1-33民進党の分裂に就いて1.政権交代論

立憲民主党に望むこと

野党がまとまるどころか、民進党が分裂していった事態に、左派が壊滅するだろうと、当初落胆した筆者であったが、立憲民主党が追い風を受けるのを見た時、自分の不明を恥じながら、何かが変わるかも知れないと、期待がふくらんだ。希望の党の人気がどんどん落ちるのを見て、少なくとも、維新・希望との共倒れが続出することもないだろうと、胸をなでおろした。一体何度目の新党ブームだろうかとも思ったが、立憲民主党は新党ではあっても、戦前の無産政党の流れをしっかりと汲んでいる。「ほとんど菅内閣のメンバーではないか」という声も聞かれたが、つまりは政権運営の経験、「失敗の経験」を持つ、民主党系の本流と言っても違和感はない、そんな新党だ。失敗の経験というのが、特に重要である。自民党の祖先が、およそ120年前から積んできた経験である。だから、政党が分裂した場合は、基本的には残留派を支持すべきだと考える筆者も、希望の党に行かなかった議員達が離党者であるという、この特殊なケースでは、民進党離党者による政党である、立憲民主党を支持するべきだと考える。

民主党→民進党の整理は必要であった。同時に、第2党の分裂の歴史、左派政党の分裂と再統一の歴史にピリオドを打つ必要もある。左派と言っても、かつての社会主義協会のような極左ではないのだし、左派路線で行くのか、中道路線で行くのか、決着をつけて前に進むべき時が来たのであった。

もともと政党同士の合併に否定的であったという、枝野立憲民主党代表が考えているように、非自民の議員達がとにかく結集するという民主党が失敗した以上、新しい方法が模索されるべきである。筆者は再編論者であったが、反省しないまま、同じ過ちを繰り返すのは愚かだと思うし、立憲民主党の路線に、確信は持てないまでも、可能性を感じた。それは、自由、社民、共産の各党、他の旧民進党系の、立憲民主党に近い議員達で協力をし、これまで選挙に(あまり)行っていない有権者の支持も得て、政権交代を実現させようとするものである。おそらく、かなり時間のかかることであろう点が問題だが、少なくとも、はじめから合流ありきで進むよりも、有権者の支持を得られるだろう。そしてその支持が、次のステップでも、誠実でさえいれば、核となっていく。

自民党内の、右傾化に否定的な議員との協力についても、実現するとは思わないが、理念が背景にあるから、自民党の分裂をただただ願うのとは違う(この点で、もし立憲民主党に石破茂との連携に期待する議員がいるなら、それは間違っている)。

2017年の総選挙の当時、民主党が野党に戻って、すでに5年近くがたっていた。また何十年も、永続するかに見える自民党政権が続くというのでは、危険だ。同じことを繰り返さずに、かつ政権交代が、あまり遠すぎない時期に起らなければならない。あるいは、確実に政権交代に向けて進んでいるという実感を、国民が持ち、自民党が姑息な手段でそれを邪魔するというのであれば、時間がかかってもやむを得ない。かつて民主党が第2党になった時、政権交代は起こりそうになく、実際に3回の総選挙で政権奪取に失敗している(「与野党逆転か!?」というような、報道等のあおりは、五十五年体制下にもあった)。しかし結成から約13年、4回目で成功したことを、我々は知っている。1回の、小さな成功体験だが、選挙による政権交代は絶対に起らないわけではないことを、忘れずにいられるはずだ。

いずれ政権交代を実現させるためには、第2党(民進党系)が、どのような理念を抱いて政権を目指すのか、明確にする必要がある。政権獲得後、どのような政策を実現させるべきだと考えるのか、これもある程度示す必要がある。野党の結集も重要だが、その核となるべき立憲民主党が、まずはしっかりとした理念、政策を掲げる政党でなければならない。そして多くの議席を安定して得続ける実力、他の野党を説得できるような実力、他の野党の意見も取り入れる謙虚さを持った政党にならなければならない。第2党を取り替えない限りはそうだし、取り替えるとしても(しょっちゅう取り替えるのはいけない)、その第2党が明確な姿勢を取り、それを中心に、野党がまとまる必要がある。

