日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
政党相性診断が空しい日本

政党相性診断が空しい日本

国政選挙のたびに、政党との相性診断(マッチング)をインターネットで目にするようになった。これには意味がない。

確かに自分に一番近い政党を知ることは、政治に対する関心を高めるためには良い。その試みは大事だと思う。しかし、ほとんど議席を得られないと、ほぼ断言できるような政党に票を投じても、その有権者の願いはまず、政治に反映されることがない。1党優位制の日本では特にそうだ。あったとしても、優位政党(自民党)に利用され、その志は死んでしまう。小党だけではない、一定規模の政党でもそういうことがあることは、五十五年体制成立から現在までの、日本の歴史が示している(『政権交代論~内なる病、1党優位~』でも見た―主に「不健全な「閣外協力型」政治」等参照―)。

どの政党に票を投じれば、自分の希望が比較的実現しやすいのか(時間はかかってしまうことも多いだろうが)、考えて票を投じなければならない(筆者はやらないから分からないのだが、そこまで教えてくれる、あるいはヒントをくれる相性診断もあるのだろうか)。日本の場合、優位政党(自民党)を減らして、同党にプレッシャーをかけるのも、その点では理にかなっている(もしも自民党の過半数割れ、さらに与党全体での過半数割れが起これば、他の政党の政策が実現する可能性は、高くなる)。

しかし本格的には、政権交代が定着して初めて、日本の有権者は選ぶことができるようになるのだと思う。小党に投じるとしても、その党が第1、2党のどちらかと協力関係にあり、その協力関係の中で発言力が増す、というように、可能性が広がるのである。基本としては近い政党が組むのだし、権力を維持、奪還するための駆け引きに留まらず、実のある議論ができると期待できる。

相性診断は悪いものではない。自信をもって、とても意味のあるものだと言えるような、そんな時代に、まずはしなければならないのである。そのためには、自分で考えることなしに、人に頼まれた通りに、あるいは指示されたように票を投じる人々は、邪魔でしかない。それを少しでも変化させたいところである。もちろん相性診断も、自分で考えるための道具であるに過ぎない。道具に使われてはいけない。

 

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