1.政権交代論

「野党ばかり再編」という問題

議会政治の経験が豊富な欧米の国々でも、政党の離合集散はある。しかしまれだし、当然ながら、優位政党に対抗するため、非優位政党の結集が繰り返される、というようなことはない。しかし日本ではそのようなパターンに、再編が異常に偏っている。確かに、自民党でも分裂はある。しかし野党第1党以下と比べると、基本的にはずっと小規模である。自民党を離党することは、権力を失うことを意味するのだから、当然といえば当然である。自民党に合流する動きはよくあるが、これはほとんどの場合、個々の議員の自民党への入党、復党であり、政党再編の動きとは捉え難い。

議会政治の経験が豊富な国々では、一部でまれに、状況の変化などを受けて、方針、政策に関する差異に基づく党内対立が起こり、主要政党が分裂することがあった。日本もそうだと言いたいのだが、なかなかそうもいかない。右派政党を見ると、1993年の政治改革を巡る分裂、2005年の郵政民営化を巡る自民党の分裂でさえ、その経緯を見ると分かるように、権力闘争の果ての分裂という面が、大きい(1993年の場合は、党内最大派閥の後継争いが生んだ対立、2005年の場合は、その最大派閥の系譜と、それに反感を抱いてきた派閥の対立というものが、背景にある。なお、議会政治の先輩であるイタリアにも、似たところがある)。

確かに左派政党については、方針、政策を巡る分裂という面がより大きかった。しかし、優位政党に対抗するためにまた合流し、理念や政策の差異、不振による動揺でまた分裂するという、不毛な分裂を繰り返している。これは、議会政治の経験が豊富な国々には、ないことなのである。そんなことがあれば、完全に支持を失うのではないだろうか。反優位政党というだけでくっついて、内輪もめで離れたり、その度に党名が変わったり新党になったり、信頼を得るどころか、小党でもないのに知名度を気にしなければならないのでは、日本を良くする前に、優位政党のライバルにもなれない。万年野党か、「良くても」、優位政党に付き従う金魚のフンにしかなれず、筆者の願う1党優位の解消からも、遠ざかるだけである。

左派政党の台頭を受けた、右派政党同士の合流、離党した議員達の、他の政党への合流は、議会先進国でも起こった。しかし、第1、2極のどちらかが極端に弱く、与党経験もほとんどないということはないから、無理な合流は必要ないし、分裂した極の残部も、やがて盛り返す。離合集散は副次的なものに過ぎないのだ。イタリアでは、日本のように「保守と革新」を越えた、大規模な離合集散が見られたが、片方ばかりで・・・、ということはない。

日本は帝国議会開設当初(とは言っても結局かなり遅くまで)、終戦後の10年間、冷戦終結後の1993年から現在までが、政党の再編期だと言える。その期間はいつも長く、優位政党に対抗して、それ以外の政党が合流するという動き(の繰り返し)が中心だ。

もう少し具体的に述べれば、権力追及最優先の優位政党は、まさにその権力を巡る主導権争いを起こし、分裂する。その離党者を含め、非優位の諸政党は、結集して議席を増やしても、地盤自体はそれ以上にはなかなか強化されず、躍進することができない。どうすれば良いのかと、動揺して分裂・・・。そのような状況で与党にもなれない、という感じである(与党になれたとしても失敗する)。無理な合流は、党内対立の拡大再生産である。もう少し順境にあれば、それでも時間をかけてまとまりを強めることが出来るのだが、基本的には逆境なので、そんな余裕もない(逆境に耐えられない議員が少なくない)。

一方の優位政党は、入りたい、戻りたいと言ってくる議員を、少しずつ取り込む。分裂によって欠けた部分を修復し、さらに少し大きくなるという程度の再編なのだ。元から大きい上に、安定性も損なわれずに維持される。

結果、「与党は大人、野党は子供だよね」などと言われる状況になる。そんなことを言って政党を育てず、すでに育っている優位政党を「お上」として奉っているのでは、状況は変わらない。

最後に。離合集散は野党の最低限のリニューアルにはなる。「政党ロンダリング」などと批判される所以だ。しかし、そうではあっても、権力に与れない野党の側では、必ず、再編の動きから離れる議員達が出てくる。そのような議員達による新党、野党の分裂でできた新党は、優位政党の「金魚のフン」になる「素質」を特に持っており、非優位政党政党の陣営を分断するわけである。

このようなことは、野党再編の度に見られる。「取りこぼし」が生じるケースが、ほとんど満遍なく見られるのである。無理をしても中途半端だというのでは、どうにもならない。やはり、有権者の力が必要だ。国民の応援がない場合には、再編はせめてもの環境改善にはなってしまう。弱い土台に危険な建て増しをし、崩されてしまえばまた、危険な建て増しをする。それではなかなか住むべき家にならない(優位政党という丈夫な家も、丈夫ではあっても、決して住む人のニーズに合った、快適な家ではない。競争がないのだから当然だ。私たちはもうすぐ、住むべき家を失うのではないだろうか。競争を実現し、住みやすい家を手に入れなければならない)。