立憲民主党では、それまでの第2党のような、内輪もめが見られなくなった。皆が同じ意見でなければならないわけではないが、積極的な決定ができない、内輪もめばかりしているということが、第2党に対する支持を度々減らしてきたことを考えれば、野党の名手としてふさわしい(本当はそんなことを言う必要もない状況であるべきなのだが)。他党との交渉に際しても、有利だ。

野党の再編については次に述べるとして、今、立憲民主党に望むことが4つある。1つは、現実的な安全保障政策だ。安倍自民党の改憲、集団的自衛権の行使に付き合うという必要はない。日本人は自衛隊の国外への派遣には消極的であった。それでいて、派遣のための法改正がなされれば、現状を追認してきた。だからこそ自民党は、かつて野党第1党の反対を受けたPKO法案なども、現在では反対の声がほとんど聞かれないということを引合いに出し、今も自分達が正しいという根拠のようなものにするのである。

自民党の路線は、1つ1つの法案の大義には納得させられても、それぞれの歯止めの弱さ、総体、一部議員の態度を見ると、右傾化、監視強化の方向性に、不安を抱かされる。かといって野党(日本維新の会を除く)の反対は、少なくとも今のところ有効な代案を伴うものではなく、根拠に乏しい理想論に、政党によって程度の差はあるが、近いものがある(小沢一郎の国連中心主義にも、その有効性、敵国条項の問題など、大きな課題がある)。

そこで立憲民主党にできることは、平和、平等を重視する、(日本の)左派としての立場から、苦渋の決断として、国防の強化等を唱えることである。そこに集団的自衛権に含まれるもの、極論を言えば、核武装が含まれていても、別の方向で非現実的ではあるが、筆者は構わないと思っている。もちろん他に手段があるなら、それを提案すれば良い。

本来このようなことに反対の勢力が、自民党に迎合するのではなく、悲壮感と覚悟をもって訴える時、本当の議論が始まる。周辺国も、自らの行為が日本を刺激することを自覚するはずだ。そしてその議論は、皆が喜んでしたのではないことが記録されるべきだ。誤った戦争に突入し、原爆を落とされた日本だから、その記録は軽視されないと信じる。そのような議論がなされたことを教育に盛り込むことは、その政治的中立を、侵す行為ではないだろう。

次に、提案重視の政党になることだ。もちろん、これまでも民主党→民進党系は、政策を打ち出しているし、対案等、法案も提出している。筆者はネトウヨのように、デマによって立憲民主党の評判を落としたいのではない。立憲民主党に、唯一の、提案型の大政党になって欲しいのだ。「唯一」と言うのは、自民党が真の、提案型の政党ではないからである。確かに自民党は政策を打ち出して、実行している。しかし、このままでは人口減少に歯止めがかからない中で、また世界が変化していく中で、日本をどのような国にしたいのか、分からない。積極財政なのか、消極財政なのか、自由貿易なのか保護貿易なのか、中央集権なのか、地方分権なのか、公共事業なのか、福祉なのか、二枚舌であるし、本音と建て前の相違もあるし、有力者の間の相違もあって、よく分からない。だからこそ野党は、提案型になれば、何でもありの自民党と比べて、支持者を増やせない。抵抗型になれば、自民党にいいように振り回されて終わる。振り回されないだけの理念と、利益を受けるわけではない有権者をも納得させる、つまり多くの人々をうならせる政策を、積極的に発信するしかない。生真面目に細かく理念、政策を伝えることも大切だが、「どうしてもこれをやりたいのです、お願いします」と有権者に働きかけることも、それがアンチ安倍自民というだけでなければ、効果があるだろう。

