2.キーワードで考える日本政党史

第3極・実業派の動き(①)~新たな中立派の出所Ⅱ~

国民協会と政務調査所の議員の選挙区の少なくない一部が、自由党等に奪われたことはすでに確認した。しかし中立会派(総選挙の時は未結成)、無所属に奪われた議席は必ずしも多いとはいえない。中立会派の議員達は全体的に見て、どの勢力の議員がいた選挙区で当選したのであろうか。それらに属した議員を出した選挙区、その前職を確認したい。下の表③-Aを見てほしい。なお、この表③-Aを見ると、中立実業派と呼ぶべき3会派が、民党の影響力が比較的弱く、吏党系が比較的強かった市部において、一定の議席を持っていたことも分かる。

 

表③-A:第3回総選挙後の中立3会派の選挙区

・第2回総選挙に当選している3名(すべて中立倶楽部)には、議員名の次に(再)と付した。

・前任については、2人区のうち前任がどちらなのか特定できないものについてのみ、2名記した。

・中央交渉部に所属していたことのある前職の所属に◎を付した。ただし結成時においてのみ名が挙がっている前職の場合は、○とした。

・溜池倶は溜池倶楽部。

会派名 議員名 選挙区 前任者の氏名 前任者の所属
中立倶楽部 阿部孝助 東京8 津田真道 ◎国民協会
中立倶楽部 稲田政吉 東京3 中沢彦吉 ○実業団体
中立倶楽部 奥三郎兵衛 東京5 太田実 ◎国民協会
中立倶楽部 小島相陽 長野1 小坂善之助 実業団体
中立倶楽部 佐藤昌蔵(再) 岩手3 佐藤昌蔵 ◎国民協会
中立倶楽部 竹村藤兵衛(再) 京都2 竹村藤兵衛 ○無所属
中立倶楽部 原善三郎(再) 埼玉5 原善三郎 ◎実業団体
中立倶楽部 檜山鉄三郎 東京2 渡辺洪基 ○国民協会→無所属
中立倶楽部 村野山人 兵庫2 奥野小四郎(補) 自由党
中立倶楽部 目黒貞治 秋田1 二田是儀 無所属
中立倶楽部 望月右内 和歌山2 児玉仲児 紀州組
独立倶楽部 秋岡義一 大阪4(2) 橋本善右衛門 ○溜池倶→無所属
独立倶楽部 大村和吉郎 静岡7(2) 田中鳥雄 自由党
独立倶楽部 鎌田栄吉 和歌山1(2) 岡崎邦輔、関直彦 紀州組、紀州組
独立倶楽部 木村誓太郎 三重3 天春文衞 自由党
独立倶楽部 岸小三郎 岐阜2 小原迪 ◎国民協会
独立倶楽部 末吉忠晴 東京1 黒田綱彦 ◎国民協会
独立倶楽部 須田萬右衛門 岐阜5 長尾四郎右衛門 ◎国民協会
独立倶楽部 高木貞正 岐阜3 原亮三郎 ◎実業団体
独立倶楽部 並河理二郎 島根2 佐々木善右衛門 政務調査所
独立倶楽部 初見八郎 茨城4 森隆介 自由党
独立倶楽部 松原芳太郎 岐阜4 高木郁助 国民協会
湖月派 穐山忠夫 広島6 松浦唯次郎 ◎井角組
湖月派 河上源一 長野4(2) 窪田畔夫
金井清志
◎国民協会
◎無所属
湖月派 黒田道珍 福井3 岡研磨 無所属
湖月派 高橋守衛 島根3 木佐徳三郎 無所属
湖月派 土居通夫 大阪2 外山脩三 ◎無所属
湖月派 前川槙造 大阪3 浮田桂造 ◎無所属
湖月派 八幡信太 島根6 吉岡倭文麿 無所属

 

