2.キーワードで考える日本政党史

帝政ドイツとの差異(②③)~利用される、野党間の対立~

議院内閣制を採らない立憲君主制における問題点について考えるための参考に、事情は異なるが、ドイツ帝国の例を挙げたい。各政党が自らの支持層の利益を実現するためには、他党の議席を削って躍進する必要があるため(あるいは少なくとも議席の減少を避けるために、このような積極性を持つ必要があり)、政策調整は、多数が分立する政党間ではなく、宰相(政党に属する宰相は第1次大戦後期まで現れなかった)と政党の間で行われ、宰相は比較的容易に多数派を形成することができた。特定の党派がキャスティングボートを行使し得るような場合があっても、それは他の政党ではなく宰相に対して行使するものであった。このこと自体は、時に決断力のある政治を実現させたが、利益団体あるいは抵抗勢力という面が強かった政党の成長は妨げられ、次のワイマール期における、政治の停滞の要因となった。プロイセンと他の領邦、宗教と世俗、プロテスタントとカトリック、商工業と農業、経営者と労働者というような大きな社会的な亀裂が、深刻なものとしてはなかった日本では、主要政党の数が少なく、その1党あたりの議席数が多かった。政党間よりも政党と薩長閥との調整が多くなるという時期はあったものの、薩長閥と対等に渡り合うための連合が組まれやすい状況にあったため、政党内閣が、より容易に誕生し得た。しかし、政党が薩長閥と渡り合える存在であったこと、民党が多数派であった衆議院と、薩長閥側が多数派であった貴族院の双方の協力がなければ法案の成立が見込めない制度であったことにより、政界縦断的再編が行われ、政党が独自に政権党の立場を得るというのとは、異なる展開となった。

ドイツでは、帝政から共和政への移行によって、突然政権を担う存在になったものの、大きな挫折を経験した政党が、第2次大戦後、政党数を減らす再編を断行し、理念、政策に明確な差異がある政党による、政権交代があり、かつ安定した政党政治を実現した(ただし、長くキャスティングボートを握っていた、自由民主党による少数決の問題があった)。これに対し日本では、明治期に見られた特色(まさにこの『キーワードで考える日本政党史』で見ている、キーワード)が、例外となる期間はあるものの、制度の変化を超えて温存され、1党優位の状況下、政局中心の政治を脱することができていない。