現状では難しいというのであれば、政府案と野党第1党の案を、比較しながら審議するようにするための、国会改革をひたすら求めるというのが、有効ではないだろうか。丁寧な審議と同時に、国民に分かりやすく、興味を持ちやすいようにするための工夫がなされれば、なお良い。対案がない場合があること、第3党以下の案を審議することを、否定するわけではない。しかしそれは、付随的なものとして、国会改革に盛り込めば良いだろう。対案がない場合にも、野党第1党が現状の擁護者となり、政府案と現状を比較しながら審議することはできる。その際野党に説得力があれば、「何でも反対」などとは言われない。また例えば、第3党以下は、ピンポイントの指摘、提案をすることで、大政党を補完するのも良いだろう(それが優れたものであれば、十分、大躍進のきっかけになるはずだ)。

日本は階級や民族に内部が分断されていないから、2大政党制には向いていないという意見がある。そのような面は、明治期の議会開設当初から、確かにある。政党間の差異が、比較的小さかったのだ。しかし、積極財政、対外強硬の立憲政友会と、消極財政、平和外交の立憲民政党による2大政党制が、いろいろと問題はあったが、実現した(選挙による政権交代がなく、失政による政権交代しかなかったから、不完全なものであったが)。国内に深刻な分断があることは問題だが(すでにある場合、自然と現れそうな場合には、それを認めて対応しなければならない)、一定の違いがあり、利害が対立する人々がいるのは自然なことで、それは日本にもある。それだけで、志向の異なる政党を育むことができるはずである。例えば、自分個人の将来は心配せずに済むような経営者やエリートと、非正規雇用、正規だが、団結しなければ不利益を被る人々との間には、一定の溝があり、後者には味方となる政党が必要だし、前者も、日本の産業、自らのビジネスにとって有利な政党の存在が、メリットになる。どちらかに不満がたまるよりも、そして、自民党が右に左にシフトして不満のガス抜きをし、本質を見えなくすることよりも、政党が議論を戦わせ、交互に政権を担う方が健全である(政策や実績、または変化を求めて投票する政党を変える人も多くいるのが普通で、それによって、あるいは政権の問題が目に余る場合、政権交代は起こる)。これは一例だし、筆者は政権交代さえあれば、2大政党制にはこだわらない。だが、2大政党制が無理だから1党優位でも仕方がないとしてしまうのは、とても危険だと考える。

さて、3つ目は2つ目に含まれるとも言えるが、経済政策だ。競争重視であってはならない。競争重視が良い、悪いという話ではなく、保守政党と異なる選択肢を示す必要があるからだ。しかし競争を否定することも、もちろんできない。経済が弱いというイメージを吹き飛ばす、具体策が必要だ。ポピュリズムではないが、強者の論理となりがちなグローバル化の圧力に対して、国内の産業など、立場の弱い人々を守ることも、全てではなくても、必要である。グローバル化の進行は避けられないし、悪いとばかりとは言えないから、ただただ抗うのではなく、もちろん、何の疑問も持たずに進めるのでもなく、その中で少しでも有利になるように尽くし、マイナス面を最小にするための方策を採る必要がある。野党にとっては、積極性を示す有効な機会である。

経済成長についてだが、大きな成長を非現実的、または不要だとするにしても、経済成長を目指す必要はある。人生には、成長しようと努力をしても、やっと現状維持だということもある。人間が集まってできている国家も同じだ。成長を目指さないということには、衰退する危険性がひそんでいる。国を衰退させたいというのでもなければ、経済成長は争点にはならないはずなのである。また、財政健全化などどうでも良いというような、左翼ポピュリズムにならなかったところは評価したい気持ちにもなるが(消費増税を唱えることが、現実的でかっこいいと思ったのなら別だが)、第2次安倍自民党内閣になってからの金融緩和が、一定の成功を収めて評価されたこと、安倍総理が経営者に賃金の引き上げを求めたことについては、左派政党としてそのような手を使わなかったことが、本当に正しかったのか、議論しても良いのではないだろうかと思う。