再選された者も含め8または9名が、中央交渉部参加、国民協会不参加の議員の選挙区での当選である。中央交渉部に属していたことのない実業団体の議員(長野1区の小坂)も、『議会制度百年史』院内会派編衆議院の部の33、35頁では(第4回帝国議会の閉会までは)中央交渉部の一部として扱われている。それを含めると9または10名、国民協会を離脱した渡辺の東京2区を含めると11名となる。中央交渉部参加、国民協会不参加の議員は基本的に対外硬派の戦列には加わっておらず、野党になったとは考えられない。

実業団体に参加した村野山人と大阪派に参加した村山龍平は、第3回総選挙後に対外硬派の上奏案に賛成したが、対外硬派の戦列に加わったことは確認できないし、村野は山陽鉄道の建設再開のため、政府との結びつきを強めることが重要な条件であったために議員となった(井田泰「村野山人と山陽鉄道」60頁)。村山は、議員でなくなった日清戦争後のことであるが、河川改修について、大阪の府会議員を務めた大橋房太郎らを伊藤博文に紹介して陳情の道を開いたのだという(『村山龍平伝』281頁)。このことからも、両者が第2次伊藤内閣の反対勢力になったとまでは考えにくい。

ただし中央交渉部参加・国民協会不参加の議員には、同盟倶楽部の結成に参加した浅尾長慶、国民協会に加わった千葉胤昌のように、対外硬派の勢力に参加した議員が多少含まれる(衆議院における所属の変遷を確認するにとどめた筆者が確認したのは、この2名のみ)。中立3会派は、国民協会の7つか8つの選挙区を得るとともに、このような、吏党であったものの国民協会に参加しなかった、あるいは離脱した議員の10、または11選挙区を得ていることが分かった。合わせて18選挙区である(合わせると数が確定する)。後者の場合は地盤の円満な継承もあったのかも知れないが、確認することはできない。円満であったかは別として、和歌山県内選出の議員達は引き続き、第2次伊藤内閣寄りであったと考えられる。

ともかく、新たな中立会派は、かつて中央交渉部の議員のものであった選挙区を基盤に、形成されたのであることが分かった。なお、第3回総選挙後にどの会派にも属さなかった無所属の当選者にも、多少なりとも似た傾向がある。そのような議員は19名いた。うち前任が国民協会であったのが6名(5名が山口県内、1名が鳥取県内の選出)、政務調査所であったのが3名、中央交渉部参加・国民協会不参加が5名(ただし1名は、上の政務調査所であった3名のうちの1人であり、結成時の中央交渉部のメンバーにのみ名が挙がっている)、他が5名である(5名のうち1名は、国民協会の議員の辞職後に、補欠選挙で無所属議員が当選し、無所属を貫いていた選挙区から当選している)。前任が中央交渉部参加・国民協会不参加の5名のうち、政務調査所であった3名のうちの1人を含めた、4名が再選であった(同一人物であっても前任としている)。無所属に留まった19名のうち再選された議員は5名であり、その5名のうちの4名だ。これに対して前職が国民協会であった議員は、誰も再選された者ではない(前任は文字通り前任というわけだ)。中央交渉部参加・国民協会不参加者が比較的に順境にあったと考える、これは一つの根拠となる数字だといえる。中立3会派に属した議員のうち、再選された者である、中立倶楽部の3名についても、この傾向と矛盾しない(3名のうち2名が中央交渉部参加・国民協会不参加。1名―佐藤昌蔵―が中央交渉部参加・国民協会参加だが、対外強硬派であったとは言い難く、第3回総選挙後に同会を除名された)。また、表③-Aの前任の議員の所属において、国民協会の次に多いのが実業団体である(無所属は除く)。4人に過ぎないといえば過ぎないが、実業団体は全部で7議席の勢力であった。「実業」の名を冠した初めての会派の過半数の議席を、実業家中心の中立3会派が得たことになる(実業団体の他の3議席は、自由、立憲改進両党に1つずつが移り、残る1議席は村山の再選となり、彼は無所属に留まった)。