「いやなら選挙でかえればいい」という言葉の怪しさ

検察庁法改正問題は、維新の会が自民党、少なくとも安倍内閣に逆らえないことを改めて示した。

橋下前大阪市長、吉村大阪府知事は、人事権が内閣にあることを強調した。これにはもちろん同意する。検察の内部で人事が決まれば、その暴走を防ぎにくくなる。最高裁判所長官の指名等を含め、一党優位ではそれも問題なしとはし難いのだが、国民が選んだ政権が任命、使命をするのは無難だ。しかし定年の延長については、現職に対して後から強い影響力を持つことになるので注意が必要だ。 橋下も吉村も、嫌なら選挙で政権を代えれば良いという立場だ。しかし権力の分立、抑制は、微妙なバランスで成り立っているものである。それは文章としての法律では完全化できないから、権力者の自制、国民の監視が必要なのである。それとも彼らは、人が生んだ言葉、人が書く文章というものが、「全てのことを完璧に表現できるもの」だと考えているのだろうか。そうであるなら恐ろしいし、本来保守が嫌う考え方ではないだろうか。

法に触れなければ良いというのは、必要な時もあるとはいえ、危険な考え方だ。それに、選挙で政権を選ぶ際、一つの事だけで判断するわけにはいかない。

大阪よりも多様である国政で、維新の得意とする勢いの政治、敵を定めるポピュリズムが通用するのか、過剰にならないか。これらについても心配である。失敗を恐れて変化しないのは問題だが、変化がもてはやされる時には、幻想を抱かず、国民が冷静に見守ることが、やはり重要だと思う。