1.政権交代論

カナダ

1841年、フランス系とイギリス系による、イギリスの連合カナダ植民地が成立し、1842年、イギリス系の保守派、フランス系のブルー派(穏健保守の対イギリス系柔軟派)による改革派政権が成立した。イギリスの自由貿易政策によって、経済が打撃を受ける中、アメリカとの対等な併合の要求も起こった。改革派政権は、英語だけでなく、フランス語も公用語とした。西側の農本主義的な急進派が、クリア・グリッツを結成、西側の人口が東側を上回る中、それまでとは反対に東側に有利なものとなった議会の東西同数制を改め、比例代表制を導入すること、政教分離、消極財政、アメリカとの自由貿易を主張した。クリア・グリッツは改革派と連立を組んだが、離脱した。1854年、保守派、改革派中の右派(ブルー派の系譜を含む穏健派)が合流し、自由・保守党を結成した。同党は、1873年に保守党に改称する。1857年、改革党左派とクリア・グリッツが合流し、自由党を結成した。政権を担った勢力が2つの政党に整理されていったのである。1864年には、自由・保守党と自由党による、対アメリカ防衛の大連立が成立した。しかし1865年、連邦国家を志向し、中央集権志向の保守党と対立した自由党が、政権を離脱した。同党とルージュ派(対イギリス系強硬派)、諸州の自由党が合流し、改めて自由党を結成した。

1867年、自治領となって初めての総選挙は、保守党101、自由党80、計181となった。1873年、汚職事件が自由党への政権交代をもたらした。以後、保守党の系譜と自由党による2大政党制が、例外となるわずかな期間を除いて続いている。2大政党の最大の差異は、保守党がイギリスとの関係を重視したのに対して、自由党がアメリカとの関係を重視したことであった。第1次世界大戦中の1917年から終戦後の1920年まで、内閣は保守、自由2党による大連立となった。

1920年、高利の借金の返済に苦しみ、関税引き下げを求める、西部の農民運動が、自由党内閣の農業大臣を辞任した人物を指導者とする、進歩党を結成した。同党は党議拘束なき運動体であり、マニトバ州の勢力は、自由党の変化を促そうとする親自由党路線、アルバータ州の勢力は独自性重視であった。1921年の総選挙では、第1党であった保守党が50議席と大敗、自由党118、進歩党62、労働党3、無所属2、計235と、進歩党に歩み寄る姿勢も見せた自由党が第1党となるも、多党化の影響もあり、過半数には達しかった。それでも同党の単独内閣が成立した。関税引き下げを求める進歩党と、関税引き上げを求める沿海州(製造業が発展していたが不振に苦しんでいた)のマリタイム・ライツ運動(総選挙では自由党を支持した)の板挟みとなり、1925年の総選挙では、後者が自由党から保守党へと、支持を変えた。結果は保守党116、自由党101、進歩党24、労働党2、無所属2、計245となり、保守党が第1党となったものの、過半数を上回らなかったため、自由党は進歩党の協力を得て、政権を維持した。しかし、自由党に汚職問題が起こったことから、進歩党は協力をやめ、内閣不信任案可決が決定的になり、カナダ総督(イギリス国王の名代)に下院の解散を求めて拒まれた。保守党が政権を得たものの、やはり総督に下院の解散を求め、今度は慣例通り認められ、自由党が自治の侵害だと批判した。その、1926年の総選挙の結果は、保守党91、自由党117、進歩党23、自由進歩党(自由党に近い進歩等の分派)8、労働党4、無所属2、計245となり、自由党と自由進歩党の連立内閣が成立した。自由党内閣がイギリス本国と自治領の対等化を進めることに成功したが、世界恐慌下の1930年の総選挙は保守党136、自由党89、進歩党12、自由進歩党3、労働党3、無所属2、計245となり、自由主義を維持して有効な対策を施せなかった自由党が破れ、帝国内自由貿易(帝国外については保護貿易)を主張した保守党が、過半数獲得を獲得した。こうして誕生した保守党内閣であったが、アメリカの反発を招き、イギリスとの歩調すらうまく合わなかった。ニューディール政策を模した政策も、州権、経済への介入に対する反発を招いた反発もあって、順調には進まないまま、1935年の総選挙を迎えた。自由党173、保守党40、社会信用党17、協同連邦党7、自由進歩党4、オンタリオ農民連合(上では進歩党に含めた)・労働党1、再建党(保守党の分派で政府の経済への介入、経済改革を主張)1、無所属2、計245という結果が出て、自由党内閣が成立した。しかし自由党内閣も、同党の本来の姿勢に反して、国の権限を強化する姿勢に転じた。1935年の総選挙は、小選挙区制を採っていたこともあり、進歩党が一定の議席を得ていた以外は、大部分の議席を2大政党が得ていたカナダの、多党化が始まった総選挙でもあった。社会信用党は、社会信用論(イギリスの経済学者が唱えた、ベーシックインカムなどを含むもの)を採り、金融緩和を主張した。協同連邦党は、農民、労働組合、協同組合などの左派勢力が結成した政党であった。ポピュリズム政党であった前者は1980年以降議席を得られなくなったが、社会主義的組織政党であった後者は、第3党の地位を固めていった。自由党が左までフォローしていたカナダにおいて、社会民主主義政党が育っていったのである。ただし、第2党になることはあっても、イギリスのように、第1、2党の地位を得ることはなかった。これらの新党は、アメリカに端を発する大恐慌の厳しい状況の下、農業地帯であった西部カナダの、商工業が盛んな中部との利害の衝突によって誕生した。このような面について、進歩党の後継であったと言える。

