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なぜ、第2党コンクールを開催してでも、第2党を決めなければいけないのか

民進党が分裂する前、筆者は「第2党コンクール」を行うべきだと考えていた(『政権交代論』「そんな日本の政治に2つの提案」参照)。そして民進党が分裂した後は、民主党系の再統一の是非、そのあるべき形について考えた(同「そして民進党の再建、変革、強化~新しい合流の形~」参照)。そこで述べた筆者の考えは、大まかには次の通りである。立憲民主党は無理な合流まではせず、他の民主党系の議員を、まずは議論をしながら、自らの理念と完全に矛盾するのでない限り、その政策を受け入れつつ吸収し、時間をかけて野党第1党としての地位を固めるべきた。

その後で国民が、野党第1党を改めて選定するということを否定するものではないが、それでも、「第2党コンクール」を提案したこととの間に、筆者は矛盾を抱えてしまった面がある。このことに関して、維新の会の支持率上昇を見た今、改めて考えてみたい。

以前から、筆者は維新の会が支持率を上げると予想してはいた(「日本維新の会の成功の先にあるもの」参照。都構想が住民投票で可決されると、予想した上でのことである)。民主党系に対しては、民主党政権の失敗、下野後の左傾化(特に共産党との連携)から、拒否感を持つ国民も少なくはない。だから第2党コンクールをやれば、維新の会が勝つことも十分あり得ると考えていた。

ただし、初めから絶対に自民党に入れるつもりである人々が、自分と考えの異なる左派を壊滅させようと、票を投じることは回避しなければならない。また、コンクールの結果を尊重せずに、「維新が勝ったけど、維新に入れたくないから自民に入れよう」とか、反対に、「立憲が勝つなら自民に入れよう」ということも起こってしまうから、第2党コンクールの成功は、そもそも期待し難い。ただしそれは、非自民の統一候補を、橋下徹が唱えているように、候補者予備選挙で決める場合にも、起こり得ることだ。

維新の会の支持率上昇は、2度目の大阪都構想の住民投票よりも、ただ少し早まっただけだとも考えられる。だが、コロナ対応に関する吉村ブームと、住民投票の成功という2段階では、過去にないほど、あるいは2012年の維新の会の結成当初と同水準まで、支持率が上がるかも知れない。そうなれば、決して容易なことではないが、野党第1党も夢ではなくなる。

しかしそうなったところで、何もせずに選挙を迎えれば、今度は維新が民主党系に足を引っ張られる番になるというだけで、自民党が漁夫の利を得ることは変わらないだろう。一方で、自民党と民主党系による「反維新連立」の可能性すら、決して低くはないと筆者は考える(「維新の会は自民党に逆らえるか」等参照)。コロナ対応の不十分さ、迷走、また他の様々な問題で、維新と近い安倍総理がダメージを受けている今は、特にそうだ。16歳の時の筆者と違って(『政権交代論』「冷戦終結当時の政治の変化~十代の筆者が感じた矛盾~」参照)、今はそれを歓迎はしないのだが、それは自社さ連立の再来である(民主党はもともと社さ新党だ)。

ちなみに、2大政党(自民党と民主党系)が組んで第3極をつぶすことはできない。2大政党が組めば、それに対抗する勢力が必要になり、第3極がそれを担うからだ。そのような状況が定着すれば、第3極を担っていた政党はむしろ、第2極に格上げとなる(そういう意味では確かに、第3極が「消える」のだと言えるが)。

自民党と組んで支持者や無党派層の多くを失望させた第2極は、せいぜい第3極として生き残ることしかできなくなるだろう。国民の失望を受けて、あるいは、自民党の復活強化を受けて、2大政党が手を切ったとしても、もはや第3極(新たな第2極)は固定的な支持者をつかんでいるだろうし、無党派層のナンバーワンの選択肢となっているだろう。この場合消えるのは、むしろ第2極であった民主党系だというわけだ。第1極:新第2極(元第3極):新第3極(元第2極)がせいぜい、【2:1:1】、もしくは【2:1:0.5】くらいの勢力比になるということだ。

