2.キーワードで考える日本政党史

実業派の動き(④)~実業家中心の会派の誕生~

国民協会に参加しなかった実業派の議員によって初めて、「実業」の名を冠する会派が誕生した。実業といっても大小様々であり、実業家の議員は各党派に存在した。ただし大規模な商工業者は、その多くが政商といえるものであり、政府の富国強兵策の恩恵を受けられる立場にあった。彼らの多くは、薩長閥政府に概ね協力的であったといえる。一方で民党は地主層を最大の支持基盤としており、実業家の支持を、広く集める存在ではなかった。薩長閥や民党との結びつきによって利益を受けているわけではない実業家は、薩長閥政府が民党の協力を得るために妥協する姿勢を見せ始めると、独自に存在感を示す必要に迫られるようになる。妥協というのは、第4章⑤で触れるように、地租増徴の回避、地租以外の増税という形で現れることとなる。だが第2回総選挙後の実業団体は、国民協会という、政府の超然主義と抵触する可能性がある、また国権派を含む国民協会に加わることを避けた議員達の会派であったに過ぎないといえる。それでも実業団体の結成は、特定の勢力に明確に寄ることで生じるリスクを回避する、中立的な実業派の議員が独自にまとまり、利害の反映を図ろうとする、第一段階であったと捉えることができる。第2回総選挙の前にはすでに、実業家たちに、自らの代表を衆議院に送ろうとする動きがあった。その1つが東京府における動きであった(1892年1月12日付東京朝日新聞)。この動きの中心人物の一人であった原亮三郎は第2回総選挙で当選し、実業団体の結成にも参加しており、中立派として実業奨励にけいちゅうしたといわれている(『実業人傑伝』第2巻1の46~47)。