雇用問題は確かに難しい。例えば、政府が非正規雇用を正規雇用にしようとすれば、特に体力のない企業は雇用者数を減らさざるを得なくなる。同一労働同一賃金を筆者は支持するが、これも体力のない企業には難しい。一方で、日本の低い生産性を上げるため、それらが企業の淘汰を進める助けになるという考え方もある。公務員についてもそうだが、日本は現役の正規雇用の人々を守ってきた(民主党政権は、公務員の新規採用を大幅に減らすという、ゆがんだ節約をした)。労組を支持基盤とする民主党系には、逆に難しいテーマだが、もっと議論し、政策を練る必要がある。また、消費税をなるべく引き上げず、所得税や法人税の引き上げで富裕層から取ることは本当にできないのだろうか。筆者も非常に難しいことだとは思うが、今はできなくても、努力していくべきだと考える。移住者に対する、いわゆる出国税という、その第一歩とも言えるものが安倍内閣の下で実現したが、社会民主主義政党として、民主党系が取り組むべきテーマだと思う(既存の社会民主主義政党が取り組まなければ、ヨーロッパのように、左翼ポピュリズム政党が躍進する可能性が高く、そうなれば、最初に倒れるのは民主党系である)。

都市部で中道政党に押された社会党にも、小沢が代表となるまでは農村部で振るわなかった民主党にもなってはいけない。農家に寄りそう政党でありつつ、都市部の有権者にも期待される政党でなければならない。愛知県以外の都市部では壊滅に近い状態でありつつ、安倍内閣が進めたTPP参加に不満と不安を持つ農村部で踏ん張った民主党→民進党であったが、立憲民主党は特に東京とその周辺で支持されているように見える。自民党はどこにもいい顔をしたり、同党に捨てられるという強迫観念を背景にした票を得たりする、また財界やアメリカの求める農協改革に取り組む。これに対して立憲民主党は異なる立場から、かつてのばらまきとは違う(農家の個別所得補償には、合理化を促す効果に乏しいことなど、問題点があった)、しかも、都市部の支持も農村部の支持も得られる、そしてもちろん国全体にとって良い政策を掲げなければならない。都市部と農村部の双方に寄りそう真摯な気持ちがあれば、それぞれに厳しい政策があっても、支持は拡大すると思う。農業の高率化、未来化に沿った政策を練る中で、それについていけない組織、農家を変えたり、ケアをしたりすることが重要だ。以前に述べたことだが、やっていることは組織票と結びついた自民党と似ても、弱い立場の人々を助けたいという思いがあれば、それは伝わるし、政策の細かなところに差異が現れるはずだ。グローバル化を受け入れるかどうかについては、中心的な対立軸になってきている国もあるが、まだ大政党の内部の亀裂が濃くなりつつある段階だ。これが決定的なものになるとは、筆者は思わない。なぜなら、グローバル化に完全に抗うことは不自然だからだ。それを少なくとも最低限度受け入れた上で、できるだけ自国に不利にならないような、さらには有利になるような状況をつくることが重要である。受け入れた上での対策ならば、従来の左右対立の枠組みの中で、それをある程度変形させることで、つまり政界大再編を模索し続けることなしに、もっと言えば政局よりも政策を重視して、対応できるだろう(グローバル化に対する賛否が対立軸になる場合、そもそも左右のどちらが賛成に回るのか、問題となる。日本では与党が受け入れ、野党が問題を指摘するという基本が、与野党が固定化していることで、まれに与野党が入れ替わっても、与党になれば賛成、野党になれば反対という、おかしな状態になりやすい)。

最後は、左派、社会民主主義政党を名乗ることである。上で述べたことに説得力を持たせる上でも、非常に重要である。社会党、共産党に対するイメージの悪さから、左派、社会民主主義という言葉にまで、悪いイメージがついてしまった。1996年の民主党結成へと結実した社会党とさきがけによる新党の構想に対する形容も、「社民リベラル」から「民主リベラル」という言葉に変わり、本来自由(主義)という、社会民主主義とは異なるものを意味する「リベラル」ですら敬遠され、「民主中道」という言葉へと変容した(これは民主党に新進党系の民政党と新党友愛が合流する際、細川護煕が保守や左派という言葉を避けるものとして提案し、党の基本理念に採用された)。そして、枝野立憲民主党代表は、保守を自称している。

