1.政権交代論

ポルトガル

※特に、立石博高編『スペイン・ポルトガル史』を参照した。

1820年の自由主義革命の後、自由主義者と、それに反発する保守派が対立した。対立は内戦を経て自由主義者の勝利に終わったが、自由主義者達は穏健派と急進派に分裂した。そして都市部で躍進した急進派が反乱を起こし、反乱による政権の奪い合いが続いた。1852年、下院に直接選挙(ただし厳しい制限選挙)が導入され、穏健派中心の刷新党、穏健化した急進派の歴史党(1876年に改革党と合流して進歩党を結成)による、2大政党制に近い状態となった(歴史党が1856年に政権を得て、政権交代のある政治が実現した)。それは後の日本における西園寺の「憲政の常道」のように、国王によって政権交代が起こされ、新たな与党が総選挙で勝利するというものであった。新興の共和党が2大政党のそれぞれ一部を吸収し、刷新党の分派、右派自由刷新党の政権を反乱によって倒し、1910年に共和政を成立させた。旧体制を支持していた政党は消滅したが、共和党は多数派で左派の民主党と、中間派の改進党、右派の統一党に分裂した。統一党の支持を得た民主党が政権を担い、納税額による制限が撤廃されていた参政権について、識字能力に関する制限を強めた。第1次世界大戦が勃発すると、イギリスに追従しようとした民主党政権が、大統領によって、軍人を首班とする反民主党政権に代えられた。その背景には王党派やカトリック教会があった。しかし民主党の決起、総選挙での勝利によって、再度民主党政権が誕生した(一時は改進党が首相を出す連立)。その後、統一党系の軍人が反乱を起こして憲法を改正、男子普通選挙を実現し、大統領に就任した。しかしそこには王政復帰を志向する勢力の影響力が働いており、統一党も下野した。内戦を経て、1919年に民主党政権が復活、大統領のポストを獲得した進歩党は統一党と合流、保守派の共和政党、自由党(後に民主党再右派の離党者が結成した再建党と合流して国民党)を結成した。一時第1党に躍進した自由党も、国民党時代を含めてその前後何度か政権を担当したが、国内は相変わらず不安定であり、クーデタを経て、1926年から独裁体制になった。

1974年の軍のクーデタによって、独裁政権が倒れ、共和政となった。主な政党は、社会民主主義の社会党、中道の社会民主党(もともと人民民主党であったが、全国的に左が強かったことに影響を受けた党名となった)、右派政党の民主社会中道-人民党、共産党(と緑の党のブロック)、それとは別の左翼ブロックがある。政権は、社会党と社会民主党が交互に担当しており、2大政党制に近い。

2019年の総選挙では、共産党、人民党のブロックが議席を減らす一方、新たないくつかの環境主義政党(総選挙前の結成ではなく、それまで議席を得ていなかった)、Chega(「十分だ」の意。社会民主党離党者による右翼的な政党)、リベラルイニシアチブ(親EUの自由主義政党)が議席を得た。