちらにも参加しなかった議員達が集まっただけである。これらの例と、陣営を変えるような移動を一緒くたにするのはおかしい(もちろん、政党の離合集散の是非、質については、考える必要がある。改めて取り組みたい)。

次に小沢一郎である。自由民主党→新生党→新進党→自由党→民主党→国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→自由党という変遷だ。生活の党以降は単なる名称変更であるが、政党構成要件を満たすために迎え入れた一議員の氏名を、求めに応じて党名に入れたのは印象的だ。政党助成金を得るための最低ラインである所属国会議員5名を、かろうじてクリアする新党が、衆議院の総選挙、参議院の通常選挙がない場合は1月1日に存在していないと政党助成金を得ることができないために、特に12月に結成されることが多いということと同じく、現行制度の問題を浮き彫りにしたという点で、印象深い。ただし、山本太郎は野党4党と主張が近いから、その1つである自由党に入ること自体、自由党の系譜の変化を問題視しないのであれば、おかしなことではない。

小沢一郎の移動には注目すべき点がある。新生党、国民の生活が第一の結成は、与党から野党に転じる動きであった(新生党の結成は、希望のあるものでもあったが、万年野党になる危険もあった)。野党化志向があるように見える。自由党(一度目)、生活の党の結成も、より小さな政党を結成する動きであり、不利な方へ進んでいるように見えるのだ。自由党(一度目)、国民の生活が第一、生活の党の結成も、より小さな政党を結成する動きであり、自ら不利な方へ進んでいるように見える(合流する相手がいないとは言わないし、実際にいたのだが、離党する前にいた政党よりも大きくなることは、実際にそうであったように、不可能に近かったと言える)。小さくなるばかりではなく、今度こそ、安定的な結集を果たして欲しい。それが果たされた時こそ、小沢一郎は「壊し屋」ではなくなる。壊してきたこと自体にも、意味があったと評価されるだろう(そもそも、自民党という優位政党を2回も野党にしたことは、その後がうまくいかなかったからといって、偉業でなかったということにはならないと思うが)。

さて、野党から与党に移ることを問題視してきたが、与党間の移動、野党間の移動にも、問題のあるものがある。当選しやすいからといって、同じ陣営の、より大きな党に移るという動きを見ると、眉をひそめそうになってしまうものの、政党の整理という意味では仕方がない。与党第1党、野党第1党、特に後者に議員が集まらなければ、自民党・金魚のフン連合対弱すぎる野党第1党(無駄のある野党間の協力体制)という構図は、いつまでたっても変わらないからだ。問題は、より小さな政党への移動である。所属政党が自らとどうしても、全く相容れないものとなってしまったというのなら、まだ分かる。しかし当選しやすいからといって、人気のある新党に移るのは間違っている。実例としては、民主党から日本維新の会やみんなの党への移動、民進党から希望の党への移動が挙げられる。前者は与党から野党への移動であったが、民主党が野党に転落することは確実であったので(少なくとも政権の中心であり続けることは、絶対にないと言える状況であった)野党間の移動に近い。もちろん、これらの移動先は、新自由主義的な政党(そうでなければ、他党と差別化するためにも人気の出そうなことを言っているだけの、ポピュリズム政党)であり、それらの方がずっと自分に近いという議員がいたのなら、もっと早く民主党→民進党を離れるべきであったと、言わざるを得ない。

日本維新の会と、その後継の維新の党については、民主党の系譜にいては落選する議員を当選させる働きがあった。希望の党にもそのような面があったかもしれない。人気の新党に逃げて当選した議員にも、いつまでも不人気を脱することができなかった民主党→民進党にも、大いに問題があった。しかし移動しなければ落選、移動すれば当選という結果が、現実に出ていると考えられることも、問題である。比例代表制を付けてある選挙制度についても、実際に変えるかどうかは別として、点検が必要である。しかし有権者にも、責任の一端はある。さらに、人気を維持することができなかった新党から、離党者が(事実上)戻って来る例も多い。これでは民主党→民進党が、結果としては、所属議員を一時的に新党に隠したのと変わらない。こんな茶番は、もちろん恥ずかしいことなのだが、政治家だけが悪いわけでも、有権者だけが悪いわけでもない。このような形で野党第1党が生きのびることと共に、皆で反省し、これからどうすべきか考えなければならない。

上で見た所属政党の変遷は、政治家の人となりを知るために、参考になることは確かだ。ずっと自民党に属している議員についても、野党に転落していた時に、動揺して離党することがなかったと評価すべきか、優位政党にずっと属していたのであって、その程度のことで褒めるものではないと考えるか、評価は分かれるが、少しは参考になるだろう。

特に言いたいのは、一貫して野党に身を置いており、逆境に留まるような移動や、所属政党の再編については、与党へのすり寄りなどと区別すべきだということである。与党には、野党を離党して移るものではなく、有権者の支持を得て、一致できる仲間を増やして、なるものだからだ。当然のことだが、重要なことだ。議員の所属政党、政党名がコロコロ変わるという現象は、日本がなお、議会政治、民主主義の勉強中だからなのだろう。政党が四苦八苦しながら成長している過程だと、信じるしかない。