1.政権交代論

デンマーク

デンマークでは、自由派(左翼党を結成、現在の正式名称は左翼・デンマーク自由党である。)、新たに下院に進出した社会民主党(1871年結成)が、下院を基盤とする内閣の成立を主張した。1859年から1865年は基本的に、民族主義的自由主義の、国民自由党が首相を出していた。国民自由党は、他の自由主義者と下院の勢力を二分し、保守派(右翼党として徐々に政党化し、1916年に、自由党を離れた一部の穏健派も含む保守国民党を結成)は少数派であった。しかしプロイセン、オーストリアとの戦争に破れ、両国に領土の一部を割譲すると、国民自由党の勢力は弱まった。その前後は右翼党の時代であった。右翼党は1866年から1875年まで国民自由党と連立を組み、同党を吸収した。右翼党の首相は国王による任命と支持、上院を拠り所とし、同党が少数派であった下院と対立した。自由主義者が結成した左翼党(以後自由党とする)からは、右翼党と妥協しようとする穏健派が離党した。下院は自由党優位の2大政党制から、自由党改良派(残部。左翼改革党)、右翼党、自由党穏健派の鼎立状態となった。1900年前後より、議席を伸ばした社会民主党が、これに加わった。右翼党は都市部のエリート層を中心的な支持基盤としていた。その後、右翼党が減少、社会民主党が伸び、自由党改良派優位の多党制になり、自由党改良派が政権を得た(多党化した背景には、1920年―首都は1918年―の総選挙から、比例代表制が導入されたことがある)。彼らは穏健派との再統合を果たした。その一方で、自由党が右翼党の軍事政策に理解を示したことなどに反発した平和主義者、自由党の改革的な姿勢が鈍化していることに反発した都市部リベラル派、小農等が離党し、急進左翼党(社会自由党とも。以下急進党とする)を結成していた。こうして自由党・右翼党(1916年より保守国民党)と急進党・社会民主党という、2つの勢力による、政権交代を伴う体制となった。

1901年から1924年までは、基本的には自由党か急進党の内閣であった。自由党が首相を出すことの方が多かったが、約8年間は急進党が出している(1909年が初)。社会民主党は急進党より多くの議席を得るようになったが、自由党にはまだ少し及ばない状況であり、急進党に協力していた。急進党と保守党(保守国民党)は第3党の地位を奪い合っていたから、2つの陣営に分かれていた主要4党(右翼党→保守国民党-自由党と、急進党-社民党)は、両陣営の、下院の議席が多い政党が、少ない政党を担いでいたということになる。1926年に、1924年に続いて第1党となった社会民主党の政権が誕生してからは、現在まで、社会民主党と自由党が、首相を出している(単独の場合も、社会民主党と急進党、自由党と保守国民党の連立の場合もあった。前者には1957年から1960年までは正義党が加わっていた)。ただし1968年から1971年は急進、保守国民、自由3党連立内閣、1982年から1993年は保守国民党と自由党の連立政権であった(一時期は中道民主党―社民党の最右派が1973年に離党して結成―とキリスト教人民党、または急進党が加わっていた)。自由党は右翼政党の国民党に接近し、自由党が与党の時には、国民党の意向が反映されるようになった。首相を出している期間は、社会民主党の方が長い。その中でも戦前は、当初こそ単独であったものの、急進党との連立か、挙国一致内閣である期間が長く、戦後は単独、急進党との連立(一時期は正義党―地価にのみ単一の税をかけるジョージズムを志向し、EUについては否定派となった―も加わっていた)、単独、急進党との連立(一時期は中道民主党、キリスト教民主党も加わっていた)、急進党との連立(一時期は社会主義人民党―1959年、ソ連の干渉に反発した者達が共産党を離党して結成―も加わっていた)という変遷をたどった。自由党内閣は単独か、保守国民党との連立であり、後者の期間が長い(2016からは自由党、自由同盟―保守国民党と人民党の離党者が結成した中道を自負する新自由主義的政党―、保守国民党の連立)。

1903年から1913年の総選挙の結果は次のとおりである。

1903年:自由党改良派(左翼改革党)73、社会民主党16、保守党12、自由党穏健派(穏健左翼党)12、他1、計114

1906年:自由党改良派56、社会民主党24、右翼党12、急進党9、自由党穏健派9、無所属4、計114

1909年:自由党改良派37、右翼党21、自由党穏健派11、社会民主党24、急進党15、無所属6、計114

1910年:自由党(左翼党。改良派と穏健派が再統一)57、右翼党13、社会民主党24、急進党20、計114

1913年:自由党44、右翼党7、社会民主党32、急進党31、計114

*1920年の総選挙からフェロー諸島に、1953年9月の総選挙からグリーンランドに議席が配分されているが(それぞれ2議席、フェロー諸島は1945年の総選挙までは1議席)、ここでは省略する。

 

