日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
スウェーデン

スウェーデン

スウェーデンは18世紀前半、身分制の議会が強く、ハット党(対ロシア強硬派、自由派)とキャップ党(対ロシア融和派、保守派。メッサ党とも)が形成され、交互に政権も担当した。しかし激しい対立と腐敗が反発を招いたこともあり、一度国王の権力が強くなった。その後、この両党よりは本格的な政党に近い農民党が誕生し、保守派に挑戦、1880年から1883年にかけて首相を出していたが、政権獲得を目指す政党ではなく、政党内閣とは言い難いものであった。同党は、増税につながらない消極財政を志向していたが、関税政策については党内に差異が生じ、新農民党と旧農民党に分裂した。本格的な政党としては1889年、社会民主労働党が結成された。同党と近かった自由主義派も、1902年に自由主義国民連合を結成した。保守派、農民党、保護貿易派が交代で政権を担う時代があり、1905年に自由主義国民連合内閣が成立した。総選挙で過半数に迫る議席を得た自由主義国民連合に、議席の少なかった社会民主労働党が協力をした(まだ普通選挙制ではなかった)。こうして、保護貿易派と一体化して政党化していった保守派と、自由主義国民連合が交互に政権を担う時代に入った。1908年の総選挙では社会民主労働党が議席を伸ばし、自由主義国民連合105、保守派91、社会民主労働党34、計230となった。制限選挙でなくなり、5大都市以外が間接選挙・小選挙区制であったものが、直接選挙となり、比例代表制となった後の1911年の総選挙は、自由主義国民連合102、保守派64、社会民主労働党64、計230となった。国王は自由主義国民連合内閣の防衛政策を不十分だとし、国王が公式の見解を表明する際、大臣の助言を求めるべきだとする自由主義国民連合、社会民主労働党と対立した。この影響により内閣は総辞職し、保守派の内閣が成立し、下院を解散した。こうして行われた1914年3月の総選挙は、保守派86、社会民主労働党73、自由主義国民連合71、計230となり、保守派は多数派にはなれなかった。第1次世界大戦が勃発すると、野党2党も、政府の防衛政策を支持した。同年9月の総選挙は、社会民主労働党が87議席を得て、初めて第1党になった。保守派は86、自由主義国民連合は57、計230議席であった。それから2018年現在まで、同党は第1党の地位を守っている。1917年の総選挙は、社会民主労働党86、自由主義国民連合62、保守派57、社会民主左翼党(社会民主労働党の左派の離党者達が結成)11、農民同盟(小農の利害を代弁)9、全国農民同盟(大農の利害を代弁)5、計230となり、保守派から、自由主義国民連合と社会民主労働党の連立に、政権が交代した。そして1920年、社会民主労働党75、保守派71、自由主義国民連合47、農民同盟20、全国農民同盟10、社会民主左翼党7、計230となり、社会民主労働党の単独政権が成立した。1921年の総選挙は社会民主労働党93、保守派62、自由主義国民連合41、農民同盟(2つの農民政党が合流したもの)21、共産党7、社会民主左翼党6、計230となり、社会民主労働党がさらに議席を伸ばし、共産党も議会に進出した。社会民主左翼党は1921年に分裂し、左派が共産党、右派が新たに社会民主左翼党を結成した。後者は1923年に社会民主労働党に戻った。翌1924年の総選挙では、社会民主労働党が104議席と、100議席を上回った。他は保守派65、自由主義国民連合(同党右派の絶対禁酒派)29、農民同盟23、自由党(自由主義国民連合の禁酒反対派)4、共産党(社会民主労働党に復党しなかった左翼社会民主党員が結成)4、Hoeglund派共産党(共産党離党者が1924年に結成、1926年に社会民主労働党に合流)1、計230であった。それでも過半数には及ばなかったが、社会民主労働党と農民同盟の連立が誕生するまでは、社会民主労働党、保守党、自由主義国民連合のいずれかの、単独内閣が続いていた。自由主義国民連合の単独内閣は与党が非常に少数であったが、保守系と社民系の間に位置する内閣であった事から、存在し得た。1934年、分裂していた自由主義国民連合系は、国民党として統一された。

1936年、農業助成などで社会民主労働党内閣に協力していた農民同盟が国民党と組んで、政府案よりも多くの防衛関係予算を提案したことから、農民同盟単独内閣が成立した。しかし、9月の総選挙において、社会民主労働党が第1党の地位を維持したため、社会民主労働党と農民同盟の連立となった。第2次世界大戦が始まると、共産党を除く挙国一致内閣となった。戦後、社会民主労働党と農民同盟の連立に戻ったが、両党が国民年金に付加する年金の問題で一致できず、社会民主党案(強制)、農民党案(国民年金を引き上げた上で、さらに任意の付加)、保守派と国民党の案(任意)のいずれかを選ぶ、国民投票が行われた。この結果、社会民主党案が最多となり、農民同盟が連立を離脱した。国王は左右の別で言えば右派政党が多数派であったことから、右派政権の成立を目指した。しかし農民同盟は、直ちに保守派と国民党の陣営に移ることはしなかった。このため1958年に結局、社会民主労働党の単独政権となった。そこから1976年まで、社会民主労働党の単独政権が続いた(共産党が支持)。同党が首相を出し続けていた期間は、1936年からで、40年間(1936年の3ヶ月あまりを除けば、1932年からの約44年間)に及んだ。

