2.キーワードで考える日本政党史

第3極・野党に対する懐柔、切崩し(⑨⑩⑬⑱)~議員同志倶楽部~

議員同志倶楽部は、その多く(結成時12名中6名―憲政党から憲政本党に移り、さらに地租増徴に賛成して憲政党に移った岡野寛を含む―、立憲政友会結成時を見ると8名中の4名)が憲政本党出身であったとはいっても、進歩党の出身者は1人だけであり(立憲自由党や中央交渉部、第4回総選挙後の実業団体に参加していたこともある佐藤里治)、全所属議員中、第4回総選挙以前に当選経験のある5名(うち1名は佐藤里治)のうち、3名が山下倶楽部出身、1名が同志倶楽部(その前は国民倶楽部→公同会)の出身であった。2大民党の合流(憲政党の結成)に、中立実業派から参加した議員の一部によって結成されたのが、議員同志倶楽部であったと、筆者の第3極の分類上は見える。しかし、憲政本党を離党して議員同志倶楽部を結成した議員達は、基本的には実業家ではなく、その中の山下倶楽部出身の2名(高梨哲四郎と和波久十郎)は高地価地域の議員であった。

議員同志倶楽部は、与野党の別が確定的になり、かつ2大民党の一方が薩長閥と組んで優位に立ったものの、他の一方との勢力差が拮抗していたことによって生まれた、切り崩された議員などによる会派であった。議員同志倶楽部の約半数を占めた憲政本党離党者は、彼らにとっても政界全体にとっても重大な問題であった地価修正が実現すると、その存在意義はなくなっていった。確かに彼らは、キャスティングボートの一角を握っていたと言える。しかし日吉倶楽部、無所属の動向によって、それぞれの影響力が大きく変化する、不安定なものであった。彼らは、同じく野党寄り、野党側でありながら、地租増徴に賛成した日吉倶楽部と、直ちに合流することはなく、同派と同様に、立憲政友会参加者と中立的な立場を維持する議員に分裂し、その分裂後、初めて同派と合流するに至った。立憲政友会という、薩長閥の要人を党首に頂く優位政党の誕生、それが薩長閥の全体的な、真の同意を受けて結成されたわけではなく、立憲政友会と、同党に否定的な長州閥山県系等との優劣がどのようにつくか不透明な状況は、日吉倶楽部、議員同志倶楽部の 両派を、立憲政友会にかける議員と、中立として様子を見ようという議員に分けたのだ(後者には真の中立志向を持っていた議員もいたかも知れないが)。議員同志倶楽部は、その多くが憲政本党出身であったとは言っても、進歩党出身者は、中央交渉部や実業団体(第4回総選挙後)に参加していたこともある佐藤里治の1人だけであり、全所属議員中、第4回総選挙以前に当選経験のある5名(うち1名は佐藤里治)のうち、3名が山下倶楽部出身、1名が国民倶楽部の出身であった。つまり、第3極から憲政党に参加した議員の一部によって結成されたのが、議員同志倶楽部だということもできるのである。