1.政権交代論

日本維新の会の成功の先にあるもの

さて、この「ダブル失言」がなければ、維新の会は再び、ブームに近いものを起こせていただろう。それは、筆者が『政権交代論~内なる病、1党優位~』「維新の会はどこへ行けばいいのか」で書いたどのパターンとも違う未来であった。後から考えれば、当然採るべき戦法であったと思えるからこそ、情けない。大阪府知事と大阪市長の選挙を統一地方選にぶつけ、国民を引き付け、大阪での改革に目を向けてもらう。そして全国的にも支持率を上げ、議席を増やす。というパターンをそこで書けなかったことは、本当に恥ずかしい。この作戦の成功は、同調する地方議員、政治家志望者などを全国的に増やし、筆者が述べたそれぞれのパターンをも、より明るい可能性にしたと考えられる。

しかし、しかし。それは同時に、民主党系との本格的な競合、つまり自民党1党優位を助ける未来にも、ならざるを得ない。

もちろん、時間はかかっても、日本維新の会のような政党に、自民党のライバルになって欲しいと考える人もいるだろう。筆者も民進党の大分裂を見た後では、時間をかけて、立憲民主党を育てる必要があると、考えるようになったことは、すでに述べた。

しかし、国政政党としては民主党系よりも弱い維新がそうなるには、さらに時間がかかる(そもそも失敗する可能性も高いし、見かけ上だけ、奇跡的に短期で実現したとしても、不安定な政党になってしまう)。また、左派政党が弱小勢力になる場合、弱い人々の味方に、維新の会あるいは自民党がどのようになるのかなど、保守2大政党制へ移行するからこその問題もある(確かに、左派政党よりも弱者を守れるということもあり得る。しかしそのような志向が党内で安定するには、そして内外の認識が定着するには、時間がかかる)。なによりも、それまでの長い長い時間、1党優位を続けるリスクは大きい。そのリスクの中には、日本維新の会の躍進が阻まれるということ自体も、ある。

作戦が功を奏し、大阪都構想は次は、住民投票で賛成多数となりそうである。そうなれば、日本維新の会の支持率も上がり、意外と早く第2党になる、ということもあるかも知れない。もしそうなった場合、左派政党はどうするのだろうか。自民党の方がまだ近いと、自民党につくかもしれない(自社連立の再来である)。そうなれば、これまでの繰り返し(今の第3極が躍進するものの、第2極にとって代わることはない)を脱することにはなるものの、結局、自民党が他党を吸収してより強くなるという、歴史が繰り返されることになる(これについては、日本維新の会が自民党に寄っても同じである)。それでも政権交代が実現するということがないとは言えない。自民党が動揺し、分裂すればなおさらだ。筆者はもう、そのようなことが繰り返されるべきではないと思うが、維新の会が第2党以上になるのなら、その際には、本格的な政界再編が起こるべきだと考える。

一定の差異がある2大政党(とそれぞれに近い政党)が交互に政権を担い、行き過ぎや不足を是正するなど、互いを補完し得るような体制になることが、一番重要だ。しかし2大政党が共に保守である場合、保守(自由民主)対社民の場合よりも、そうならないというリスクが高いと考えられる。アメリカやカナダでは上手くいっているという面もあるが、日本の自民党のライバルとなる政党は、歴史のないものであり、リスクはずっと大きいのだ。ましてやカナダでも、左派政党が伸びてきている。アメリカでは、民主党が労組の支持を得て、左派政党の代わりをしているという面がある。

ここまで、筆者の志向から、政権交代にからめて述べてきた。しかし橋下徹は、政権交代を志向していたようにも見えるが(維新の党の時代には、民主党左派を除いた野党再編を志向していたが、これをあきらめたか一時保留にして、自民党に寄ったように、筆者には見える。それは大阪の改革を進める上で有効であったと思われる)、今回の選挙の後、公明党の代わりに自民党と連立を組み、改憲を実現させるべきだというような発言をしている(公明党については、選挙で負けさせるというニュアンスであり、公明党に対するけん制なのかも知れないが、ここでは真に受けて話を進める)。そんなことを言っても、自民党は創価学会の票を手放すことができるのだろうか。維新の会が衆院選において、関西の公明党の選挙区に対立候補を立てるなら、時代は変わると思う(公明党の姿に注目が集まれば、同党について、もっと多くの人が問題意識を持つだろう)。2000年以降の自民党の力は、創価学会・公明党によるところが大きく、自公両党を引き離すことができれば、大きな変化を期待することができる。

