2.キーワードで考える日本政党史

第3極・実業派の動き(①③)~山下倶楽部の2つの役割~

当時、実業家が自らの代表を衆議院に送ることに積極的になっていたことは、報道で確認できる(例えば1897年12月23日付東京朝日新聞)。しかし、実業派または地価修正派が特に勢力を強めたというような現象を確認することは出来ない。1898年4月30日付の読売新聞は、在京の中立議員が中立議員の合同に関し協議したこと、京都、大阪の中立議員とも合同するであろうことを報じている。

また5月22日付の同紙には、地価修正問題に熱心な板東勘五郎、木村誓太郎、秋岡義一、長谷場純孝らが、政府が地価をそのままにして地租を増徴しようとすることに反対し、連合同盟を組織しようと、200余名の代議士に通知したことが記されている。名の挙げられている4名のうち、三重県第1区選出の木村、徳島県第2区選出の板東が山下倶楽部に所属する(秋岡は自由党、長谷場は鹿児島政友会に所属)。この2名は近畿地方とその周辺からの選出であり、大阪も高地価地域であったことから、在京の中立議員が、近畿地方等の地価修正派と合流しようとし、それを果たしたと見ることもできる。山下倶楽部は、実業家層の利害の代弁という役割と共に、純粋に地価修正を求めていた、高地価地域の民意をすくい上げる役割をも担っていたのである。6月6日付の読売新聞は、地価修正派が過半数を占める同倶楽部が当時、地租増徴に関する意向をまだ決していなかったが、酒造税と所得税については故障があまりないことから、委員会の結果によっては政府案に賛成するであろうことを報じている。さかのぼるが、5月19日付の東京朝日新聞は同倶楽部について、地租増徴に「農ハ反對商ハ賛成の模様」だと伝えている。山下倶楽部に地価修正派が多く、地租増徴に関しては賛否両論があり、実業家の議員達は多くが賛成であったことが分かる。