この間の総選挙の結果を見ると、社会民主労働党が、一時は保守派に迫られるも(1928年に90議席と73議席)、基本的には第2党の2倍近くを得ていた(過半数に届くことも珍しくはなかった)。保守派の指定席となっていた第2党は、次第に自由主義国民連合→国民党と入れ替わるようになっていった。自由主義国民連合は1932年以降、再統一を果たして国民党となった後も、一時は36議席を得た農民同盟の、後塵を拝するようになっていた。しかし、1948年の総選挙は社会民主労働党112、自由主義国民連合57、農民同盟30、保守派23、共産党8、計230となり、第2党に躍り出た。その後は農民同盟が第4党に沈んだが、1957年に中央党に改称し、1964年に第3党であった右翼党(保守派。1958年の総選挙では第2党)を抜き、第3党となった。共産党からは1929年、スターリンを批判した党員が除名されてKilbom派共産党を結成、議席のない状態であったが、1932年の総選挙において、共産党の2議席を上回る6議席を得た。同党は1934年、社会民主労働党の離党者と、社会主義者党を結成したが、1940年の総選挙で議席を失い(6から0に。共産党は5から3)、1948年に解散した。共産党は1967年に左翼党-共産主義者に改称した。

1976年の政権交代は、なお大差で第1党であった社会民主労働党から、中央党、穏健統一党(保守派が右翼党から改称)、国民党の3党連立へ移るものであった。1978年に国民党単独内閣、1979年に中央党、穏健統一党(1981年に離脱)、国民党の連立が成立した、1982年に社会民主労働党政権に戻ったものの、9年後の1991年には、穏健統一党、中央党、自由国民党(1990年に国民党が改称)、キリスト教民主党の連立内閣が成立(信任投票において新民主党が反対せず棄権)、以後、この右派連立と社会民主労働党が、交互に政権を担う形になっている(2014年から2021年は社会民主労働党と緑の党の連立)。ただし後述の通り、2022年からは変化が見えてきている。

1976年の総選挙は、社会民主労働党152、中央党86、穏健統一党55、自由国民党39、左翼党-共産主義者17、計349となり、社会民主労働党と左翼党-共産主義者という左派政党の合計を、他の政党が上回ったため、政権交代が実現したのであったが、一つ前の1973年の総選挙と、大きく変わる結果にはならなかった(1973年は、社会民主労働党156、中央党90、穏健統一党51、自由国民党34、左翼党-共産主義者19、計350であった。左派2党の合計は175、保守3党の合計も175であった)。以後も、左派政党の合計が若干減る程度であった(1982年の総選挙は社会民主労働党166、穏健統一党86、中央党56、自由国民党21、左翼党-共産主義者20、計349)。1985年の総選挙の結果は次の通りで、緑の党が議席を獲得した。社会民主労働党159、穏健統一党76、自由国民党51、中央党43、左翼党-共産主義者19、キリスト教民主党1(中央-中央党との選挙連合-として当選)、計349。1991年になると次の通り、緑の党が議席を失う一方、キリスト教民主党、新民主党(右翼ポピュリズム政党)の新興勢力が議席を伸ばした。社会民主労働党138、穏健統一党80、自由国民党33、中央党31、キリスト教民主党26、新民主党25、左翼党(左翼党-共産主義者が1990年に改称)16、計349。次の1994年の総選挙では、キリスト教民主党は15まで議席を減らし、新民主党は議席を得られなかった(そのまま消滅する)。一方で緑の党が18議席を得た。また、社会民主労働党が161もの議席を得た(他は穏健統一党80、中央党27、自由国民党26、左翼党22)。次の1998年には、社会民主労働党は議席を減らし、左翼党とキリスト教民主党が伸ばした(社会民主労働党131、穏健統一党82、左翼党43、キリスト教民主党42、中央党18、自由国民党17、緑の党16、計349)。2010年の総選挙の結果は次の通り、穏健党(穏健統一党が改称)が社会民主労働党に迫り、右翼ポピュリズム政党の民主党が0から49議席を得るという、右傾化を見せた。社会民主労働党112、穏健党107、緑の党25、自由国民党24、中央党23、民主党20、左翼党19、キリスト教民主党19、計349。2014年は社会民主労働党113、穏健党84、緑の党25、自由国民党19、中央党22、民主党49、左翼党21、キリスト教民主党16、計349。2018年は社会民主労働党100、穏健党70、民主党62、中央党31、左翼党28、キリスト教民主党22、自由党(2015年に自由国民党が改称)20、緑の党16、計349。

2022年は次の通りとなり、単独で少数政権を担っていた社会民主労働党が議席を増やしたものの、穏健党、キリスト教民主党、自由党の連立政権となった。社会民主労働党107、穏健党68、民主党73、中央党24、左翼党24、キリスト教民主党19、自由党16、緑の党18、計349。この3党では過半数どころか社会民主労働党を上回らないが、第2党となった民主党が消極的に支持したためである。過半数に遠く及ばない第3党+第6党+第7党の珍しい政権である。

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