2.キーワードで考える日本政党史

1党優位の傾向(①)~1党優位の一つの弊害~

分裂前の憲政党は、確かに圧倒的な優位政党であった。しかしそれは衆議院におけるものであり、貴族院において同党を支持する議員は少数派であったし、閣内にも、彼らと対抗関係にある、薩長閥の軍部大臣を抱えざるを得なかった。多元的な大日本帝国憲法下の政治制度が、反対勢力に拒否権を与え、民意と権力の所在とが一致しない状況下(薩長閥内閣期の衆議院における民党優位。憲政党内閣期の、薩長閥の多く、それと連なる貴族院議員の権威もそれに近い)、事態の打開を困難なものとしたのである。そのため、この当時の日本は、他の勢力の拒否権行使を心配しなければならない内閣が、指導力を発揮しにくい状況にあった(他の閣僚を任免するわけでもない総理大臣の権限も、制度上強くなかった)。さらに、反対勢力(民党)が優位勢力(薩長閥)にとって代わるには、優位勢力を徹底的に追い詰めることが、選挙による政権交代を期待できない(過半数を上回っても、それだけで政権を得ることはできない)以上は、不可欠であった。このため、権力の監視という反対勢力の役割は、ゆがんだものとなりがちであった。憲政党内閣となり、攻守が入れ替わっても、同様であった(ただし議会を経験せずに終わったから、貴族院の姿勢がどうなっていたのかは、確かめられない)。以上のことから、1党(1勢力)優位の傾向がある日本において、優位政党の内部がまとまっていれば、その長所となるはずの決断力が、政治制度のために発揮されない状況が、度々出現したのである。