しかし、そうはならないだろう。結局、自民、公明、維新の3党が適当なところで折り合いをつけるか、改革を迫る維新を自民党が切るという、2000年の自自公連立と同様の展開になるだろう。維新の会と民主党系の丸ごとに近い連携が難しく、公明党が自民党に従うならば、自民党にとって、恐れるものはないからだ。維新の会にとっても、強い勢力と折り合いをつけて政策を実現させる方が、日本の政党システムを改めることよりも大事なことであるだろうと想像する。

その過程で大阪都構想が実現する可能性は低くない。その後、存在意義を失った維新の会(本当はここで、日本維新の会が道州制を実現させるべきなのだが、日本の政界の勢力分野が大きく変わらない限り、都構想の実現で力尽きるだろう)。それはそれで当然意味がある。「大阪都」が成功すれば、長期的には、地方分権の進展に希望も持てるかも知れない。しかしそれに取り組むのは、維新の会を吸収した自民党、あるいは、消滅した維新の会に代わって、改革を実現させようとする、自民党内の改革派だと想像する。そうであれば中途半端な改革に終わるだろう。少なくともこれまでの歴史は、そうであった。そしてそれが代わるきざしを、筆者は感じることができない。

衆議院の選挙制度改革や政党助成金の導入、総理大臣の権限強化や省庁再編などの行政改革、さらには官僚による答弁の制限、党首討論導入などの国会改革は行われても、参議院の、衆議院との関係を含めた改革が手つかずに近い状況が、ずっと放置されていることが、それを示している。地方分権だって難しい。大阪の状況は、橋下徹という人物がたまたま大阪府知事なったから、変わったのである。しかも、不振にあえいでいたとは言え、大都市である。他の都道府県の多くが、大胆な地方分権化の後、既得権益の必要な改革に取り組み、住民にとって厳しい決断をいとわない、しかし全住民に思いを寄せる政治を行うことができるようになるのであろうか。現在、必要な改革が全くなされていないとは言わないし、筆者の勉強不足かも知れない。しかし悲観せざるを得ない。自治体の大改革には、本来は住民も参加するような議論が必要である。その一つの形が大阪都構想の住民投票であったことは間違いない。そのような何かが他にあったことを、筆者は知らない。また、地方自治体の議会の多くが、必要以上に保守的であるという印象を持っている。

今、橋下徹が「たまたま」大阪府知事候補になったと述べたが、自民党は、人気のある人物を担いだだけであり、簡単にあやつれるという条件を外したのは(あやつれると思っていた関係者もいたであろうが)、当時、ライバルの民主党が今より強かったからでもある。これは非常に大事なことである。第2党が弱ければ、大阪の改革は実現しなかったのだ。それが全国的なものになれば良いのだが(改革の内容がそれぞれの地方、自治体の持つ可能性に応じたものであるとしても)、今のところ、時間、空間共に、限定された現象であるように思われる。

話を戻す。今述べたこととも関係するが、筆者が何よりも問題だと思うのは、たとえ大阪都構想が実現し、大阪維新の会がその地位を維持しても、日本の政治全体は、相変わらず1党優位であり続けるであろうことだ。一つ一つの課題に、ゆっくりと、ある程度の対応をしつつ、全体的にはたいして変わらない。それでは日本が向き合わなければならない問題には対応できないし、国民は置き去りにされたまま(自らの意思で置き去りになったまま)になる。

