1.政権交代論

6.他国との比較 註

註1:1891年2月14日付読売新聞「辞職勧告」、1893年3月4日付読売新聞、1894年5月23日付読売新聞「目黒代議士に對する辞職勧告」、同年(以下も)5月23日付読売新聞「河上代議士に詰問上を贈る」、「檜山代議士に辞職を勧告せんとす」。5月31日付読売新聞「脇五百圓的代議士、辤職勸告を受く」、6月1日付読売新聞「阿部孝助氏に對せる辞職勸告書」。もちろんすべての有権者が反発していたわけではないのだろう。例示が第4回総選挙後の記事ばかりになってしまったが、これは、第2次伊藤内閣寄りとなった自由党、対外硬派として共闘していた野党の双方が過半数に届かず、無所属議員がキャスティングボートを握る状況となったことで、その争奪戦が激しくなったためだと考えられる。

 

註2:補論で見るように、薩長閥に寄るか、薩長閥と戦うかということの差異による分裂が多かった。政党内閣の実現と定着が目標の2大民党系ではあったが(ただしそれらの分裂においては、薩長閥にただ切り崩されただけの議員も少なくなかったと見られる)、ただ政権を取りたかっただけだという面もある。分裂は確かに、政党内閣を強硬的に実現させるのか、薩長閥に寄ることで漸進的に実現させるのか、という対立によるものであることが多かった。しかしその背景にも党内の主導権争いがあり、主な例ではむしろそちらが先であった。優位政党であったと言える立憲政友会が1921年に真っ二つに分裂したのは、非政党内閣を支持するかどうかという対立によってであった。しかし同党内には、与党であった時から内部対立が深刻になっており、それは政党で育ったか、官僚出身であったかというようなものであった。改進党系の立憲国民党が真っ二つに分裂したのは、薩長閥の桂太郎が結成する新党に参加する議員達の、離党による。しかしそれも、生粋の改進党系と、立憲改進党以外の出身者との対立感情を中心とする、主流派と非主流派の対立が、路線の対立と一体化したことに起因する。

 

註3:進歩党内では、立憲改進党出身者よりも立憲革新党出身者の方が進歩的であったが、憲政本党が第4次西園寺内閣の増税に賛成したのに反発して、多くが離党、三四倶楽部を結成した。その後、第1次桂内閣期に憲政本党は内閣に寄ろうとした。これについては『キーワードで考える日本政党史』第6章で見た。同第12章等で扱う予定で、ここの本文でも少し触れたが、立憲同志会結成当初の衆議院議員の内訳を見ると、6割が改進党系の立憲国民党の離党者、他が吏党系が再編で拡大していた中央倶楽部、そして筆者が新民党と呼ぶ勢力であった。改進党系の離党者は、むしろ自由党系のまねをしようとしていた勢力であったが、中央倶楽部と新民党は、自らの政権獲得を目指す勢力ではなく、積極財政志向を持つ自由党系に批判的であった(従来の吏党系の議員は本来積極財政志向であったが、変化が見られており、また彼らは大同倶楽部→中央倶楽部の核ではあっても、少数派であった)。また立憲同志会の系譜は、自由党系よりも進歩的であった。

 

註4:もちろん全く対立がなかったわけではない。梅津和郎『日本の貿易思想 日本貿易思想史研究』には、いくつかの論争が紹介されている。それらのうち、憲政会が結成される前のものを挙げておきたい。()内は本稿筆者の見方である(綿糸輸出関税論争については、一部同著の記述を参考にしている)。憲政会結成後については後述することとしたい。

・議会開設前の、後の立憲改進党と関係の深い郵便報知新聞の保護貿易論と、後に藩閥政府支持の立憲帝政党を結成する福地源一郎の東京日日新聞の反対:議会開設前であり、議会開設後に当てはめても吏党と民党の対立軸とはなっても、2大政党となった2大民党の間の対立軸とはなっていない。

・議会開設前の田口卯吉の自由貿易論と犬養毅の保護貿易論:田口は自由貿易論者ではあったが藩閥政府支持派ではなく、小勢力の所属か無所属であって、衆議院の議論を主導する立場になかったか、犬養と共に大政党-進歩党、憲政党-の一因であったこともあったことから、衆議院における有効な対立軸とはなっていない。

・綿糸輸出関税撤廃論争:自由貿易政策でもあり、不平等条約によって輸入関税が自由にならなかった日本の採り得る保護貿易政策でもあり、民党本来の主張に適ったものであった。当時野党であった対外硬派は賛成であり、藩閥政府と接近していた自由党は賛否で割れていた。結局、積極財政志向に変化し、紡績業界から働き脚気を受けていた自由党の主張する、綿糸のみの輸出関税撤廃、綿糸の原料である綿花の輸入関税の撤廃が実現するに至る。つまり保護貿易論と自由貿易論の対立とは異なる。

・米国関税政策論争:1910年の関税自主権の回復に関わる論争であり、又新会の議員が撤廃を主張した。衆議院の他の勢力の多くが政府の案よりも高い税率でまとまったため、重要な対立軸とはならなかった。

註5:比較対象とした国の一部にもあった政党だが、キリスト教民主主義政党(穏健保守、中道右派とし得る政党だが、保守政党と別に存在することが多い)、農民党(やはり大きく分ければ保守であることが多い)、自治、独立を求める地域政党があったり、自由派、共和派、左派政党がさらに左右に分かれていたり、保守の右に右翼的政党があったりして、政党数が増える。国内に複数の民族、言語がある場合、それぞれの保守政党、自由主義政党などがある場合もある。