1.政権交代論

補論⑱註

註1:大同倶楽部以外の第3極の会派に議席が移っていることを特定できるケースを見ると、次の通りである(旧甲辰系とは、旧甲辰倶楽部系のことである)。

岡山市  大戸復三郎(旧甲辰系) 落選  当選者が又新会へ

下関市  三井忠蔵(旧甲辰系)  落選  当選者が戊申倶楽部へ

山口郡部 岡田治衛武(無所属系) 落選 当選者が又新会、または戊申倶楽部へ

四日市市 三輪猶作(旧甲辰系)  不出馬 当選者が戊申倶楽部へ

京都市  片山正中(旧甲辰系)  不出馬 当選者が戊申倶楽部へ

名古屋市 服部小十郎(旧甲辰系) 不出馬 当選者が戊申倶楽部へ

 

註2:季武嘉也「明治後期・大正期の「地域中央結合集団」としての政党」有馬学・三谷博編『近代日本の政治構造』159頁)。「明治期までは両政党は相互に対立を内包しつつも強い外の敵に対して共同戦線を形成することが可能であった。それに対して第一二回から第一八回総選挙までの第二の時期は、両政党は逆に増減を異にしながら、全体としては安定的に大きく議席を伸ばしていることが分かる。」としている。

 

註3:補足として、吏党系が再編によらずに新たに議席を得た選挙区はどれだけあったのかを見る。これが多すぎる場合、単に減少に歯止めがかかっただけではないのだから、その原因を分析しなければならない。しかし新たに議席を得た選挙区の数は、筆者にその必要を感じさせるほど多くはなかった。以下の通りである。()内は前任者の最後の所属会派である。

第3回総選挙 :群馬1区(自由党)、島根3区(無所属)、大分1区(同志倶楽部)

※大阪9区、福岡1区は中央交渉部参加・国民協会不参加の議員が国民協会から当選したという例なので除外した。

第4回総選挙 :宮城4区(自由党)、秋田2区(立憲革新党)、茨城4区(独立倶楽部)、岐阜2区(独立倶楽部)、岐阜5区(独立倶楽部)、愛知1区(自由党)、山口4区(無所属、定員2のうち1議席を得た)、福岡3区(自由党)、福岡5区(自由党)、福岡8区(無所属)

・福岡県での復調が顕著であり、同じく対外強硬派が多かった独立倶楽部(解散)から奪還した選挙区が比較的多い(議員の所属の移動による獲得ではない)。

第5回総選挙 :東京12区(進歩党)、山梨3区(実業同志倶楽部)、岐阜3区(進歩党)、大阪7区(進歩党)、島根6区(実業同志倶楽部)、山口2区(無所属)、山口4区(定員2のうち無所属の1議席が国民協会に―他の一方は総選挙の前後とも国民協会―)、山口5区(無所属)、長崎6区(進歩党)

・山口県での復調が顕著である。

第6回総選挙 :愛知8区(無所属)

第7回総選挙 :選挙制度が大きく変わっているが、前回は議席を得ていない滋賀県で大津市において、秋田県で秋田市、郡部において当選者を出し、同じく岩手県郡部、宮城県郡部、岐阜県郡部、鳥取県郡部、大分県郡部で当選者を出した。うち岐阜郡でのみ、同じ選挙区で2名の当選者を出した。

第8回総選挙 :前回議席を得ていない姫路市、愛媛郡、隠岐で当選者を出した。岐阜県では郡部で再び2名の当選者を出すとともに、岐阜市で初めての当選者を出した。

第9回総選挙 :同様に大津市で当選者を出し、鳥取、熊本両県郡部で議席を1ずつ増やした。

第10回総選挙:同様に東京市で当選者を2名出し、函館外三支庁管内で当選者を1名出した。

第11回総選挙:同様に大阪市、隠岐で当選者を1名ずつ出し、大阪府、広島県、島根県の郡部で議席を1ずつ増やした。

 

註4:1897年12月23日付の東京朝日新聞によれば、実業同志倶楽部は次のような決議をし、内閣を信任しない方針を決めた。

本倶楽部ハ先づ法典案の通貨を勉め各派に交渉を求むる事

現内閣の姿勢に對してハ之を信任せず故に閣臣の處決を促す事

 

註5:1896年9月13日付の読売新聞は、品川が新内閣を助けるべきだとしたことを報じ、同11月4日付も、「國民恊會の中堅たる熊本國權派」が一致して内閣を助けることを内決したことを報じている。しかし後者は同時に、大岡ら国民協会の「長州派」に、内閣を支持することに不満があったことも報じている。同11月10日付は、元田(大岡と同じく山口県内選出)が、新内閣を信任するかは明言せず、感服しないことは断言したということを報じている。支持不支持の両論があったことが分かるが、同12月21日付は、同党が秘密会において、「絶對的政府反對の秘密決議」をなしたと報じている。1896年内には野党的な立場を固めたのだといえる。