1-02冷戦終結当時の政治の変化1.政権交代論

冷戦終結当時の政治の変化 ~十代の筆者が感じた矛盾~

中学受験の勉強を通して、政治の仕組みを少し知るようになった小六の夏の、ある朝のことだった。父親が「大変なことになったな」と、いつものように新聞を見ながら、しかしいつもとは少し違った声のトーンで、つまりいくらか興奮気味に言った。新聞の一面にあったのは1989年夏の参議院議員選挙、自民党が大敗した、その結果だった。

僕は前の晩は両親と、選挙特番の最初の二時間くらいを、何かしながら見ていたと記憶している。ずっと政権を牛耳っている奴らが負ける、大逆転の選挙であるらしかったが、初めて見る選挙特番だ。いい年をしたおじさん、おばさん(この時には土井社会党の「マドンナブーム」が起こっていた)達が落ち込んだりはしゃいだりしている姿を面白いと思いつつも、いまいち分からなかった。

小学校でも、当時通っていた塾でも、政治の仕組みは学んでいたのだと思う。あるいは、まだ学んでいなかったが、参院選の前に少し知識をつけられていたのかも知れない。しかし学校でも塾でも、政治の仕組みは教えるが、中立性を損なわないため、政党のことにはあまり踏み込まない。それは中学、高校でも同じである。

であれば当然、疑問に思う。選挙で最も多くの国民の支持を得た政党が政権を握るはずなのに、どうして日本ではずっと自民党なのか。自民党が良い政党だとは、ほとんど誰も言っていなかった。テレビのニュースの多くは、自民党に批判的であるように見えた。

当時の自民党は、消費税を導入し、自分達は裏金を受けとって、女遊びをしている政党だった。よく分からないがテレビで見たこと、親の言葉をつなげたイメージだ(当時は宇野首相の女性問題が報道されていた)。そして参院選において、自民党を上回る議席を獲得した社会党は、威張る男たちを懲らしめる、新しく正しい勢力だった。

ところがその後、社会党は消費税をなくすことに失敗したと聞いた。参院選で勝っただけで消費税を廃止するというのはあまりに難しい。いや、社会党はもとより本気ではなかったのだ。あるいは無能だっただけだろうか。これも自民党に対するのと同じく、親の言葉やテレビから流れていた言葉であったのだろう、今の自分の記憶の中にある印象である。

社会党のイメージは、自民党のそれのようには定まらなかった。結局社会党は頑張ったのか、頑張らなかったのか、国の政治に無能な政党というものが存在するのか、よく分からなかった。1990年の冬、中学受験で滑り止めにだけ合格したものの、落ち込むよりも、久しぶりに手に入れた自由な日々を満喫していた僕は、おそらく日付が変わるころまで、衆議院の総選挙の特番を見ていた。もやもやしたものが何か、確かめられるかもしれないと思ったのだ。

その結果は、議席を減らしたものの自民党が過半数を上回る議席数を維持、社会党が大躍進、第3党以下は不振、というものだった。もやもやは絶頂に達した。「なんで悪者の自民党が勝つの?」、「え、社会党も勝ったの? 自民党だけが勝ったんじゃないの?」。無理もない。社会党の歴史も、それがどんな政党かも知らなかった。誰かから聞いていたかも知れないが、記憶はない。聞いていたとしても、周りよりも幼かった自分が理解できたとは思えない。しかし当時の自分に同情したいのは、自民党が過半数を上回っているのに社会党が勝ったというのは、子供にはとても理解できないということだ。野党がどんなに議席を伸ばしても、与党が過半数を上回る議席を守った場合、それは野党の敗北ではないのかということは、民主党の躍進が最大の話題となり、その勝利が称えられた2003年の総選挙の時にも、一部で言われていたことだ。

五十五年体制下の当時からの、野党が伸びて自民党が減れば、相変わらず自民党(あるいは自民党と連立相手の合計)が過半数を上回っていても勝ちだという、よくわからない価値観は、意外と粘り強く残っている。五十五年体制下、自民党が過半数を上回っても(それは当然視されていた)、3分の2を超えることは難しく、党是の憲法改正は実現させられなかった。ただし同党内には、憲法改正に消極的な議員も少なくなかった。当時は基本的に左派政党しかなかった野党は、合計で3分の1さえ上回れば、少なくとも憲法改正は阻止することができた。このような状況下、自民党は与党の立場に留まることで満足、野党は合計で3分の1を維持し、根本的な右傾化を阻みさえすれば満足の、なれ合いに近い政治となってしまった(社会党は、野党第1党に流れることの多い、反自民票を得ていたから、このなれ合いを打破しようとする政党の、出番はなかった。これは有権者の判断でもある)。民主党が下野し、自民党1強に戻ってから、再び3分の2(逆から見れば3分の1)のラインが注目を集めるようになった。これは情けないことであるが、今のところ、時代や制度の変化もあり、なれ合いにはなっていない。自民党が過半数を上回っていても、野党が増えれば野党の勝ち、という見方は、なれ合いの兆候かも知れない。

話がそれたが、ともかく、みんなが自民党に、そして消費税に怒っていたのに、総選挙の特番は、変化を告げるものではなかった。後はなぜだか、「民社党って何?」と、父親に聞いた記憶が残っている。(この時、第3党以下は議席を減らし、皆落ち込んでいた。一方報道では、2大政党制に進んだようなことが話されていた。)

それから4年、政治への関心も薄れていた高一の夏、再び、親も、先生も、テレビもすごい結果になるだろうと言う、そんな選挙があった。1993年の、衆議院議員総選挙である。これには久々に興奮した。といっても当時は関心を失っていたから、小沢一派、そして鳩山由紀夫を含む武村一派が自民党を離党した、総選挙前の自民党の分裂劇も、特に興奮もなく、その後のバラエティやドラマを楽しみにしながら、あるいはその余韻に浸りながら、なんとなく見ていたという程度だった。