ここで公明党に触れないわけにもいかない。公明党はいつも強い政党の見方だと、以前書いた(『政権交代論~内なる病、1党優位~』「公明党は「第3極」になるべきか」参照)。公明党はそれを、民意を受けてのもの、政治の安定のためだとする。この度の政局、選挙で、公明党は維新の会に敗れた(世論を盛り上げ、投票率を引き上げれば、公明党は弱くなる)。しかし大阪都構想に反対だから、公明党に投じたという有権者もいるのではないだろうか(それとも皆、創価学会の上層部に指示された候補者に投じただけか)。それにもかかわらず、名目を保つための条件、信者に言い訳をするための条件を少しばかりつけようとはしていても、公明党があっという間に腰砕けになったというのは、間違いない。これは民意を尊重していると言えるのだろうか。

そもそも、一党優位の現状を否定せずに「政治の安定」を唱えるというのは、特に、優位政党でもない政党が唱えるのは、国民に「お前ら考えるな」と言っているに等しい。優位な勢力が存在していて、それがどんな理念、政策を持っていようと、公明党(というよりも創価学会)が権力から敵視されないように、それにぶら下がり、それが強い野党に批判されるということがなければ、安定の完成だ。

筆者が、都構想に関して公明党に言いたいのは、公明党が住民投票の実現に協力し、維新案とは異なる公明党案(必ずしも都構想に準ずるものでなくても良い。極端なことを言えば現状維持でも)をその選択肢に入れさせるというのが、都構想が(事実上の)争点である選挙を戦った政党として、最善の道だということだ。国民(住民)に選択肢を与えようとしない政党など、必要がないと思うのである(良し悪しは別として、現状維持が良いと胸を張って言うのであれば、それも選択肢だが、公明党は現状維持を願いつつ、強い勢力に合わせていこうとしているようにしか、筆者には見えない。なお、憲法改正についも同じだと言いたいが、国政に関しては、自民党があまりに強すぎるという問題がある)。

ここで、丸山・長谷川失言等で、支持率上昇が打ち止めとなった感のある現状について、述べたい。大阪では圧倒的な支持を得ていると言えるのだから、このままいけば良いのであって、やがて大阪維新の会に対抗する政党も確定するだろう(国政と絡めるとややこしく、国政を考えると問題はあるが、だからといって、大阪で維新の会が消えるべきだと言うのは、大阪の人々の意思を見た上では、非常識である)。ここではあくまでも、国政についてだ(橋下が、上で触れた憲法改正に関する発言と遠くはない時期に、国政の維新に否定的な発言をしていたことも、念頭に置くべきだろう)。

2019年の参院選に向けて維新の会は、あたらしい党の音喜多元東京都議、希望の党の松沢元神奈川県知事(離党して日本維新の会に移った)、名古屋の減税日本、そして北海道の新党大地と連携している。『政権交代論~内なる病、1党優位~』「2012年総選挙、自民でも民主でもない地方分権派勝利の夢」で述べた、地域政党(的なものの)の連携強化という選択肢だが、名古屋市長が結成した減税日本を除けば、維新の会とは全く釣り合わない。それぞれが努力をし、もっと評価されてから連携するのでなければ、単なる日本維新の会の支部になってしまうと、筆者は思う(連携相手は皆、日本維新の会の公認候補として立候補している)。

もちろん、そんな時間はないと言うのだろうし、それは否定しないが、だからといって、これが良い一歩だとは、とても思えない。音喜多はみんなの党、都民ファーストの出身だ。みんなの党がなくなってから、同様の改革政党になる可能性のあった都民ファーストの結成に参加したのだから、これは変節ではない。しかし、小池都知事・音喜多都議は、築地移転問題で石原元東京都知事をつるし上げた。別れたとはいえ、今の日本維新の会と石原は、かつて共に、日本維新の会にあった。現在の日本維新の会は、石原をどう評価するのか、音喜多と組むことに矛盾はないのか、はっきりさせるべきだ。そして松沢は、その石原らが日本維新の会とたもとを分かって結成した、次世代の党の出身だ(その前は、新生党、新進党、国民の声、民政党、民主党、みんなの党と歩んでいる)。

