1.政権交代論

1党優位の傾向(①)~意外と変わらないものである議席数~

優位政党が議席数の水準を維持するという傾向は、現在まで見られるものである。1993年、自由民主党政権から、非自民・非共産の連立政権へと政権交代が起こった時も、総選挙において、分裂後の自由民主党はむしろ議席を増やした(公示前227、当選者223、追加公認含め228)。小選挙区比例代表並立制を導入した後も、自由民主党は、1993年の総選挙と同水準の議席を、その後の3回の総選挙で維持し(註)、以後は、民主党等への政権交代が起こった1回を除き、より多くの議席を得ている(1993,96、2000、03年が同水準、05年で大きく増やし、09年を除いて、2018年現在まで同水準)。優位政党はそれだけ安定しており、時代にほとんど関係なく、第2党以下はそれだけ、躍進することを封じられているのだ(個々の議員が地盤を守っていることで、選挙制度改変の影響が小さくなっているという面が大きい)。現代の例を挙げたが、明治期から昭和期まで、自由党系は総選挙において、議席数の水準を選挙前より下げたことはほとんどない。議席数の水準の低下は、多くの場合、分裂によるものであった。第2次大戦後の自由民主党の場合も同様である。例外は、立憲政友会の第12、15、17、19回総選挙、自由民主党の第34、37、42、45回総選挙における、比較的大きな議席数の減少である(自民党の場合、10議席程度減らしても、過半数をなお大きく上回っている場合は、同水準だと捉えた)。立憲政友会の場合は改進党系が政権にあった時ばかりで(第12回、第17回と、これに準ずるといえる岡田啓介内閣期の第19回)、第15回総選挙のみ、大分裂の後、改進党系と、護憲3派として組んだ時である(大分裂後にさらに議席が減った)。自由民主党の場合は、第34、37回総選挙は不振であったというしかない(第34回は自由民主党の離党者達による新自由クラブの結成があったが、同党は総選挙前は衆議院議員は4名だけで、離党者が出たことだけに限れば、影響は小さかったと言える)。第42回総選挙の結果は、前の第41回総選挙と同水準であり、他党から一本釣りするなどして増えた議席の分が消えた(ただし市部で多く民主党に負けた、いわゆる1区現象の影響も大きく、落選者が入復党者に特別に偏っていたということはない)。第45回総選挙は、民主党が政権を獲得した選挙である。他と比べて減り方は圧倒的に大きい。2大政党制になっていく傾向が強まった時、すなわち1党優位制が崩れた時以外は、優位政党の議席数が大きく減ることはほとんどないのだと言える。当然といえば当然のことだが、明治~昭和期と現代に類似性が見られるというのは、重要なことである。

註:追加公認を含めない場合をみると、1993年7月の第40回総選挙における議席占有率は約43.6%、1996年10月の第41回総選挙が47.8%、2000年6月の第42回総選挙が48.5%、2003年11月の第43回総選挙が約49.4%である。