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自立連立(自立公連立)の先にあるもの・・・

本節でも引き続き、自民と維新の2強となるケースを想定して述べるが、そうならない場合についても、含んだ話になる。

自民党と左派野党の生き残りが組めば、自社さ連立(自民党、社会党、さきがけ)の再来のようなものである。民主党はもともと、「社さ新党」であり、立憲民主党は社さ両党の直系だと言っても、過言ではない。【クライエンテリズム型のバラマキ+社民型のバラマキ】vs【新自由主義の維新等】という構図になるかも知れない(それは【自社さvs新進党】と重なる)。しかしそれでは、財政破綻が国民全体にとって現実的な脅威とならない限り、あるいは自民党が大きく分裂することがない限り、もともと地盤の弱い新自由主義陣営が、著しく不利だ(次の世代以降に過度な負担を背負わすことにもなりかねない)。維新が報道や財界の一部を味方にできたとしても、多くの議席を得続けるためには、かつての民主党以上にブーム、「敵」に頼ることになるはずだ。

政権交代は起こらないかというと、絶対に起こらないとは言い切れない。可能性は低いが、自民党が全体的に失望されれば「奇跡の政権交代」は起こり得る。しかしすでに述べたように、そこまで追い詰められた国民は、冷静ではいづらい。そして日本国は、大阪府よりも当然ずっと多様であり、複雑である。大阪でうまくいったからといって、国政でうまくいくとは限らない。

今10議席の維新が、20~30倍になるのだから、地方議会出身者や官僚等の「政治経験者」、また優れた経営者等がある程度いても、そして加わっても、混乱は起こり得る(すでに地方でも国政でも、多くの議員や候補者が問題を起こしているし、彼らがそれでも議員でいるべきだと言えるほど、優秀だということもなさそうである)。そうなれば国民は絶望のどん底だ。そうなっても国民に失望されないために、今「大阪愛」を力にしているように、維新は愛国心を力にしようとするだろう。多くが冷静でなくなった国民を、あおるようなことになれば、非常に恐ろしい。筆者は決して国民や維新の会を馬鹿にしているのではない。「初めての政権」というのは、必要であったとしても、それほど困難で、危険なものであるということだ。

そうした危機を経てか、経ずにか、【維新も、(民主党のように)政権交代の定着までは実現させられない】という状況になると、大きく分ければ同じ保守である維新から自民へと、議員の移動が起こるだろう(今の維新の会のルーツは、ほぼ完全に自民党である)。同じ新自由主義系の政党であった新生党系も、かつてそうなった。「野党で大きなことを言うより与党で少しでも・・・」、「自民党に入って自民党を変える、正す」という言い訳が、おかしなことだが、日本では通用しやすい。少なくとも目をつぶってもらえる。

そうなれば自民党も、連携相手に配慮する必要がますますなくなり(公明党は別だが、公明党の集票力も落ちているし、与党第3党ではさすがに埋没も深刻なものとなる)、自民党1党制に近づいていく。そうなれば当然、それに反する動きも出て来るが、自民党のライバルをつくるのに、数十年はかかるということになりかねない(それが政権交代を実現させるのは、さらにその先ということになる)。

「大阪の改革を東京に」と言うばかりでは、大阪がよほど成長しない限り、そしてそれが維新の力によるものだと認識されない限り、【東京、名古屋、大阪、他の市部でばかり強かった】、維新は小沢代表以前の民主党、つまり政権を本当に狙えるようになる前の民主党と、そう変わらない議席しか得られない(民主党が、大都市以外では、各県の選挙区の1区になっている、県庁所在地のある選挙区に限って強かったことから、1区現象と呼ばれた)。【都市維新vs農村自民】という構造をつくって、それで勝つためには、まだまだ長い長い時間を要する。それはつまり、【地方から大都市に、もっともっと人が移り、それを十分に反映した、1票の格差に厳しい、選挙区割りの是正がなされるまで】ということである。その結果維新が勝った場合、それは多数派の都市部住民を重視し、少数派の農村部の住人(特に裕福ではない人々)を犠牲にするという危険がある(例えば過疎地の住民に、より効率の良い場所に引っ越すことを求め、それに適応できない高齢者などを、自業自得として軽視することは、本当に起こり得る。これは世代間の対立の重要な一部ともなり得る)。

そうはならず、【全国的に都市部と同じマインドになる】という可能性もあるが、ITの発展がそれを助けるのだとしても、今のところ想像しにくい。

その間自民党も手を打つだろうから、【東京自民vs大阪維新】ということになるかも知れない。それでは2大都市がいがみ合うことになるし、そこまでいかなくても、第1、2党の違いが薄れ、能力を競うだけになる(しかもそうなった場合、少なくとも最初は自民党が強いから、東京・自民党が圧倒的に有利だ。公言はもちろんせずに大阪を排除して、首都機能の一部移転を進めることも起こり得る。理屈はいくらでも用意できる)。これでは国民は、理念や政策で選ぶことはできない。さらには、国民の愛郷心が選挙に利用されてしまう。