松沢は、神奈川県知事としては一定の実績があるものの、その後は東京都知事選に出馬、みんなの党の参議院議員となり、同党が解党した後は、次世代の党を経て小池の希望の党と現在の希望の党(小池都知事が結成した希望の党が、民主党系の国民党と、他の―とは言っても衆参計5名だけの―希望の党に分かれた、その新たな希望の党)では、それぞれ幹事長、代表という要職を、投げ出して、離党している。「仲間」に不満があったのだとしても、その後建設的な動きを、自らしているということはなく、今回も、希望の党の不人気を見てのものとしか考えられない(本人が実際に限界を認めている)。希望の党と維新の会に共通点が少なくないとは言え、そして安易に大政党入りしようとしないところは自分をしっかり持っているようにも見えるとは言え、ちょっとふわふわし過ぎていると、言わざるを得ない。減税日本については、共感できる面もあるし、長期間存続していることについては評価できる。しかし維新の会のように、議会の多数派となって、名古屋市政、愛知県政を大きく変えるには至っていない。

このように日本維新の会は、話題性はあるが、有権者が驚いたり、感心したりできるようなパートナーを見つけていない(そのようなパートナーは、現状ではそもそも存在しないのだろうが)。特に、北海道の新党大地とは、理念や政策が異なる。新党大地には、小泉総理が率いる新自由主義的な自民党を離れた、という面もある(国民新党と同時期の結成で、同党、そして民主党と連携していた)。維新の会とは違い過ぎる。それでも、地方分権では一致し得るのだから、そこは割り切るということを明言できれば良いのだが、そうはなっていない(それを明言するということは、日本維新の会が、地方分権のワンイシュー政党であることを宣言することでもある)。新党大地は地方分権を唱えているが、党首の鈴木宗男は地方へのばらまきに熱心であった自民党竹下派の出身で、その後改革派に転じたというようには見えない。

新党大地を挙げたのだから、沖縄についても触れなければならない。日本維新の会には、沖縄県に選挙区のある下地幹郎衆院議員がいる。そういえば下地も、新党大地と同じように維新の会と異なる、国民新党の出身だ。その下地は地域政党、そうぞうの代表でもある。だから新党大地とも組めば、日本維新の会は北海道から沖縄までという状態だ(間はスカスカでもインパクトはある)。しかし沖縄の民意は、辺野古移転反対である。もちろんそれが全てではないし、危険な普天間基地の返還を最優先にするというのも、分かる。しかし地方分権を唱える以上、基地問題は国政上の問題だとは言っても、沖縄県知事選、住民投票に現れた民意に反するからには、説得力のある説明、工夫の施された選択肢の提示が求められる。筆者には、これも勉強不足かもしれないが、自民党に追従しているようにしか見えない。維新の会を離れた橋下の方が、ずっと考えているように見える(橋下徹『沖縄問題、解決策はこれだ!』―朝日出版社、2019年―)。結果として自民党と同じになるのだとしても、議論をリードし、何より沖縄でもっと支持を得る必要がある。

北海道の鈴木と沖縄県の下地は、参院選において、地元では自民党に協力している(沖縄県にいたっては、日本維新の会が自民党の公認候補を推薦している)。両者はやはり、新自由主語的な面がより強い維新の会よりも、自民党に近いのではないだろうか。それとも自民党に戻りたいのだろうか。いずれにせよこれでは維新の会は、自民党と交互に政権を担うことのできる政党とは、とても言えない。いずれは対決するとでも言うのだろうか。そうであっても今、政治を変える力が大きくそがれることは間違いない。

