2.キーワードで考える日本政党史

第3極(④、補足)~第3極に訪れた機会、立憲政友会分裂~

立憲政友会の優位性の低下は、第3党以下にとっても、チャンスであった。立憲政友会が過半数を少なからず下回ったことで、まとまれば衆議院のキャスティングボートを握ることができた。実際にそれらは連携を策した。第18会帝国議会の会期終了日、6月4日の立憲政友会は、168議席と、過半数を20下回っていた(欠員が1あった)。憲政本党が84議席で、他は中正倶楽部31、帝国党17、政友倶楽部13、同志倶楽部8、立憲政友会離党者16名を含む無所属が54議席であった。数字だけ見れば、最低21議席だけでもキャスティングボートを握れた。立憲政友会は政権党でもなかったし、25議席程度のかたまりを作れれば、衆議院において立憲政友会を封じ込めることができた。しかし、立憲政友会を抜きに過半数の勢力をつくるとなると、それ以外のほとんどをまとめ上げる必要があった。これは困難なことであったが、立憲政友会からの離党者はさらに続出したから、そのハードルはどんどん下がっていった。衆議院が解散された12月11日には、立憲政友会は123議席と、過半数を65も下回った。憲政本党の82議席に、106議席も加えなければ過半数にならなかったのだから、非立憲政友会で過半数というのは、やはり容易なことではなかった。しかしそれは、第3極が非政友会陣営の中心となるチャンスであった。中央交渉部が分裂し、国民協会が第3回総選挙において大幅に縮小してから、約10年ぶりに、衆議院が、3勢力が並び立つ鼎立状態になる可能性も高まったのである。