低迷していた保守党は1942年、マニトバ州の進歩党政権の首相であった人物を党首とする、進歩保守党を結成し、それまでよりもやや左の、自由貿易、社会保障の充実を志向する政党となった。しかし1945年の総選挙でも、自由党の過半数維持を許した(進歩保守党67、自由党126、協同連邦党28、社会信用党13、自由進歩党1、Bloc populair2―第2次世界大戦への参戦に反対したケベック州の政党―、労働進歩党1―禁止された共産党―、無所属7、計245)。保守党政権の期間が長い時期もあったカナダであったが、この頃から現在に至るまで、自由党政権の期間が長い。それでも1957年の総選挙では進歩保守党が政権交代を実現させ(進歩保守党113、自由党107、協同連邦党25、社会信用党19、無所属1、計2650)、翌年の総選挙では、進歩保守党208、自由党48、協同連邦党8、自由労働党1、計265と、圧勝している。1962年の総選挙は進歩保守党116、自由党99、社会信用党30、新民主党(協同連邦党が改称)19、自由労働党1、計265となり、進歩保守党内閣が1963年まで続いた。同年には、核兵器の配備に消極的であり、アメリカとの関係を悪化させた進歩保守内閣に対する不信任案が可決され、総選挙で自由党が第1党となった。社会信用党は1963年、東西の2つに分裂し、後に再統一を果たしたものの衰退した。1972年の総選挙で自由党が進歩保守党に数議席差まで迫られた時、新民主党は自由党内閣の継続に協力した。

1980年から1993年までは、1993年までは、2大政党+新民主党という体制が続いたが(ただし1984年の総選挙は進歩保守党211、自由党40、新民主党30、無所属1、計282と、自由党が惨敗して、政権を奪われるだけではなく、新民主党に10議席差まで迫られた)、1993年の総選挙は、政権を担っていた進歩保守党がわずか2、自由党178、新民主党8、ケベック連合54、改革党52、他1、計295と、激変した。この総選挙は、日本においても、小選挙区制のダイナミックさを示す例として、よく用いられる。しかしその事情は、特殊である。フランス系住民が多く、そうでない他の州とは異なる特別な地位を求めるケベック州に歩み寄ったものの、決裂した進歩保守党内閣に、西部の保守派は失望し、1887年に、社会信用党党首・アルバータ州首相であった人物の息子を党首に改革党を結成した。しかし議席を得られない状況であった。ケベック州でも、独立を求める新党、ケベック連合を1991年に結成した。進歩保守党は、地盤であった東部で弱体化した上に、増税で人気を落とし、惨敗したというわけである。互いに相反しており、共に多数派にはなり得ない民族主義的な2党が、中道左派の大政党に挑戦する、安定と不安定が同居するような体制となったのだ(ただし改革党が新自由主義的・右翼的であったのに対し、ケベック連合は社会民主主義政党でもある)。以後、しばらく自由党内閣の時代が続いた。一方の進歩保守党は、改革・保守同盟と合流し、保守党を結成した。その頃の総選挙の結果は次の通りである。

1997年 自由党178、進歩保守党20、新民主党21、ケベック連合44、改革党60、他1、計301

2000年 自由党155、進歩保守党12、新民主党13、ケベック連合38、改革・保守同盟66、計301

2004年 自由党135、保守党99、新民主党19、ケベック連合54、他1、計308

2006年の総選挙は、保守党124、自由党103、新民主党29、ケベック連合51、他1、計308となり、保守党が政権を獲得した。同党の内閣はアメリカとの関係改善に取り組み、法人税を引き下げた。2008年の総選挙は保守党143、自由党77、新民主党37、ケベック連合49、無所属2、計308となり、保守党が政権を維持した。アメリカからの高額の戦闘機購入に起因する内閣不信任案の可決を受けた2011年の総選挙であったが、保守党166、新民主党103、自由党34、ケベック連合4、緑の党1、計308となり、保守党がむしろ議席を伸ばして過半数を上回った。新民主党が、不祥事で支持を失った自由党を上回るm第2党となったことも印象的な選挙であった。2015年は自由党184、保守党99、新民主党44、ケベック連合10、緑の党1、計338となり、自由党が政権を奪還した。2019年の総選挙は自由党157、保守党121、ケベック連合32、新民主党24、緑の党3、計338となった(保守党から分裂してできた人民党は1議席あったが、失った)。自由党は過半数を割ったが、少数与党内閣として政権を維持した。

カナダの政党の系譜