筆者は以前、『政権交代論~内なる病、1党優位~』「結局協力するならケンカをするな」で、無駄な繰り返しについて述べたが、2012年にあった地方分権大連合の可能性(同「2012年総選挙、自民でも民主でもない地方分権派勝利の夢」参照)や、2017年の小池都知事(希望の党・都民ファースト)、大村愛知県知事(現在は事実上消滅しているが日本一愛知の会)・河村名古屋市長(減税日本)、松井大阪府知事(日本維新の会・大阪維新の会)の、いわゆる三都物語(都市型地域政党の連合という点で、地方分権以外の整合性も、見出しやすい)の超ミニチュア版が、今回の動きだと言える。橋下は2019年に入り、小沢一郎とも会っている。それならばなぜ、維新の会に最も勢いのあったあの時、地方分権連合の形成に動かなかったのだろうか。また、石原慎太郎が自公両党の分断を図った時、なぜ、同調しなかったのだろうか(あの時は不可能で、今は可能だということだろうか)。

前者については、内紛の末に離党した小沢には、政治資金規正法違反の疑惑もあり、わがままな壊し屋というイメージ(筋を通したという面も小さくはないが)、ダーティな印象があったこと、左派政治家となっていた小沢と、理念、政策について一致し難い面があったこと(脱原発、消費税増税反対、場合によっては地方分権でも一致し得たが)がある。しかしそれならばなぜ、今は鈴木宗男と組めるのか。筆者に思い当たるのは、小沢は自民党と関係が悪く、鈴木は良いと言うことくらいだ・・・。地方自治体は、自民党系の首長、地方議員だらけだ。その上に立っている自民党が、大変革に本気で取り組むのは難しい。自民党政治に、自民党が弱ったすきを見て割って入って、それを実現させるというのは、政策の実現だけを見れば否定できるものではない。しかし地方分権連合を形成して、政権交代を目指す方が、本当はあるべき姿だ。対立軸を示し、有権者に選択をさせることになるからだ。

そこで後者の話になる。これは当時橋下が、民主党の右派との再編を期待したためだと考えられる。みんなの党の江田憲司も同様であったと思われる(江田はみんなの党を離党して結いの党を結成、石原らたちあがれ日本系とたもとを分かった日本維新の会と合流、維新の党を結成したが、結局は民主党丸ごととの再編に舵を切った)。その民主党右派は今、どうなったのか、中心的な人物、代表的な人物は自民党への入党に動いている(細野豪志や長島昭久)。彼らは保守2大政党制を目指したが、あきらめたということらしい。民主党→民進党の左傾化、希望の党の失敗を見て、そのような総括をしたのだろうが、日本維新の会は視野に入っていなかったのだろうか。

保守第2党など、その程度のものだ。左派政党は、自民党とは相容れないからこそ、たとえ党の歴史が浅くても、簡単に展望が開けなくても存続し得る。しかし保守政党はそうはいかない。強い問題意識をもって自民党を離党した大阪維新の人々とは、民主党の右派は違うのだ。

確かに、こんなに弱い「自民党外保守」では、大政党をつくる土台としては、もろすぎる。ならば左派野党と、本格的な地方分権で一致することはできないのだろうか。左派政党にも、現在の中央集権、政官財の癒着に、与っている面はある。新自由主義的傾向への警戒感もある。その有力な基盤である地方公務員の労組も、現状維持を志向しているのだろう。

しかし現状維持はそもそも難しい。負担増・サービス減が住民で住民を苦しめることになる。どうせ我慢がいるのであるし(国政も同様だが、これについては地方自治の場合の方が、目の前に過疎などの問題があるのだから、イメージしやすいだろう)、改革に新自由主義的な要素が必要だとしても、「それなら自分たちで我慢の仕方を考えよう」と呼びかけられる。地方に権限、財源が移るというのもまた、政権交代なのである。より体重の軽い(組織や議員数が小さい)左派野党の尻をたたき、本格的な自治体再編と地方分権の是非を、政界の対立軸に加えることはできると、筆者は思う。そしてたとえ挫折しても、自民党に頼み込むよりも、他の野党にぶつかっていった方が大きな変化が起こると考える。「どうしてもこれがやりたい」という政治家に、日本人は弱いと述べたが、正確には、日本の無党派層が弱いのだ。自民党に投じるよりも、野党に投票するか、棄権する傾向のある無党派層を揺さぶることは、自民党の方を見ていては難しい。