1.政権交代論

(準)与党の不振(①)~排除される「ゆ党」~

立憲政友会はさらなる分裂(それは優位政党の地位を失いかねないものとなり得る)を回避した。つまり山県-桂系は、切崩しによっても、伊藤の枢密院議長就任→総裁辞任によっても、立憲政友会を決定的な分裂に至らせることができなかったのである。山県-桂系の帝国党を中心とした、対外硬派の再編成を通した憲政本党の切崩しも、実現しなかった。日露戦争が始まったことは(同時に第9回総選挙も行われた)、野党の第1次桂内閣への攻撃を弱めた。しかしそれには、両党の内部を一度落ち着かせたという面もあったように見える。山県-桂系は、2大政党の一方を丸ごと味方にすることも当然できず、山県-桂系寄りの勢力は、衆議院で2大政党(2大野党)に排除された(有権者の支持を受けている大政党を中心に、衆議院を運営するという、分かりやすい建前があった)。非政党内閣に対して、与党でも野党でもない勢力(筆者は準野党に含めるが、1990年代後半からは「ゆ党」などと呼ばれることもある)、つまり会派自由党と甲辰倶楽部が排除されるさまは、おおさか維新の会→日本維新の会などが、内閣(自民党)寄りと見られて、野党間協議の枠組みから排除されるのと類似性がある。帝国党と甲辰倶楽部は、衆議院では2大政党の連携に対抗し得ない少数派であった。しかしそれらは薩長閥(山県-桂系)に連なっていたから、それらと2大政党との対立は、2大政党と第1次桂内閣の対立と、一体的なものであった。2大政党は衆議院において拒否権を持つもつものの、必ずしも強者であったとは言えなかった(現に野党であった)。