1-33民進党の分裂に就いて1.政権交代論

そして、民進党の再建、変革、強化~新しい合流の形~

2017年の総選挙で立憲民主党が第2党に上がったことを考えれば、立憲民主党中心の左派連合が、自民党に対峙すべきであり、それに沿った、立民中心の再編(自由、社民両党との合流、国民、無所属の民進党系のうち、可能な議員達の吸収)がなされるべきである。五十五年体制の再来だという声もあるが、その失敗の経験を生かした、新バージョンの「五十五年体制」にすれば良い。いや、しなければならないのであり、そのための監視こそが必要である。保守政治の問題点は、自民党の変革、他の保守政党の自民党への働きかけ、国民の声によって改善するべきだ。

すでに述べてきたことだが、競争重視の保守政党と平等重視の社会民主主義政党による、切磋琢磨が政党制の基本だ。日本も、自由主義経済を重視する日本自由党の系譜、国家の経済への一定の介入に肯定的な日本進歩党の系譜、社会(民主)主義の日本社会党の系譜が、さかのぼれば戦前からある中で、戦前は反対の傾向を持っていた前2者、つまり保守系が合流して自民党を結成した。1993年以降、政党の離合集散が激しくなる中、主要政党を安定させる必要もあるのだし、自民党という保守政党を本格的に解体するということを、政治家も有権者も選択してこなかったわけだから、保守政党(自民党)とは異なる理念を持つ政党を、元の大政党に戻すしかない。これも繰り返しとなるが、必要な改革をすることができない保守政党と、それができる保守政党による2大政党制など、不幸だ。それでは、改革を十分に進められない大政党が、もう1つの大政党とは異なる政党に生まれ変わるか、別の政党に取って代わられるのではない限り、有権者は選択肢を事実上奪われたに等しいままだ。

他国では、比較的新しい問題の解決、利益団体などの組織に属さない、あるいは属していてもその恩恵を受けない人々の抱える問題の解決に積極的でないと見られた、左右の既成の大政党が支持を失い、右翼的なものが多いポピュリズム政党が躍進しているケースが目立つ。右翼的な政党であるから、既存の保守政党と競合する面もあるが、最もあおりを食っているのは多くの場合、左派政党(社会民主主義政党)である。しかし、既成政党の時代が終わったという結論を導き出すには、それらが政権を獲得し、かつ有権者をそこそこには満足させるような、結果を出す必要がある。そうでなければもちろん、そうであっても、勝ち組以外の国民の声に耳を傾けるべき左派政党が、試されていると見るべきである(左派政党がそれを十分にしてこなかったのなら、筆者が上で用いた「あおりを食」うという表現も、不正確だということになる)。

明治期の議会開設当初から繰り返されてきた「取りこぼし型」再編(優位政党に対抗するための合流に際し、参加しない議員が一定数現れるような再編)は、これで最後にしなければならない。もちろん、何百年も起きてはならないという意味ではないが、1党優位性が続いている間は、そう言わざるを得ない。今回も、再編後に混乱しない限りにおいては、とりこぼしは少ないに越したことはない。ミニ政党の1つも、無所属議員の1人も残ってはいけないなどと言うつもりはないが、合流に参加しなかった勢力には、政権交代の邪魔にならないで欲しいし、繰り返される再編の度に、繰り返し小党が誕生していては、国民の目には政党助成金目当てにも映るし、政党そのものを敬遠したくなる(限られた時間の中で、小党まで含めて政策を比較しようとする、まじめな人ほど困惑するのではないだろうか。そうであれば不幸だ)。情勢は時間が経てば変化するし、永遠である必要まではもちろんないが、二度と分裂、(とその後の過程)を繰り返すことはないというくらいの、意気込みではあるべきだ。