立憲民主党は、右派からは社会党の再来のように言われる一方、自らは「右でも左でもなく前へ」、「下からの民主主義」というようなスローガン、そして保守を自称することで、左派だという印象を持たれないようにしている。「上下」という言葉自体は、これに頼りすぎると国内の分断、階級闘争を招く危険がある。しかしそうでなければ、良いものだと、筆者は思う。しかし、立憲民主党の実際の路線は、社民党とそう変わらない(社民党の安全保障政策は立憲民主党より左だが、実際に政権を取って責任ある立場になれば、この溝を埋めるくらいには現実的になるだろう)。それで良いのだ。「下から」という考えは左派的だし、自民党とは異なる理念がなければ、ただただアンチ自民党であるだけの政党だ。そのような面が大きかったことが、1998年の拡大前は別としても、民主党→民進党の弱点であった。小沢一郎は民主党時代、そしてその離党後、「生活」という言葉を掲げた。今は、やはり保守層の票を狙って自由党を名乗っているが、これはとても分かりやすいものであった(自由党については、同じ小党で、参議院で統一会派を組んでいる社民党と、互いを保管し合えるような党名変更であったとし得るが)。それ(国民の生活が第一の政治)を実践することこそが、民主党に求められていたはずだ。

確かに、左派の方が、戦後体制を守る保守、右派の方が、それを変えようとする改革派、進歩派という面もある。しかし変える、変えないという基準を用いれば、日本を絶対王政に変えるのが左派ということになってしまう。やはり理念を基に、平等重視、平和重視を左派とするべきだ。

緊急避難的に結成された小党として出発したところ、急ピッチで拡大しているところであるから、今はトップダウン型の政党に見えるし、そうあるべきだが、安定した際には、自民党では政財官の癒着構造と結びついており、政策を基礎としない派閥政治に侵食されていた党内民主主義、リーダーシップと矛盾しかねない党内民主主義(この解消を模索した自民党では自由が事実上失われていっている)を、別の形で一定程度、実現しなければならない。結成当初の民主党が目指した、様々な市民運動や労働運動によるネットワーク型政党の性格を、まとまりを損なわないように、党首のかじ取りの妨げとなり過ぎないように加味することができれば、それも良いだろう。

社会党~民進党が、正規雇用の労働者の味方というイメージを払しょくできなかったことは、非正規雇用の労働者の割合が増えている今となっては、絶対に克服すべきことである。戦後、社会党が正規雇用の労働者の味方であったからこそ、公明、共産両党が貧困層などに支持を広げて台頭し、1党優位を助ける、野党の多党化を招いたことを、覚えておかなければならない。これまでのところ、連合内の、かつて社会党を支持していた総評系が立憲民主党支持、かつて民社党を支持していた同盟系が国民民主党支持という傾向が見られる。総評は公務員の労組が中心だ。公務員にはリストラの心配がないからこそ、政治運動に打ち込めるという面もある。そのことによる問題については今は置いておくとして(公務員の待遇が良すぎる地方自治体が少なからずある)、立憲民主党は、より弱い立場の、被用者に寄り添わなければならない。労組に依存しない政党であることももちろん大事だが、国民民主党の優位に立っているからこそ、いずれ労働組合の問題に取り組み、その時代に応じた発展を実現させてほしい。

だから、「上下」を問題にし、前進を唱えるのも良い(貧困問題を含む格差を是正しなければ、日本が割れてしまうという危険性は確かにある)。安倍内閣は保守ではなく、立憲民主党こそ保守だというのは、誤りだとは言えない。しかし立憲民主党には、やはり左派を名乗って欲しい。中道左派でも良い。「左」を毛嫌いすることは、バランスが失われることを意味する。中央よりも右に自民党、左に立憲民主党。目指すところは違うが、政権交代をすると急に何もかもが変わるようにはしない。政権交代が起こることで一方が暴走すること、一方の方針にばかり偏ることが防がれる。これは少なくとも先進国では基本中の基本であり、実態は理想通りでなくても、一種の規範のようなものでもある。時代遅れだという声はあっても、より良いものが発見されているわけではない。民主制と同じだ。これをきちんと経験せずに次の段階に進むこと、あるいは異なる道に進むことは、それこそ人類の経験を軽視する、リスクの高い行為である。