日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
1列の関係・(準)与党の不振(④⑦)~政界の亀裂と政友会~

1列の関係・(準)与党の不振(④⑦)~政界の亀裂と政友会~

図⑧-Bの、青い亀裂で、立憲政友会は分裂した。

図⑧-B:第8回総選挙後の政界の亀裂

※憲政本党内にも亀裂が入っていたが、分裂には至らなかったと言える。

 

この立憲政友会の分裂によって、山県-桂系(第1次桂内閣)は、自らの最大の敵となり得る立憲政友会、敵対関係になった場合、衆議院における多数派形成の最大の障害となる立憲政友会を崩壊の危機に陥れることに成功した。同党の伊藤総裁を枢密院議長に就けることにも成功し、同党からはその後も離党者が続出した。立憲政友会が分裂し(図⑧-Bの青い亀裂)、山県-桂系は、多くの立憲政友会離党者-山県-桂系・帝国党-対外硬派-憲政本党の一部~全部)という連合形成の実現を期待することができた。しかし、立憲政友会の分裂は致命傷とまではならず、山県-桂系寄りの対外硬派も分裂した(図⑧-Bの赤い亀裂で割れた)。対外硬派の分裂は、予想できないものではなかった。立憲政友会も山県-桂系も、大きなダメージを負ったわけではないと、結論付けることもできなくはない。しかし、図⑧-Bに示した関係は。赤い亀裂で切り開かれ、次の通りに並んだような状態になった。右から並べたが、対外硬派右派は山県-桂系の左隣にした方が、理にかなっているだろう。しかし、ここではそれは重要ではないから、分かりやすさを重視した。

 

対外硬派右派―山県-桂系―立憲政友会離党者―立憲政友会―憲政本党―対外硬派左派

・    帝国党     の一部           (立憲政友会離党者等)

 

衆議院の過半数を下回った立憲政友会が、1列の関係の中央の有利な位置は維持し(衆議院の議席数で見ると特にそうである)、力を弱めるどころか、力を発揮しやすくなったとすら言える。中央に位置していたこと、元々の議席数の多さに助けられたのだと言えるが、これこそ、議会開設当初に始まった自由党の路線転換の産物であった。良し悪しは改めて考えるとして、星や土佐派、特に前者の敷いたレールは、試練こそあるものの成功続きの道であった。双方が去った当時、それは原敬へと引き継がれつつあった。

 

 

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