左派政党の再建、いや、変革と強化は、日本政治の最重要課題なのだが、そのために避けてはならないのが、国会の最左派、共産党との連携である。共産党との共闘の是非を整理しないままに、民進党系の連携、再統一へと進まないことが、重要だ。選挙協力で成功を収めても、その後で、立憲民主党と国民民主党がまた路線争いをするようなことになれば、目も当てられない。今の自民党よりも共産党の建前と近ければ、それだけで十分、共産党と協力する理由になる。国民民主党が共産党よりも自民党に近いなら、自民党と協力するか、合流するべきだ。少なくとも選挙協力などせず、自立しているべきだ(それでは邪魔な存在だし、本当は方向こそ重要なのだが―「民主党→民進党よ共産党を切れ! と簡単に言うな」参照―)。

国民民主党は、「自分達は中道の範囲内で勢力を結集したいのだ」と、言うかも知れない。しかし中道の中でも、理念は右か左か、どちらかに傾いているはずだ。中道右派と中道左派だけの合流のほうが、差異は小さく見えたとしても、むしろ方向性が曖昧になるということは、十分あり得る。中央より少しでも左に傾いているなら、中央より左の勢力と広く協力しなければ、最右派から中道左派にまでウイングを広げられる、自民党には勝てない。

タイトルを、「そして、民進党の再建、変革、強化」としたが、再編は立憲民主党の拡大であるべきだし、党名も立憲民主党のままで良い思う。ただし、「立憲」という語は、安倍内閣に対する、彼らの問題意識が文字となったもので、半永久的に掲げるものではないように思われる。現状を異常事態と認識して掲げている言葉だから、「~内閣期の憲法改正には反対する」という姿勢を採らなくなった時、外すのが自然ではないだろうか。それが立憲民主党の、次の段階に進んだという、意思表示にもなる。同党が頑固な護憲政党ではないことを、示す機会にもなる。

筆者が「民主党の~」ではなく、「民進党の~」というタイトルにしたことには意味がある。すでに述べたように、立憲民主党が民進党系の左派の政党となり、希望の党が民進党系の右派の政党となり、民進党の残部も、希望の党との国民民主党の結成を契機に、いずれかに入る方向での、整理が進んだことは良かったと思う。まだどっちつかずの議員達がいるが、彼らが仲介をして対等合併ということは考えにくいし、それこそ、不毛な歴史の繰り返しとなるから、早く立場を鮮明にするべきだ。

問題は、この左右の別が、安全保障の問題に偏っているということである。国民民主党も、少なくとも表面的には平等を重視しているし、そうでなくなれば、民進党系の右派ではなく、もっと右の、政界全体の右派なのだから、自民党に入るか、新自由主義的な政党を、維新の会と合流するなどして、つくるべきである。この続きは維新について述べる機会に譲る。

ドイツでは、戦争遂行(第1次世界大戦)を支持した社会民主党から、それに反対する議員達が離党して独立社会民主党を結成した。ここから共産党が誕生し、残りは大方復党したわけだが、ヨーロッパの他の国々でも、社会民主主義化した社会主義政党を離れた最左派が、共産党を結成している。ドイツは第1次世界大戦での敗北によって、ひどい目にあった。しかし議会制民主主義に立脚し、自国の安全保障を重視する社会民主主義政党と、革命を少なくとも否定はせず、世界の労働者の連帯による平和を志向する、共産党への分裂には意義があった。日本でも戦前、社会民主主義勢力と共産党への分化が進んだが、共産党が弾圧を受けたこともあり、共産党よりも左だとすら言われる勢力が、社会民主主義政党(であるべき日本社会党)に残った。でに述べたように、日本を取り巻く環境(日本の資本主義経済が発達した時期)によって、社会民主主義政党が、他の先進国のそれ以上に幅が広く、つまり左派と右派の距離が開き、左翼的な派閥の響力が強い状態になった。その特殊性が落とした影からは、子孫の民進党も、完全には逃れることができなかった。