しかし、しかしである。ついに悪者自民党が政権を失うかもしれない。日本は変わる。無関心は快感へと変わった。それまでの無関心を取り戻すかのように、僕は選挙速報、その後のテレビのニュース、新聞にかじりついた。親が買ったものを読むことしかなかった週刊誌も、たまに買うようになったのはこの当時からだと記憶している。

しかし、しかし、しかしである。正義だったはずの社会党はボロ負け、自民党の次に大きな政党なのに総理大臣を出せない(よく考えれば不思議なことだが、一番大きな自民党が政権を維持するべきだとは思わなかった)。新政権の中心は、自民党からの離党者達、自民党のダークな部分だと言われていたはずの小沢一郎が握っているのだという! 自民党の議席数は選挙前とほとんど変わらず圧倒的だった。それなのに自民党の負け?

頭はパンク寸前だった。一番不思議だったのは、小沢一郎への評価が180度変わっていたことだ。小沢らは自民党の黒い部分であるように言われていた。それが、自民党を離党して野党と組む流れになると、一気に改革のヒーローとなった。確かに小沢は改革派であった。しかし、竹下派の主導権争いに敗れて、小渕派となることが決まった同派を割り、小派閥となったことで、生き残りのために改革を掲げたのだという印象を、僕はテレビや新聞から得ていた。これも何かのテレビ番組によるものだろうが、大人になって調べると、非常に難しいところなのだが、ともかく、そんな印象を持ち、報道の小沢礼賛にはついていけなかったのだ。

だから細川内閣の誕生については、自民党の中心部にいた人達が牛耳る政権の誕生を、政権交代と呼んでいいのかという、疑問よりも憤りに近い感情を持った(上で述べたなれ合い政治を終わらせるためには、このような形、まだ圧倒的な第1党であった自民党を外した、ほぼ全党が組むという形をとることも、必要であったと今は思えるが)。

しかしそんな政権交代も、結局一年もたたず、自民党は政権に戻った。だが僕はむしろ、自社さ連立内閣の誕生を喜んだ。それに、一度目にした自社大連立を予想する週刊誌の記事に入れ込んで、その誕生を「予言」して回っていたから、周囲からは驚かれ、その点でも良い気分を味わうことができた。

長々と思い出話をしてしまったが、そうするといつも、日本の政治の問題点を思い起こすことができる。あれから25年が経ち、日本の政治は変わったようにも見えるが、問題は解消されていない。それが何か、改めて整理しておきたい

まずは自民党が悪者でありながら選挙で勝っていたという、不可解極まりない現象である。その理由は簡単だ。詳しくはまた述べるが、例えるなら、反抗期の子供にとっての親のようなものだったのだ。嫌いなところがたくさんあるが、代わりがいない。自分の親を嫌いだからといって、近所のおじさん、おばさんと、取りかえるのはさすがにいやだろう。

「日本人を反抗期の子供に例えるなんてけしからん」という声、「そうだ、野党を支持する有権者なんて馬鹿だ」という声があるだろう。しかし、日本人が政権を本気で選択しようとせず、文句ばかりを言っていたのは紛れもない事実だ。自民党がしばしば悪役になったのも、国民が強いものを安心して責めていたのに過ぎない。自分は勝てないと安心して、親に殴りかかるようなものだ。それは反抗期である。自民党の方が野党よりも優れていると考えて自民党に票を投じることが正しいとしたなら、なぜ何度も新党がブームを起こり、細川、小泉、鳩山由紀夫内閣の当初の支持率は、あそこまで高かったのだろうか。

経済が常に成長し続ける時代が終わり、冷戦も終わり、日本人は反抗期を終えねばならなくなった。それでも政権交代は、定着しているように見えない。むしろ、自民党が最強の善玉となり、民進党が弱い悪玉となった。「子供達」は、親が不在の日に一度面倒を見てくれた不慣れな近所の人を、本気で向き合おうともせずに嫌い、うちの親はできている。家の外はバカばっかりだと豪語するようになった。「親」は親で、自分以外の人に子供を触れさせたくないという思いを強くし、子供を片時も離そうとしなくなった。

もちろん日本人全員のことを言っているわけではないし、民進党に問題が多いことは確かだが、前よりさらに不健康になった気がしないだろうか。

やはり問題なのは、自民党に対する甘えである。大雑把に言えば、自民党、次に自民党を脱した小沢一派中心、その次に自民党、次に小沢一派が合流した民主党、次に自民党へと、政権が「交代」したことである。要するに自民党系が絡んでないと信用できないのだ。そして安倍政権が思ったほどには良くないことに気付き、また安倍政権に飽きた国民には、「自民党でありながら自民党でない」という、「愛すべき」小池百合子が用意された。あまりにうまくでき過ぎていて、素直にありがたがった方がよさそうな状況であった。

しかしそれはしなかった。自民党系が絡んでいないと安心できないという意識、状況を改める道はあると信じているからである。もちろんその道を歩く時、野党を育てるということを避けて通ることはできない。議員達に不毛な再編を繰り返させずに、非自民の一大政党を育てる、険しい道を歩いていきたい。そのためのヒントを、これから得ていこうと思う。

最後に、小池百合子には同情する面も少しある。1993年以来25年間、自民党では、父親が町長であった森喜朗(2000年4月~2001年4月の1年間)を除き、世襲議員しか総裁、総理大臣になっていないからだ。世襲議員ではない小池が、違うやり方で総理大臣を目指しても、不思議ではなかった。これも大きな問題だ。