もちろん、自公維国4党による、立憲包囲網のようなものも考えられる。これはどのような段階でも起こり得るが、上の話でいけば、自社さ連立の次に誕生した、かつての自自公連立にあたる。

日本では与党も野党も、そしてそれらのすることを受け入れる国民も、こんな第2党がつぶれるようなことばかりしているから、第2党が安定して育つことがなく、国民が選択肢をいつまでも得られないのだ。だからこそ、【国民の手で第2党を選んで、第3党以下は第2党の陣営に入るか、そうでないなら選挙で消す】という、第2党コンクールなどというものを、筆者は考えるしかなくなったのである。

このコンクールは、以前述べたように非現実的であるわけだが、それでもなんとかして、半永久的な第2党(自民党に勝って第1党になるべき、自民党に対する挑戦者)を決めなければと思うのだ。

コンクールで維新が勝てば、現状維持的な自民党と、より改革重視の維新の会の、保守2大政党制を、日本人が選択したことになる。一度選択したものはコロコロ変えるべきではないから、以後も基本的には、自民党のライバルは、維新の会であり続けるべきだと考える。

ただ正直に言えば、「それで良いのか?」とも思ってしまうのだ。検察庁法改正案(「国難の時に気をつけなければいけないこと」「「いやなら選挙でかえればいい」という言葉の怪しさ」」)で、【自民党にお願いをして政策を実現する代わりに、(自民党が批判されるような案件について)自民党に従う】という維新の会の姿勢を、改めて、まざまざと見せつけられたからだ。

国民の反発を見た安倍内閣が引っ込めたため、これは採決に至らなかったが、維新はおなじみの附帯決議をつけてもらうことで、賛成する姿勢を見せていた。取引きなどないと言うのかも知れないが、それならただ従おうとしただけで、余計に問題であるとも言える(橋下は反対の立場を明らかにしたし、維新の会にも反対であることを明かした国会議員がいた)。

このような性質を変えずに、維新を第2党にして良いのか。第2党コンクールで維新が選ばれる心配をしてしまう筆者は矛盾しているし、「それが人間だ」と開き直るのも自分に甘すぎるとは思うが、正直に意見を述べることは許されると思っている(附帯決議の使われ方については、『政権交代論』「不健全な「閣外協力型」政治」参照)。

筆者は、左右の2大政党を中心とした政治を、少なくとも一度は、選挙による政権交代のあるものとして一定期間、きちんと経験する必要があると考えている。なぜなら、それは欧米の基本であり、基本となるだけの合理的な理由があるからだ(『政権交代論』「他国の政権交代」参照)。

自民党や維新の会のような保守政党が、平等化を策すこともあり得る。しかし自民党の場合は、それは上からの温情的なもの、あくまでも、特定の団体の人々への配慮と利益誘導。そして東京と、有力議員の選挙区との間の「格差」の是正に過ぎない。それには効果もある程度はある。しかし偏りのないものとはなりにくい。票や資金の代わりに味方となるような人々、団体を守る、古いクライエンテリズムに過ぎない。

維新の場合は緊縮財政、競争重視の政策を実現させて、浮いたお金(と増やした税収)で最低限の社会保障と、競争の条件となる教育等について、なるべく格差が生じないように努める。これは自民党より偏りのないものである。しかしあくまでも競争重視の、新自由主義的なものであり、弱者のため、弱者になり得る全ての人のための政治とは、なかなか言い難い(その上クライエンテリズムを排除できないようだと、仲良しのセレブ達のための政治になってしまう)。平等と成長の妥協点として評価はできるが、条件の平等な競争で敗れた人々にとっては、厳しい政治となり得る。そもそも競争の条件を政策で平等にできるというのは、幻想である。平等に近づけることはある程度可能だが、社会も人間もそんなに単純ではない。例えば育った環境のせいで、「どうしても意欲が湧かない」ということもあり得る。