国防については、集団的自衛権を全く認めないとしても、いや、認めないのなら認める場合以上に、積極的に取り組む必要がある。中国や北朝鮮との対話は重要だが、力がなければなめられるだけだし、話し合いさえすれば、侵略されることは100%ないと言うのは、あまりに無責任だ。このことに十分に向き合っていないのが、立憲民主党の弱点だ。

このように述べると、立憲民主党よりも国民民主党に近いと言われる。自分でもそうだと思う。しかし日本では、国民民主党は中道政党であり、日本では、中道政党が政権の中心を担えるほど大きくなったことはない。それは中途半端だと見られるか、印象が薄かったからであもあるが、自民党とその前身の保守2大政党が、中道までフォローしていたからである。だから、自民党と正面から対峙することができる、真の左派政党が必要なのだ。アメリカ追従派に、戦前の強い日本を取り戻したいというような勢力が少しまざっている自民党に対して、平和を重視する政党は必要だ。ドイツとフランスが反対し、開戦の根拠が誤りであることが分かったイラク戦争のような、問題のある戦争をすることも少なくないアメリカからの自立は、その中に含まれる。そのためには「逆に」、防衛力の強化が不可避となる。

現状の防衛力のままで、かつての民主党政権のように、アメリカと、アメリカよりもずっと危険な中国と、同等に付き合うというのは、あり得ない。抑止力となる強力な兵器をそろえるなどして、中国との距離を縮めるか(核保有の是非、核を排除し続ける場合は防衛費の大幅な増加が問題となる)、日米安保の枠組みを重視して、アメリカにものが言えるような立場になるか(集団的自衛権を完全に否定するような姿勢は許されず、防衛費も増えるだろうが)、この2つしかない。アメリカが本当に世界の警察でなくなるのなら、後者のリスクは高まるから、注意が必要だ。

楽しい話題ではないが、この問題こそが、立憲民主党の拡大と、民進党の再建を結び付けるものだと、筆者は考えている。

安全保障の基本路線が変更されては、他国からの信用も失うし、国防上も危険である。今は過渡期だとしても、安全保障の議論に早めに決着をつけ、政権交代が起こっても深刻な問題が起こらない程度の差異だけが、主要政党の間にある状態に持っていかなければならない。ただし、理念は別である。安全保障の問題に決着がついても、世界平和のために独自に動くことはできるし、アメリカとの協力関係を最優先にすることもできる(後者ができなくなるような決着は、考えにくい)。

さて、民進党の再建である。「せっかく整理されたのに、無理にまた一つになれと言うことか」と聞かれれば、基本的にはそうだと、筆者は言う。確かに立憲民主党の支持率は他の野党よりもかなり高い。しかし国民民主党、無所属となった民進党系の議員には、党の支持率が低くても当選できる力のある者もいる。競合しては共倒れになってしまうし、不明瞭な協力体制を長期的に続けることも、有権者に対する裏切りになる。民進党の左派に考えが近いが、自分の選挙区は民進党右派の候補者しかいない、というのは許容範囲だが、立憲民主党を支持しているが、自分の選挙区には国民民主党の候補者しかいないというのは、問題だ。政党内の派閥よりも、一つの政党はずっと自由であり、したがって協力関係の解消も、比較的容易に起こりえるからだ。筆者も、民進党の分裂を評価したから、すでに述べたことと矛盾することを、突然言い出したと思われるかも知れないが、そうではない。過去のような大同団結は繰り返すべきではない。やり方を変えるのだ。合体の仕方を変えれば、違うものができるということだ。

せっかく整理された今だからこそ、民進党系の中での対立に決着をつけなければ、機を逸する。かと言って、今までのやり方に完璧主義を持ち込めば、1党多弱の状態を改めることはできない。「決着」と「なるべく多くの合流」を、両立させなければならない、中途半端にやってきた「宿題」をやり直すような、面倒で難しく、脱力感に襲われそうな課題だ。しかしやり方を変えれば、新鮮な気持ちで取り組むことができるのではないだろうか。もちろん、見ている有権者の側もだ。

