1.政権交代論

実業派の動き・離党者の性質(⑤⑥)~第3極で増えた「政党人」~

中立実業派は、自らに明確な色がつくことを嫌う勢力であった。帝国党と会派自由党という、既成政党(主要3党―と言っても他の会派はほとんどが政党でなかったが―)、その出身者が、彼らに再編、つまり第3党以下、第3会派以下の合流を促していたのだと考えられる(註)。これについては確かめられたわけではないが、長期的に見てみると、そうだとしか考えられないのである。吏党系は、実業派等と合流して勢力を拡大しようとしていたし(第6章補足~吏党刷新、帝国党への道~参照)、会派自由党は、かつての自由党の再興を目指す勢力であったが、それは伊藤系など、他派の風下に立ちたくないだけで、できるものなら大政党になりたいと、思っていなかったとは考えにくい。実際に彼らの多くは、反薩長閥政府の時代の自由党に返ろうとはせず、むしろ、多くが(一度は)、政権を握る薩長閥(山県-桂系)に接近した。そうであれば、次のことが言える。中立を志向するか、少なくとも建前とする議員の多かった第3極に、立憲政友会の分裂によって、自由党系の政党人的な議員達が流れ込んだことが、そこに、選挙ではできていなかった党勢拡大を目指す吏党系が存在していたことと共に、再編による最も右の極の強化を促した。政党とは、通常は政策の実現を目指すものである(少数の特定の人々の利害を代弁し、多数派にはなり難いような政党は別として)。吏党系は、議院内閣制ではない時代の、特殊な政党だと言えるが、政権獲得こそ志向してはいなくても、勢力を拡大しなければ展望が開けないという危機感を、以前から持っていたはずだし、実際にそのような再編が目指されたこともあったわけである。2大政党が連携を維持する状況は、立憲政友会の政党人的な離党者(甲辰倶楽部にも少数存在)、帝国党の議員達にとっては特に、逆境であったわけだが、不満のある者同士大きくまとまるべきだという、機運が醸成されるチャンスでもあった。

註:甲辰倶楽部の結成には、旧中正倶楽部の、いわば生粋の中立派の他に、立憲政友会を離党していた、無所属議員も参加している。彼らの多くは生粋の自由党系ではなかったようだ。伊藤博文が自由党系と立憲政友会を結成していなければ、自由党系の政党に属すことがなかったかも知れない議員達であったと考えられる。政党人らしくない政党所属議員だと言える。彼らには、中立実業派と似たところがあり、政党化にはこだわっていなかったのかも知れない。(上の、離党者の性質(⑤⑥)でも触れた。)