1.政権交代論

政界縦断・優位政党の分裂(①)~高知県の異変~

田中貢太郎著『林有造伝』によれば、土佐派の立憲政友会離党によって、高知県の自由党系の地盤が動揺し、吏党系との対立が激しくなると予想される中、千葉県の有志から出馬を求められ、理想的な選挙ができること、自由党復興のために有利であることから、林は千葉県郡部での出馬を決めた。高知県は自由党系の土佐派の地盤であったから、第6回総選挙では自由党系(→立憲政友会)の独占状態であった。第8回総選挙では、同党と協力関係にある大石正巳が郡部で当選したが、それ以外全議員が、自由党の流れを汲む、立憲政友会系であった。立憲政友会「系」としたのは、土佐派の支援によって加藤高明が、第7、8回総選挙に無所属として郡部から当選しており、土佐派の内部対立などで、党公認でない無所属として、楠目が第7回総選挙、岡崎賢次、島田糺が第8回総選挙で当選しているからだ(第8章補足参照)。岡崎と島田は同志研究会の結成に参加し、楠目は会派自由党に行ったから、これ自体土佐派の溶解という面があるのだが、決定的であったのが、土佐派がまとまって立憲政友会を離党し、会派自由党を結成したことである。立憲政友会の結成には、自由党系が、トップを土佐派の指導者であった板垣退助から、伊藤博文に取り替えたという面があり、土佐派には不満があった。しかし、派内に中央派と郡部派の対立があった上に(同参照)、離党後に要人の片岡健吉が死去、新たに結成した会派自由党も振るわず、憲政本党や吏党系(帝国党→大同倶楽部)が、高知県における影響力を強めようとした。自由党系の発祥の地とも言える同県における、自由党系の土佐派の地盤は溶解した。第10回総選挙では立憲政友会が2、憲政本党が2、戊申倶楽部の結成に参加する無所属が3(高知市選出の仙谷貢ら)と、完全に分化する。