これまでの野党第1党を中心とした再編、野党第1党を生む再編は、参加する各勢力が連結して、大きな塊になるものであった。再編後の野党第1党の主張は、参加した各勢力の主張を、併記したもの、または平均したもの、あるいは単に、あいまいにだけしたものであった。中心になる政党はあっても、個々の議員やミニ政党を吸収するわけではないから、他の政党に配慮する必要があった。また、最も大切なのは議席数の増加であり、そのために、なるべく幅広い勢力が集まれるようにする必要があった。

それとは異なる合流の形として、筆者は「注入型」が良いと考えている。ベースとなる理念や基本的な立場については、野党第1党であり、自民党と明確な差異のある、立憲民主党のものをそのまま残す。そこに合流していく勢力が、競争重視の規制緩和、防衛力強化など、経済や安全保障、もちろん他の分野でも、立憲民主党と差異のある政策のエキスを、注入するのだ。

野党第1党の分裂は、寄せ集めであること以上に、現実路線か、徹底抗戦かで、まとまれないことに起因していたと、すでに述べた。現実路線のほうが良さそうに聞こえるが、非優位政党の現実路線とは、勝てそうな優位政党(明治、大正期は、政党ではない薩長閥であることが多かった)になびくということであった。そうでないという意味で、有権者の支持も得た、立憲民主党の「徹底抗戦」が選択されるべきである。あくまでも、そのような意味での「徹底抗戦」であり、他の面で、立憲民主党(再建される民進党)に非現実的な面があるのなら、まさに現実的な政策を、立憲民主党の理念まで壊すことのないように、注入すればよいのである。再建された民進党は、左派政党としての核に、かつての曖昧さとは違う、幅の広さが加わる政党になって欲しいと思う。

もちろん、立憲民主党が受け入れられない政策も、多々あるだろう。それについては、とことん議論をする。議論をするのだが、立憲民主党の理想の、そのままでは現実に即応しない部分を補完したり、現実に合うように、実際の政策面では、多少変換をしたりするのである。立憲民主党の理念と異なるように見えて、結果的に、財源をねん出することなどで、その理念の実現を助けるという、政策もあるだろう。この議論、政策注入の成功を通して、野党再編は注目を集めつつ、自民党とは異なる理想、異なる温かさ、異なる、必要な限りの厳しさ、そして世界のグローバル化、東アジアの不安定な情勢、産業構造の変化、少子高齢化に有効に対処し得る具体策などを、備えた政党が完成すると思うのだ。

ここで公明党について述べることは、不毛だし、そもそも筆者のしたいことではないが、公明党も、自民党ではなく、民進党系に政策を注入する方が、無理がないのではないだろうか。また、与野党の政策の違いが、分かりやすくなっていくのではないだろうか。公明党にとっては、自民党のほうが大人だからやりやすいのだろう。分からないではない。しかし、楽をしているようで、魂をぬかれているように、筆者には見える(公明党が自ら進んで保守政党になりたいというのなら別だが、そうも見えない)。

話を戻すが、誤解のないように言うと、立憲民主党が、自民党よりも不完全な政党だというのではない。年輪の違いのために、そのような面もあることは否定できないが、どのような政党も、人間と同じで長所と短所がある。現に、今の自民党の、反論を許さないような空気は、党の質の維持、発展を妨げていると考えられる。得意分野など、様々な、一定の差異のある勢力が合流することで、内部がバラバラな政党をつくるのではなく、各勢力、議員が、得意分野について、腕を振るい、より素晴らしい政党へと、立憲民主党を発展させるのである。

