2.キーワードで考える日本政党史

第3極・実業派の動き(⑧)~中立派に現れた対外強硬派~

有楽組から政務調査所の結成に参加した議員には、後に大日本協会の中心的な人物となる安部井磐根、神鞭知常、坂本則美が含まれていた。衆議院議員となる前、横浜税関、大蔵省商務局、農商務省に勤務していた神鞭は、通商に不利だと捉え、内地雑居に反対していたのだと考えられる。『伝記・神鞭知常』の「神鞭先生傳」に以下のようにある(26~28頁)。

先生固く國富増進國權擴張論を執る。此を以て其議院に入るの初、主として殖産興業貿易關税等に關する議案を提げて立ち、又力を極めて外交國權論を鼓吹したり。當時舊幕の條約尚存し、帝國の利權を傷くること尠少にあらず。加之歷代の當局者其施設を誤り、徒らに外人に阿諛屈從して目前の小康を偸み、爲に益々國權の陵夷と國利の退蹙とを致す。先生は早く現行條約を改正し、法税二權を我に収め、以て國家の榮余譽體面を完ふし、併せて富力增進に資せんことを期し、夢寝此憂を抱かざるはなし。會々明治二十五六年伊藤内閣の際、政府は條約改正を企て、着々締盟列國と交渉の歩を進む。風説傳ふらく、帝國政府は法權を回復せんが爲に外人の内地雜居を許さんとすと。此れより先き先生同志と共に國家經濟會を組織し、内外經濟問題を研究し、次で内地雜居講究會を組織して其利弊を調査す。同志皆な雜居の弊患あるを認め、乃ち雑居尚早論を唱へて之を天下に訴ふ。

同書「坂本則未美氏断談」には次のようにある(『謝海言行録:伝記・神鞭知常』209~210頁)。

當時條約改正に關して議論が大躰二派に分れて、一は主として税權を回復せんとし、他は治外法權撤去に重きを置いた。君や私などの意見は前者であつて、條約の全部改正は固より望む所であるが、其れが一時に出來ぬならば、法權は姑らく其儘として置いても、税權は是非我に回復して國權民福を増進せねばならぬとの意見であつた。當局者たる陸奧氏は法權回復に重きを置き、星亨氏も之に賛成であつたが、~略~要するに君は大の國權論者で、其國權は富力の上に張らなければならぬとの意見を持し、内地雜居尚早論も、現行條約勵行論も、將た國家經濟會及び棉作奬勵會の創立も、皆な同一論法の上に唱道企劃せられたので、君の外交論は明かに終始一貫して居る。

内地雑居について実業家層には、これを脅威とする見方と、外資に期待できる点で有利だとする見方があり、後者が主流であったようである(藤村道生「初期議会のいわゆる対外硬派について-条約改正史の研究(その二)-」三頁。藤村氏は「財界人」としている)。しかし神鞭は前者であったことが分かる。同書「安部井磐根氏記」にあるように、神鞭は第2回帝国議会において、海関税法律案を、安部井の名で出した(『謝海言行録:伝記・神鞭知常』215~216頁)。そして第3回帝国議会では自らも提出者に名を連ねた。法案の内容は、輸入関税を引き上げ、これから条約を締結する国に適用し、それを以てすでに条約を締結した国々に対する意思表示にしようというものであった。輸出関税については、この法の輸入税を適用する国に対し全廃するとしていた(衆議院事務局編『帝国議会衆議院議事速記録』三166頁)。1892年12月13日付の読売新聞は、芝集会所が民党の条約改正上奏案(陸奥外務大臣の路線を否定するものではない、内地雑居を支持する立場のもの)に反対の立場であったことを伝えている。芝集会所を経て政務調査所に参加した議員達は、安部井、神鞭らと近い考えであったようだ。だからこそ、合流したのであろう。なお、芝集会所に実業家が多かったということはない。また、神鞭は地価が比較的低く設定されていた京都府内の選出であり、同府内選出の坂本則美と同様に、衆議院において、地価修正の公平性を疑うような発言をしている(衆議院事務局編『帝国議会衆議院議事速記録』五101頁-神鞭―、104頁―坂本―)。