1.政権交代論

新民党(⑧)~唯一の野党~

猶興会の全員が、1907年度予算案に反対であったのかは分からない。しかし同派の三輪信次郎が、予算案がずさんを極めたものであり、再編成をするべきだという立場から、全部に反対をして返上するという動議を提出し、同派の島田三郎がそれに賛成の立場から発言するなど、猶興会は唯一の反対派であった(『帝国議会衆議院議事速記録』二二第23回帝国議会38、40頁。『河野磐州傳』下巻717頁にも、2大政党と大同倶楽部が賛成であり、猶興会だけが反対であったことが記されている)。猶興会の藤崎朋之は3月12日、立憲政友会が大同倶楽部や無所属の議員を買収したと報じられたことについて、本院の体面に関し調査委員を設けるの件を提出した(本章(準)与党の不振・野党に対する懐柔(⑧)参照)。与党立憲政友会による切り崩し工作は、新民党にとって許しがたいものであったであろう。1907年7月5日付の東京朝日新聞によれば、猶興会は、事業繰り延べを実現しようとする大蔵省の方針を支持していた。消極財政、低負担の姿勢に関しては、全体的には貫かれていたと言って良いだろう。これは現在から見れば新自由主義に近く見えるが、現在の新自由主義が福祉重視に反対するのに対して、当時は福祉国家化が問題になる段階ではまだなかったから、大きく異なる。確かに衆議院最左派とは言っても、あくまでも自由主義であり、平等、反戦の社会主義とは異なる。しかしそれまでの地主層、政界とつながりのあるような大規模商工業者重視の政治から、より一般的な人々に寄ろうとする姿勢であった。