立憲民主党の理念と相容れない議員は参加できないわけだが、同等の理念を単純化すれば、立憲主義(権力の分立と、憲法による権力の規制の重視)と草の根民主主義、そして平和と平等であると言える。これに反対の議員は、野党側にはあまりいないのではないだろうか。もちろん、自民党も平和のために集団的自衛権を容認し、憲法9条を改正しようというスタンスだし、平等を重視しすぎると、競争による活力が弱くなるという弊害がある。機会の平等か、結果の平等かという問題もある。間違っているかもしれないが、筆者が勝手に言ってしまえば、自国がその国に直接攻撃されているわけではないのに、他国における戦闘に自衛隊を参加させることはできない。機会の平等を図りつつ、結果として生じた貧困の改善にも、積極的に取り組む。こんなところではないだろうか。このような条件のついた発注であっても、一見矛盾するものも含めて、多様な政策を組み立てることができるはずだ。立憲民主党の議員達も、面白い提案、議論ができるはずだ。専門分野を持つ野党議員にとって、能力を発揮できる素晴らしい機会になるのではないだろうか。そんな再編劇をぜひ見てみたい。民主党と維新の党が合流した時、筆者は、公務員を含む被用者の保護と、公務員制度改革との両立、公正な競争と格差縮小の両立を期待した。今度こそ、と思う。中国、北朝鮮の脅威があり、財政赤字や格差が問題となっている今、政策を軸に、まとまることができないとは思えないのである。極論が多くなりがちな、財政赤字の問題に関する客観的な認識は、イデオロギーの違いではないのだから、異なる見方を含めて共に学び、議論することで、まとまるはずだ-まとまらなくても、離党しなければならないほどの問題のはならないはずだ-)。

当然、地方組織の再建、整備、地方議員の合流も必要だ。ただでさえ、民進党系が苦手としていたところ、分裂が起こったわけだが、2017年の「リセット」は良い刺激にもなっている。地域ごとに立憲民主党が強い、国民民主党が強い、その他が強い、という差異があるから、国会議員達が合流の方向性を示すことで、それらの団結を促し、各地域では、民進党系の団結に、(引き続き)努力しなければならない(自民党は強弱であるからこそ、異なる会派に分かれているケースがあるが、民進党系には本来、そのような余裕はないはずだ)。

セーフティネットについても補足しておきたい。新自由主義的な勢力が、格差の問題にも配慮していることを示す時、すぐにセーフティネットと言う。これは曲者である。失業、廃業をしても雇用保険や生活保護がある。別の職を紹介することができる。新たな職を得るために教育を受ける機会も与える。これらは重要なことではある。しかしこれらの公共サービスを受けられるからといって、心が満たされるわけではない。肩身の狭い思いをする人、プライドが傷つく人もいるだろう。生活の変化に気持ちが追いつかない人もいるだろう。能力主義は確かに、昔の身分制よりも公平であり、国の発展に効果的だ。だが、国民を分断する面がないわけではない。確かに、時代が変化する中では特に、強い人、能力のある人が、機会と充実感を得られるような競争が重要である。産業構造が変化すべき時には、企業の淘汰も、労働力の移動も必要である。だからこそ、セーフティネットのあり方が試されている。それをどのようなものに変えていくかということだけで、主要な政策課題となる。おまけの政策ではない。競争を促すためだけではなく、社会全体が、物質面、精神面共に豊かであるためにも、重要な政策だ。このことに関して言えば、競争と緊縮財政の双方の徹底は危険であるし、なにより左派政党が積極的に取り組むことではない。「こうすれば今より豊かになる」という夢が、庶民に少しはなければ(ウソはだめだが)、支持は広がらない。もちろん再分配も大事だが、その前の分配についても、このままでは良くない。形の上だけで非正規雇用を減らすのではなく(非正規雇用を望む人もいる)、正規、非正規それぞれの、消費拡大につながるだけの待遇改善は最低限模索しなければならない。待遇だけ改善されても、企業の内部留保の一部が被用者の預金になるというのではもったいない(それもできないという企業もある)。社会政策も経済政策も外交も深く結びついている。多くの人々が納得する、自民党と異なる理想像と、そこに進んでいくための、現実的な政策体系が求められている。

