1.政権交代論

図①A,B

図①-A(③~⑦):与野党の別

 

図①-B(⑧他):薩長閥と民党の位置関係

財政の許す限り積極財政によって富国強兵策を進め、列強と対等に振る舞うことのできる国家を築くことは、薩長閥、民党が共に目指すところであった。そのためには、朝鮮半島をおさえるなど、東アジアで優位に立つことも必要であった(左上の位置)。
しかし、薩長閥は政権担当者として外交政策に制約を受け、民党は支持基盤となった地主層の望む地租軽減を唱えるようになり、不可避な点についてのみ、それぞれ図の右上、左下に移動した)。
薩長閥政府が消極財政志向となれば、見かけ上は、民党との距離は近づく。しかし節減した費用を、薩長閥は軍拡やインフラ整備に、民党は地租軽減に充てようとしたように、実際にはそうとは限らない。ただしこの問題が浮上すると、民党は対外硬派でありながら、薩長閥より軍拡に消極的にならざるを得ず、薩長閥が軍拡に力を入れることで、実際には東アジアに進出し、列強と渡り合うことを目指していることが浮き彫りになる。超然主義を唱える主体でもなく、自由民権運動の主体でもなく、外交を担ってもいない中立、無所属は、中心への移動が容易であった。なお、関税自主権の回復は関税の引き上げによる税収の増加につながるから、積極財政、または(あるいは規模によっては同時に)地租軽減を可能とする。