まずは移行期になるということも考えれば、大阪府の名称を大阪都とし、副首都とするところまでは、自民党も認めるだろう。だが自民党と維新の会がライバルとなれば、維新の得点となる政策を自民党が手放しで認め続けるはずはない。賛成であるとしても、自民党主導という形にしようとするはずだ(大阪の自民党を見捨てない方針を採る場合は、特にそうだ)。維新にとっては、実現するならそれで良いということかもしれないが、それでは自民党から政権を奪うだけの力は得られない。

これは日本の野党がぶつかる壁である。自民党に手柄を取られた政党はいくつもあるし、それに甘んじて成功した政党はない。要するに埋没するのである。そして手柄を横取りした自民党は、もともとは嫌であったという場合は特に、その路線を簡単に捨てる。それでも自民党は、忘れやすい日本人が最も注目する政党ではあるから、再びそうする必要がある時には、他党の政策を横取りすることができるのである。そんな自民党の前では、そのライバル政党ですら、埋没する(自民党内で対立が生じ、本来はあきれられるべき場面においてすら、自民党が関心を集める)。

公明党と取引きをする政党であることを考えると、維新の会は、野党第1党になった場合、かつ長く政権交代を実現させられない場合、左派野党の中でも左のほうの勢力とすら、組む可能性があると筆者は考える。そうなれば、理由や経緯は違っても、結局民主党系と同じようなところにたどりつくことになる。現実的に歩める道は限られており、民主党系がたどっているもの以外に、政権交代(の定着)への道がそもそもないということだと、筆者は考えている。

もし、自民党から新自由主義の議員達が維新の側に移れば、これは悪くない。自民党の議員が、その支持基盤ごと維新側に移れば、それだけ維新側が強くなるということもある。情けないことであり、問題なしとはし得ないが、それが1党優位の国だと言うこともできる。かつての野党もそうして選挙に強くなった。

自民党の利益団体や選挙区へのバラマキは、民主党系の社会保障による格差縮小型のバラマキとは異なるが、両党特に自民党は、そのどちらか一方だけ、というわけではない。新自由主義の維新の会が強くなり、また、中間団体が今以上に弱る傾向が続けば(良し悪しは別としても、自然なことではある)、再分配が、自民党の得意な、恣意性のある補助金や公共事業、許認可等を用いた産業別、地域別というよりも、明確な基準に基づいて、全体的に満遍なく、ということになっていくと考えられる。個人が中間団体にまとまらず、バラバラに存在する傾向が強まり、困っている人々を、あくまでも社会保障で救うというイメージだ。もちろん、伸びる分野への支援もあるが、それは今までより恣意性を排除してなされる(ただしそれが、利益団体を通さない、政治家と資本家、経営者との個人的なコネによってゆがめられる危険はある)。教育等、スタートラインの平等も重視されるが、同一労働同一賃金も重要課題となる。「満遍なく」ということでいえば、ベーシックサービス(医療、介護、保育など、生きるために必要なサービス)の強化、ベーシックインカムも、現実的な争点となる。

中間団体の弱体化には負の面が当然あるから、中間団体を改革したり、新たに生む、または生まれ、存続することを助ける政策はあっても良い。ただし筆者は、それが利益誘導政治の維持、再構築の道具になることは、可能な限り避けて欲しいと思っている。

かつては、いや自民党政治とは、個人が地域ごと、職業ごとの団体に入っており、その要望も受けて、困っている業種、職種、または地域を国が救う。あるいは困っていなくても、票の見返りに優遇するということをしていた(チャンスを活かせるような分野、企業を国が支援するのは、それが公正な判断に基づいてなされれば悪いことではないが)。それと、貧困層を満遍なく救うものを含む、福祉の充実がかなり両立できていた。

しかし、かつてのような経済成長は見込めないこと、少子高齢化が進んでいることを考えれば、両立の維持は困難だ。さらには、特定の地域、業種をあえて救わないことで、世界的な変化への対応、発展のための手段とすることも、必要になるかも知れない。少なくとも、要望とは違った救済策等が採られることは必要になる。「救済」とは少し違うが分かりやすい例を挙げれば、人口の少ない地域のインフラの充実(地域振興にもなり得る)を断念し、人口の多い都市の、老朽化したインフラの再整備を優先させる、というようなことだ。その場合、変化を促す意味での、例えば変化することを条件とした「救済策」が採られるが、それこそ、【難しい経済成長に取り組む、比較的厳しい政党】としての、維新の役割となるだろう(それは、維新の会がスタートラインの平等を重視するのとは、別の問題だ)。