維新の会のように、効率の良さを特に重要視する場合、社会保障政策や弱者に配慮する政策が、状況によって簡単に変わってしまう、ということもあり得るのではないだろうか。そこまでいかなくても、公正な競争のために規制を取り払うことを是とすれば、それによって弱い立場の人々の人生が、より厳しいものとなり得る。【競争が自由になる→激しくなる→労働時間が増えて賃金が下がる】ということは必ずではないが、起こり得る。結局犠牲になるのは弱い旅なの人だ。例えば経営者であっても小さな企業のそれ。そして被用者、特に非正規雇用だ。弱い立場の人は、たとえそれが法律違反であっても、厳しい働かされ方を受け入れてしまう。自由な競争も必要だが、それで皆が自由にできるわけではないということは、忘れないでいるべきだ。

規制があると、弱い立場の新規参入者が確かに不利であるが、規制を取り払うと、その時点で有利な企業ばかりが、より有利になるということもある。あるいは大企業(さらには外資)が参入することで、職を失う人がでてきてしまう。「参入してきた大企業が彼らを雇うから大丈夫だ」というのも、「転職すれば良い」というのも、単純すぎる考えだ。よく言われる例だが、【体力のある大規模チェーン店ができて、とにかく安くで売る(宅配などのサービスをすることで高齢者が助かることもあるだろう)→周辺の小型店がつぶれ、それらで働いていた人々が失業する→失業した人々は大規模チェーン点で働くしかなくなる→競争相手がいなくなった大型チェーン店は、高くでものを売って、安くで人を雇うことができる】というケースがある。それを止めるためには新たな規制が必要になる。その新たな規制、例えば【最低賃金を定める】というものは、以前の、例えば【大規模店の出店を規制する】という規制よりは合理的かも知れない。しかしそれで人々が「計算通り」安心して暮らせるかは分からない。人が制度をいじるということを、万能だと思う人がいるが、実際には計算通りにはいかないものである。ここで例として挙げた大規模チェーン店すら、インターネット通販に敗れ、また失業する人が増えてくる。政府が手を打たない間に、このような負のスパイラルに落ちていく危険もある。

偏りのない政治であっても、格差が生じることはあり得る。いや偏りがなければこそ、弱肉強食、格差社会になる危険がある。下手をすれば、撤廃することが難しい、【強者を守るための規制】ばかりが残るということすらあり得る。維新型の保守にも、これだけのマイナス面はあるのである。そのマイナス面が浮上する場合には、みんなにとっての、あるいは弱者にとっての「敵」を用意したり、愛国心を利用したりすることで、不満が爆発しないようにする。

自由主義はかつて、国王や貴族、教会といった既得権益に対して、自由を求めたところから始まった。そこには、下からの民主化という面がある。ただしその時の「民」とは、豊かな人々に限られ、「自由」とは、金持ちが誰にも、つまり国王にも労働者にも気をつかわず、自由に商売をする、というものであった。その後、労働者の待遇改善を重視する、平等重視の社会民主主義政党が登場し、その社会民主主義政党に保守党よりは近かった自由主義政党は、「貧困からの自由」も重視する、「リベラル」とされるものが多くなり、「弱肉強食」の面を、保守主義政党が担うケースが出てきた。しかしそのような、「リベラル」な自由主義政党は、社会民主主義政党とも親和性があるから(社民系の大政党がないアメリカでは、決して社民系ではなかったはずの民主党に、労働組合の利害を代表する政党という面がある)、区別する必要があまりないだろう。だから、日本のあるべき姿について述べている今に限っては、自由主義政党とは、新自由主義的な面を、少なからず持っている政党とする。維新の会や、かつてのみんなの党がこれに該当する。なお、自由系と社民系の違いは、社会民主主義政党が、新自由主義をある程度取り入れ「第三の道」を採る政党になれば、より小さくなる(逆転現象すら、あり得なくはない。下の図の通り、どちらかが本来の姿でないと、双方が存在する意義は乏しくなる。同様の図は「政党マトリクス」参照)。

