1.政権交代論

新民党(⑤⑥)~対露講和と新民党~

ポーツマス条約の内容は、対外強硬派の左派(衆議院の最左派)を勢いづかせた。右の極は当然、第1次桂内閣の方針に強く反発し得なかったから、対外強硬派の旗は、左の極が事実上独占するものとなった。これは新民党(同志研究会系)の同攻会の、多少の拡大を伴う再結成につながった。こうして誕生した政交倶楽部は、同志研究会系に、有志会の一部の他、交友倶楽部の対外強硬派がある程度加わった会派となった。新民党・非吏党系対外強硬派の結集と言っても良いだろう。

最も第1次桂内閣に批判的な、筆者が新民党に分類する同志研究会の系譜には、対外強硬派の議員が少なからず含まれていた(第8章参照)。山県-桂系の陣営にある帝国党のような制約がない彼らを、講和問題が動かさないはずはなかった。彼ら左の対外強硬派は、立憲君主制の日本が、君主専制のロシア帝国に勝ったのだから、立憲主義を徹底する(彼らにとっては民主化を進める)べきだと、主張することができた。彼らの隣に位置していたと言える憲政本党は、立憲政友会と共に桂内閣に加わって、与党となることを志向していたこと(本章1列の関係(⑤)参照)、その立憲政友会が内閣に対して強硬姿勢を採らなかったことから、曖昧な態度に終始せざるを得なかった。このため同志研究会の系譜が、第1次桂内閣に対抗する、唯一の明確な野党であるような状況になった。1列の関係と同時に、4極構造も、さらに明確になったのだと言える。