右翼党の退潮が印象的だが、次の総選挙では20議席台に増え、後には、社会民主党には大きく引き離されているものの、第2党になることもあった。社民党は、最左派が離党して左翼社会主義党を結成したものの(1919年)、その前後とも好調で、1935年になると次の通り、他党に大差をつけている。戦後間もなくの一時期、自由党にある程度迫られたが、この傾向は20世紀の間は変わらなかった(その後は、2001年に自由党に第1党の座を奪われたが、2015に奪還)。社会民主党68、自由党28、保守国民党26、急進党14、農民党5、正義党4、共産党(1920年に社会主義左翼党が改称)2、シュレースウィヒ党(少数派のドイツ系を代表する地域政党)1、計148。1943年にはデンマーク連合(キリスト教ナショナリズム、中道の政党)、国家社会主義労働者党(親ナチス)がそれぞれ3議席を得た。第2次世界大戦終結後の1945年の総選挙では、社会民主党が前回の66よりかなり減って48議席となり、議席のなかった共産党が18議席を得た(社民党が第1党ではあったが、自由、保守国民両党の合計が社民、急進両党の合計を上回ったことから、自由党に政権が移った)。しかしこれが共産党のピークであり、1947年の総選挙では半分の9議席しか得られず、その水準をしばらく維持したものの、1960年の総選挙から議席を得られなくなった。その分社会民主党が盛り返し、1970年代には、明確に他党を大きく引き離すようになった。急進党も1970年代には、保守国民、自由両党と同水準となるまでに盛り返した。1947年の総選挙ではまた、デンマーク連合が議席を失った。

戦後のデンマークでは、社会民主党が他党を引き離していることが多かったが、第2党以下は、総選挙のたびに、入れ替わることが多かった。1971年までは、第2党以下では自由党、保守国民党の議席数が比較的多く、両党の順位は入れ替わることがあった。低迷していた急進党がこの水準に達したと言える一方、これに先に達していたと言える社会主義人民党が脱落した。1971年の総選挙の結果は、社会民主党70、保守国民党31、自由党30、急進党27、社会主義人民党17、計175となった。1973年の総選挙は社会民主党46、進歩党28、自由党22、急進党20、保守国民党16、中道民主党14、社会主義人民党11、キリスト教人民党7、共産党6、正義党5、計175となった。社会民主党の議席数が以前と比べてかなり少なくなり、高福祉高負担のデンマークにおいて、低負担を唱える進歩党が、不況を背景に躍進して第2党となり、新党も議席を得て、正義党も議席を回復するという、多党化が目立つ結果であった。1975年は自由党が42議席を得て53議席の社会民主党に迫る一方、急進党は13、保守国民党は10、社会主義人民党は9に減り、進歩党も24議席に後退、第3党に転落した(他にキリスト教人民党9、共産党7 中道民主党4、左翼社会党(社会主義人民党の離党者が1967年に結成)4、計175議席)。1977年は社会民主党が65議席と盛り返し、進歩党が26議席で再び第2党になる一方、自由党が21議席に半減した。保守国民党は15議席に増え、中道民主党も11議席に増えた。(他は社会主義人民党7、共産党7、急進党6、キリスト教人民党6、正義党6、左翼社会党5、計175)。1つ飛ばして1981年を見ると、社会民主党59、保守国民党26、社会主義人民党21、自由党20、進歩党16、中道民主党15、急進党9、キリスト教人民党4、左翼社会党5、計175と、進歩党の退潮が目立っている。復調した保守国民党は、1984年には42議席を得て、56議席という社会民主党の議席数に近づいた。この選挙で進歩党は、6議席にまで減った。この頃は社会主義人民党も好調で、1987年の総選挙では第3党となった(社会民主党54、保守国民党38、社会主義人民党27、自由党19、急進党11、中道民主党9、進歩党9、キリスト教人民党4、コモンコース-1979年に共産党を除名された者達が1986年に結成した左翼政党で、1991年に赤緑連合に参加-4、計175)。しかし1990年代に入ると、保守国民党も社会主義人民党も議席を減らし、自由党が再び社会民主党に迫っていった。そして2001年の総選挙は次の通りとなり、社会民主党がついに第2党に転落した。自由党56、社会民主党52、国民党22、保守国民党16、社会主義人民党12、急進党9、キリスト教人民党4、赤緑連合(1989年に結成され、1994年から議席を得ていた、1979年以降議席を得ていなかった共産党や、1987年以降議席を得ていなかった左翼社会党の連合)4、計175。国民党とは、進歩党の離党者が結成した政党であったが、事実上は進歩党の本流であった。自由党は、2015年の総選挙で敗れるまで第1党の地位を守ったが、2011年の総選挙では左派政党(社会民主党、社会主義人民党、急進党、赤緑連合の合計が、右派政党(自由党、国民党、自由同盟、保守国民党)の合計をわずかに上回ったため、社会民主党に政権が戻った(急進党、社会主義人民党-2014年に離脱-との連立)。自由同盟は2007年、新同盟として初めて議席を得ていた(5議席)。2015年の総選挙は、社会民主党47、国民党37、自由党34、赤緑連合14、自由同盟13、オルタナティブ(社会民主党の離党内者達が結成した環境政党)9、急進党8、社会主義人民党7、保守国民党6、計175となり、国民党が第1党の社会民主党の議席数に近づく一方、社会民主党と自由党がなんとか地位を守った。2011年の反対で、自由党内閣が誕生し、翌年自由同盟と保守国民党が加わった。2019年の総選挙は、社会民主党48、自由党43、国民党16、急進党16、社会主義人民党14、赤緑連合13、保守国民党12、オルタナティブ5、新右翼(保守国民党出身者が結成した右翼政党)4、自由同盟4、計175となり、国民党が大敗、オルタナティブ、自由同盟が議席を減らす一方(分裂で減っていた?)、自由党、社会主義人民党、保守国民党が伸びた。第1党が首相を出す状態に戻ったが、社会民主党単独の少数与党政権となった。