最後に、次の再編の反面教師として、これまでの再編の問題点を確認したい。

民主党はもともと、社民党とさきがけの議員達によって結成された。当時の状況から、新自由主義的に見える面もあったが、両党の性格を受け継ぐ、穏健な政党であった。そこに、解党した新進党の一部が入った。それは主に自民党の離党者と、旧民社党系であった。つまり保守系が加わり、かつて民主党の先祖である社会党から離れた、右派の一部が帰って来たのだ。新党さきがけも自民党の離党者が結成したものであったが、新党さきがけには当時、日本新党を離党した反小沢派、社民連系の菅直人なども加わっており、また社会党と仲が良かったように、さらには中心人物の武村がもともと革新系(左)の政治家であったように(1974年の滋賀県知事選において、社会、公明、民社、共産党4党の推薦を得て、自民党推薦の候補を破って初当選)、保守系とは異なるカラーを持っていた。

社会党系と保守系との合流、社会党の左右再統一が同時になされたのである。後者については、もう少し正確に言うと、社会党に残留した右派の一部と、左派が社民党におり、その社民党の一部~多くが民主党を結成したか、民主党に移った。そこに新党友愛となっていた、社会党を離党して民社党を結成した右派の一部が、合流したということである。いくら民主党が他を吸収する形が採られても、民主党は議員数およそ2倍に拡大した。この保守派、新党友愛との合流により、民主党のカラーは分かりにくいものとなった。現実的な左派政党という基本は、菅直人の人気もあって、とりあえず守られたと言える。しかし、それに不満を持つ議員が多くいた。

そこにさらに、かつての天敵であった小沢一郎の自由党が合流した。かつて天敵であったというのは、小沢の強引な手法の他、左の社さ両党と、自衛隊の海外派遣などに積極的で、新自由主義的な小沢らの間には、政策的にも大きな溝があったということである。そして社さ両党は、自民党との連立政権の樹立による、小沢中心の連立政権の崩壊を選択した。そんな双方が合流したのである。しかもややこしいことに、小沢の自由党は左に大きく舵を切りつつあり、現に社民党に接近していた。合流後、旧自由党系はむしろ民主党内の最左派となった。これはこれで、現実的な左派であろうとした、そして、小沢から離れても政権担当能力があることを示そうとしていた、民主党を揺さぶった。繰り返すが、あまりに複雑な再編であった。

この複雑な状況下、民主党は結成以後、2005年の総選挙を除く国政選挙において、政権を獲得するまで議席を増やし続けた。若手が多い政党となったのだ。それだけでも不安定になりやすいところ、自民党から立候補できなかった、あるいは反自民の、保守系の若手が少なくなかった。候補者を選ぶ際、理念などが重視されなかった(まとまりが弱く、重視することができなかった)からである。

これを繰り返さないということが大事なのである。社会党系の左右再統一という観点で見ると、1932年の社会大衆党結成の際、1945年の日本社会党結成の際、1955年の日本社会党再統一の際、1998年の民主党拡大の際に左右の統一が、一部は不完全ながら実現したものの、左右両派の政策的な溝には、曖昧なままにふたがされ、党内対立はなくならず、再び分裂するに至った。この繰り返しのループから、脱することが大事なのである。政策を徹底的に論じて、差異を克服するべきなのだ(克服するのであって、党内にどんな差異もあってはいけないということでは、もちろんない)。その時に失う票があっても、議員同士が納得し得る妥協点を、足して2で割ることによってではなく、議論の末に得られるのであれば、支持は帰ってくると思う。これができないほどの差異が、旧民進党系にあるとは思わないし、あるのなら、最右派が自民党とくっつくようなショック療法による、対立軸の明確化が、むしろ必要だと考える。