日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
補論㉔註

補論㉔註

註1:1898年6月19日付の伊藤宛の井上馨書簡(『伊藤博文関係文書』一278~279頁)に次のようにある。

岩崎なる財力并日本銀行之勢力を合せたる財勢力を以て右等の諸会社に向ふ時は、彼等衷心には政党方今之弊害を充分覚知候得共、目前金融起業等妨害を生する之想像念に迷惑を生する人情之常にて、迚も実業者之団結は之を望も不可成立は必然に有之候。

1898年6月18日付の東京朝日新聞に、岩崎弥之助、中川彦次郎が政党組織に関わることを拒否したことが記されている。以後同紙の報道は、勢いのあった「在朝黨組織」の構想がしぼんでいく様を報じている。また同じ記事に、政府が国民協会を通じて経済研究同志会(委員には井上角五郎、佐々田懋が含まれていた)を勧誘したこと、商工業者に利益ある方針を為政者に取らせることを欲して、同会が第12回帝国議会以前から、国民協会と交渉していたこと、商工業者が安心できる政策が担保されてから在朝党に入るか、朝野両党(政府党と、2大民党が合流した大民党)以外に財政党を組織して会派を形成し、自らの利益がある方を助けるという主張が同会にあったことを伝えている。同月19日付の同紙は、国民協会の策士と2、3の御用商人の会合が、山県の意を受けて中止されたことを報じている。同20日付は、政府党結成の必要性を伊藤、井上馨に説いていた渋沢栄一が、反対するような発言をしたことを報じている。

 

註2:このような議員同志倶楽部参加者が誰であるのか、断定することはできない。参考までに、1898年12月20日付の読売新聞は、高梨哲四郎が選挙区民の圧迫を受け、広瀬貞文が買収された可能性が高く、岡野寛が久次米銀行から手形金請求の訴えを起こされ、臼井哲夫(『議会制度百年史』院内会派編衆議院の部では憲政本党に属していたとされていない)が債主に迫られていることを報じている。

 

註3:酒田正敏『近代日本における対外硬運動の研究』58~59頁(第1章註39)に、1893年10月2日付日本を基に、大日本協会創立会で決まった府県別の委員が挙げられている。その中に塩谷の名がある。

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