 

重要なのはしかし、保守に分類される保守主義政党と自由主義政党が、雇われている人々、社会的弱者の側から出現した政党(知識層の指導はあったとしても)ではないということだ。

1党優位の状態であり、かつ、【優位政党・競争 vs 平等】ですらなく、【優位政党 vs 平等vs競争】あるいは【優位政党 vs 平等・競争】の状態から始めなければならない日本では(しかも小選挙区中心)、やはり何らかの方法で、国民が第2党を選定する必要があると思う。何でも屋の優位政党を前にしては、何でも屋の第2党をぶつけるしかないという面はあるのだが、それではいつまでたっても、国民が選択権を得られない(1党優位も変化しにくい)。第2党を少なくとも社会民主主義か新自由主義に定めて(それに過度に縛られることはないが)、たとえ自民党が社民系に見えたとしても、頑張って社民系の第2党を勝たせる。自民党が新自由主義に見えたとしても、頑張って別の新自由主義の政党を勝たせる。それによって自民党も、「皆に適当に良い顔をしていても勝てない」と悟り、姿勢を明確化し、国民が自民党のライバルに定めた政党とは違う、選択肢となる。民主党政権期には、確かにそのような傾向があった。しかしあまりに早く、自民党1強に戻ってしまった。

【優位政党を監視しつつ、それに取って代わる】という役割は、右から監視するよりも、左から監視する政党の方が、富裕層以外にとって安心ではある。だが、新自由主義政党が政権を得て自民党が弱まれば、自民党がある程度は社民化するだろう。実際、1993年に初めて野党になった自民党は、社会党の委員長を総理大臣とする、連立政権の一員となった。

各党が議論をする。国民が質問をし、最後には投票して、自民党に対する挑戦者を確定するというのであれば、どのように決まっても、今よりは良い。あるいは自民党も対象に加えて、全政党から第1、2党を選んでも良い。そうすれば、民主党系と維新の会が、どちらが上かは分からないが、第1、2党になるということもあり得る。

「第2党はもう立憲民主党で確定している」と言う人がいるが、1党優位かつ小選挙区中心の日本では、それならばもう、第3党以下に票を投じることは極力避けなければいけないのである。2003年、2005年、2009年の総選挙ではそれが実現していたに近いが(2005年の郵政選挙では、自民党系の郵政民営化反対派が注目されたが、それでも自民党vs民主党という構図は変わらなかった)、今はとてもそんな状況にはない。

「立憲民主党で確実」というのなら、第3党以下になるべく票を入れないという、運動をするしかない。政権交代のためには、同時に、「自民党にも入れないで」と言わなければいけないのだから、それは普通の選挙運動とほぼ変わらない。立憲民主党に魅力や議論する姿勢がなければ、耳を傾ける人は少ないだろう(ただし、それでもやる価値がないわけではない)。

こうして考えを整理していくと、自分の考えが前と変わってはいないと確信できる。ただ、願望とは違う展開となったために、その願望がより前面に出ているのだと思うが、「野党第1党コンクール」での有意義な議論を見ることができれば、それも変わるだろう(どのような結果になっても受け入れるだろう)と思う。

「野党第1党コンクール」というようなもので野党第1党(にすべき政党)を定め、そこに票を集中させる。コンクールにおける討論などを経て、それ以外の政党の良い面も、ある程度「コンクール優勝者」には引き継がれる。これを実現させることができれば、国民も成長するし、強制はできなくても(するべきでもない)、票を集中させることは可能なのではないだろうか。

改めて言うが、「第2党コンクール」が現実的だとは、自分でも思わない。しかし、それに少しでも近いことをする。それを開催したのと、少しでも近い状況をつくる。その努力をすべきだと思うし、していきたいと思う。