1.政権交代論

1党優位の傾向・2大民党制・帝政ドイツとの差異(⑦)~ヨーロッパと異なる展開~

憲政本党の大石正巳は、できれば立憲政友会と憲政本党の連立内閣が良かったと考えていた。そうなれば、薩長閥がヨーロッパにおける保守主義政党であり、2大政党(2大民党)が自由主義政党(自由派)であるということになる。ヨーロッパでは、下院で優勢となった自由主義政党が、国王から政権を任せられるようになった(国王の側に代わって政権を担うようになった。政党が分化したドイツでは、そうはならなかったが)。保守主義政党(の前身の保守派)はもともと、国王と一体的な、既成の権力であったが、日本では、薩長閥が天皇をいただき、自ら国王の役割も担っていたような面がある。だが薩長閥は、下院(衆議院)を制する自由主義政党(民党)からずっと逃げていた。政権を渡すこともせず(憲政党内閣成立は例外)、憲法を破ったり、停止したりしてでも抑え込むということもなかった。だから中途半端な展開が続いていたのである。しかし大きな自由主義政党が2つあり、その一方が柔軟であり、そのことでより強くなり、また、ドイツのように中小政党が分立しているというような状況にもなかったことで、ヨーロッパとは異なる展開が見られたのである。それが政界縦断だ。自由主義政党にただ政権を渡すのでも、自由主義政党を強引に排除するのでもなく、あおの間である。保守派(薩長閥)の一部と、自由派の一部(自由党系)が、政界を横の線で上下に切るのではなく、縦の線で切った(立憲政友会の結成)。そしてその10年あまり後、保守派の別の一部(桂系)と自由派の他の一部(改進党系の半分)が合流する形となったのだが、このことを踏まえると、日本の状況、より具体的に言えば、権力を握る薩長閥に合わせた方法を採ったのは、改進党系より自由党系であったと言うことができる。