日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
新民党(⑥)~「自由主義の最左派」としての新民党~

新民党(⑥)~「自由主義の最左派」としての新民党~

同志研究会の系譜は確かに、当時の衆議院の最左派であった。しかしそれはあくまでも、制限選挙が採られ、社会主義者が弾圧されていた当時の、最左派である。有志会の田口卯吉は、第3極の再編(1905年12月の大同倶楽部の結成―と政交倶楽部の結成―)が起こる前の1905年4月に死去している。しかし田口と近かった島田三郎は、同志研究会系と合流し、政交倶楽部の結成に参加している。つまり最左派に合流したのだ。田口は労働問題について、自由主義の立場から労働時間の制限に反対している。田口は、無理に制限をすれば、被用者が増やされ、一人当たりの賃金が減らされる、生産コストが上がり、労働者の不利益になるという、デメリットを挙げている(註)。田口は同志研究会系に参加したことはないのだし、同志研究会系全体が田口と同じ考えであったということではない。しかし同志研究会系は市部の大衆に寄っていたとはいっても、経済的平等化までをも志向していたとは言えない。あくまでも自由主義勢力の最左派であった。大衆の教育を重視していたが、それは権力者に盲従するのではなく、自ら判断する力をつけさせようとするものであると言え、大衆を指揮しようする社会主義勢力とは、全く重ならないとは言わないが、大きく異なる。

註:田口親『田口卯吉』272~274頁。『鼎軒田口卯吉全集』第2巻に依拠している。この第2巻には東洋経済新報で田口が記したものが収められている。例えば同第1082号で田口は、労働保護論者が財主が富めば労働者が苦しむとしていることに反対し、労働者の賃金が増加するとしている。まさに自由主義の立場である。

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