都市と地方の格差についてはむしろ、地方分権、道州制に積極的な、維新の会こそが向き合うべき課題になるだろう。それにはもちろん「あえて救わないこと」、「無理矢理変化させること」も含まれるわけである。ならば自民・左派政党は、その弱点、地方分権路線の問題点を指摘することになる。それをさらに維新が批判し、有意義な議論がなされれば、それは良いことだ。

さて、ここまで「維新の会が野党第1党になったら」という前提で考えてみた。保守2大政党制に否定的な筆者だが、最後に意外とまともな構図が浮かんだ。しかし、最後の最後でひっくり返すようではあるが、あくまでも机上の空論であり、だめだと思う。理由は3つある。

まずは、今挙げた例に関するものにしておこう。【都市vs地方】になるという弊害だ。人々の生活様式が変わり、都市部から人が流出するようにでもならない限り、多数の都市住民が、少数の過疎地の住民を切り捨てるばかりの政治になる危険がある。またそもそも、地域間の対立というのは、国内の分断を深刻なものとしやすい。地域間の格差を是正するには、地理的な面から限界がある。例えば、大都市から遠い地域はどうしても不利である。それを埋めるには、インフラ整備など、莫大な資金が必要になる。これまでの日本がそうであったように、無理にそのようなことをしても、お金がかかるだけで、「延命」にはなったとしても、解決はできない。その地域の自治体や民間の工夫で、観光や特産物による地域振興もできないわけではないが、それはそれで、日本国中がライバルになる(国の政策だが、ふるさと納税による返礼品競争もそれに近い)。旅行をする人、特産物を買う人の総数はある程度増える余地があっても、「皆が豊かに」というのはなかなか難しい。対策を講じないことも含めて、どこかで判断が必要になる。大政党が、【ITや農業政策の大転換によって地域間の格差を埋める】というような政策を掲げるのは、建設中心の公共事業よりは予算がかからないだろうし(農業は、規制を緩和して企業に参集してもらうため)、夢もあって良いと思う。しかし過疎地などを、【都市部の住民の負担によって守る】か、【「自己責任」としてドライに処理する】か、というような、損得に偏りやすい事象が、主要政党間の争点になるのは恐い。【高齢者vs若者】というのは、誰しもが生きていれば双方の立場になるのだし、祖父母や孫がいれば、全て他人事ではないが、地域間の対立は、都市に農村部の出身者が多くいたとしても、より難しい。

また、都市部が農村部のあり方を決めることになれば、国内の分断が深刻なものとなる。

2つ目は、自民党の癒着政治が、そう簡単には変わらないであろうことだ。時代の変化に迫られて変わるということも考えられるが、追い込まれることで逆に「保守的」になり、古い方法を守って、その弊害が決定的なものになることも、十分考えられる。

3つ目は、あまりに時間がかかり過ぎるということだ。今10議席程度で、東京都知事を早期に取ることも難しそうな維新の会が(2020年の都知事選は推薦候補が供託金を没収されるレベルで、2021年に躍進できなければ、都議会議員選挙についても、2025年まで待たなければならない)、都市部を基盤にして、左派野党の次に自民党をも破って政権を取ることは、仮に可能だとしても非常に長い時間がかかる。一部の先進的な(?)農村部で、その改革路線が支持されるということも、考えられないわけではないが、全国的にというのは、野党としては特に、難しいだろう。

その長くなるであろう野党時代に、維新がずっと充実感を持ち、求心力を維持していられるか分からない。大阪で問題が起これば、道半ばで崩壊する可能性が高い。そうなれば、民主党系が維新と時間をかけて2位争いをしているうちに、1党優位の弊害(『政権交代論』「恐ろしい1党優位制、つまり自民党1強の弊害」参照)が決定的なものとなる可能性も高い。

自民党から維新の側に議員が移る可能性について触れたが、そんなことが簡単に起こるはずはないし、起こったとしても数は少ないだろう。自民・立憲連合と対等になるのを助けるだけの議員が、自民から維新に移るという可能性に、筆者はかける気にはならない。またそのような議員達は、維新がすぐに有利にならない限り、自民党に戻ろうとする危険がある。そんなことでごたごたしていると、弱い方である維新側のイメージが悪くなる。

そもそも筆者は、保守2大政党制にも否定的なのだが、維新の会が長い時間をかけて第2党を狙う事はとても認められない(理由はもちろん、その間に1党優位の弊害がさらに深刻化するため)。そうなりそうな場合、維新を自民党側だと捉えて(実際に、少なくともしばらくは自民党に利益をもたらす)、またそう印象付けて、左右の対立軸を浮かび上がらせるしかないと考える。