日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
補論㉒註

補論㉒註

註1 :『板垣退助君傳記』(明治百年史叢書)第4巻438頁に次のようにある。()内は筆者が補った。

元来自由党の独力を以てしては議会の絶対多数を制することが出来ず、寧ろ大隈を抱き、進歩党を包容して伊板隈の三角同盟を(伊藤が)希望するのではないかと揣摩するものが多かった。

 

註2 :自由党の内部では、異なる複数の勢力が伊藤系や薩摩閥への接近を模索したため、提携が実現したとしても、内閣が同党の議席をそのまま当てにすることができるかどうか、不透明な状況であった。

 

註3:自由党の党報第127号号外の1頁は離党の理由を「推知するに足る」とし、河野が伊藤内閣との提携を失敗とし、方針を改め、「相共に元勲功臣と與にするを欲」さないためだとしている。

 

註4:『鼎軒田口卯吉全集』第5巻432頁(1897年11月13日発行東京経済雑誌902号所載)。従来からの主張だとしており、海軍の拡張については国防上やむを得ないとしている。

 

註5:1897年4月2日付の読売新聞は、鈴木重遠、藤田達芳、天野伊左衛門が脱党届を提出した理由を報じている。それは、当初の方針を実行することが少なく、財政も全内閣の設計を徒に踏襲した第2次松方内閣が、第11回帝国議会までに財政を整理し、行政を改革すると公約したことから、進歩党はその実行に努め、実行されない場合は進退を決するべきところ、人材登用のために盲従していることであった。記事によれば彼らは、衆議院に過半数の議席のない進歩党では、政府に入っても党の主義政策を実行できないとし、党員の就官に反対した。

 

註6:1897年10月7日付萬朝報。公同会が進歩党に対抗するため自由党、国民協会、実業団体(実業同志倶楽部のことであろう)に同志を求め、小坂善之助(実業同志倶楽部)、千葉胤昌、倉島松男(日曜会)等の一派が加盟を承諾したともしている。しかし千葉は国民協会の所属で無くなっていたし、3名とも、公同会入りを確認することができない。

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