日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
第3極・実業派の動き・政界縦断・2大民党制(⑮⑯)~第3極の可能性~

第3極・実業派の動き・政界縦断・2大民党制(⑮⑯)~第3極の可能性~

第2次伊藤内閣への板垣の入閣、第2次松方内閣への大隈の入閣により、民党からの入閣は十分にあり得るものとなった。そして2大民党は共に薩長閥に対抗するのではなく、政界縦断的な動きにおいて、時に競合するようになった。従って、薩長閥と民党が対立する展望なき状況を打開するという、第3極の中立派の役割は失われかけた。しかし第3極のもう1つの役割、つまり第1、2極が十分にすくい上げていない民意を代表するという役割は、失われてはいなかった。むしろ縦断が進む中で、その役割は重要性を増していた。具体的には実業家層の利害の代弁である。増税が不可能となる中、薩長閥政府が、過去に地租軽減を唱えていた民党と、地租増徴について直ちに合意するのは困難であった。薩長閥や民党と結びついており、その関係から利益を受けることもあった財界の有力者達には、この状況を打開することができなかった。あるいは打開しようという熱意が欠けていた。衆議院の過半数を握る政党、会派は無かったから、その中で第3極が自らの役割を担う機会はあった。また、地租増徴が課題となれば、かつて第3極の一部も実現に腐心した地価修正が、不満に対する緩和剤となり得ることから、現実的な課題として再浮上する。それは、地価修正を求める地主層を代弁する役割を再び、第3極が担い得ることを意味した。

もちろん、薩長閥が、民党の要求を過大なものと切って捨てる可能性もあった。そうなれば再び、薩長閥と民党の展望なき対立が再現される。こう書いてしまうと、薩長閥が状況を動かしていたように感じられるが、そうではなかった。民党との協力しないことは、薩長閥が自らの首を絞めるような選択肢であった。そして民党も、薩長閥との対立による地租増徴の回避と薩長閥との妥協による縦断の前進、そのいずれかを選択することで状況を動かす、重要なポジションにあった。そして薩長閥と民党の選択の結果、双方が対立すれば、そのような状況を打開するという第3極の役割が、従属的にではあるが、再浮上するはずであった。

 

 

Translate »