野党の戦い方

安倍内閣による政治の私物化も、コロナ対応も大問題だが、いつ、どう戦うのか、野党側も試されている。追及も重要だが、人を引き付けるには希望が必要である。国民、特に支持政党のない人々、自民党と維新の会の熱心ではない支持者、つまり支持政党を変更し得る人々に、「左派はだめだ」、「政権担当能力がない」、「感じが悪い」などと、思われる原因をつくってはいけない。

最も重要なのは、経済政策だろう。国防も重要だが、これは政権につけばやるしかないし、。民主党政権の教訓が活きやすい(だからその当時の議員達が引退する前に、再び政権交代が起こらなければいけない)。しかし経済についてはそうはいかない。理想論と現実論ということではなく、あまりに諸説あり、採るべき道を定めるのが難しい。国民が重視し、注目している分野であるため、担当の官僚や専門家に全て丸投げすることも難しい。与党政治家のリーダーシップが問われるのだ。

かつての社会党はこれを軽視して、「非武装中立」という、外交・国防に関する理想論と、自民党政治への反対ばかりであった(経験乏しき野党としての限界もあったとは言え、経済については大企業・経営者層を抑えようとするばかりで、労働組合の代弁、社会問題への取り組みはあったが、チャンスを生かして国を発展させ、それによっても平等化を促進するというビジョンには乏しかった―それを言うなら頑張ったのは経営者や労働者であり、自民党もチャンスを無駄にまではしなかった程度だとも言えるが―)。外国の脅威は軍事ばかりではない。その脅威、そして貧困などからも国民を守り、豊かな国にする、頼れる政党、その政党のプランが求められる。民主党への政権交代は、それが半ばできたこともあり、実現したのだ。「半ば」としたのは、非現実的な公約であり、「それでも実現させる」という気迫も根気も足りなかったからである。次はそこを認めて改める。

これはもちろん簡単なことではない。公約が多少なりとも地味になるからだ。しかし理想と現実を分けて、長期的な流れと短期に行う政策を区別して示せば、国民には伝わると思う。立憲民主党の祖先もやったことだ。(すぐに禁止された、1901年結成の社会民主党。『キーワードで考える日本政党史』第6章「補足~無産政党~」参照)。その時に民主党政権について反省していることを見せるのも重要だ。

ここで一つ例を挙げたい。スマートシティ、スーパーシティについてだ。筆者は、1党優位の日本でこれを進めていくのは、非常に危険だと思う。中国のような監視社会になりかねないということだ。しかしそうかといって、「反対して終わり」というだけでは、他国に引き離されてしまう。1党優位のままでは、政府が国民を監視するようになる危険性が高いと、左派野党は当然訴えるべきだ。その上で、1党優位でさえなければ自民党が進める路線で良いのだと、あるいは改善点があるならそれを示して、【恐ろしい未来】を警告するだけではなく、ちょっとしたことで、【便利で楽しい未来】に進めるのだという、希望も示す必要がある。そうでなければ投票意欲は湧かない。

そうは言ったが、「選挙に行く気なならない」、「野党に票を入れるきにならない」と言っているだけでは済まない。選挙による政権交代が全く定着していない、半永久的な1党優位の政治を変えたいのなら、つまり政権を本当に選択したいのなら、国民にも覚悟が必要である。

良く見る必要がある。批判ばかりしているわけではないという左派野党の声に耳を傾け、その上で問題点を指摘するということが当然重要だ。だがあえて言えば、批判・追及は非常に重要である。批判ばかりして足を引っ張るなという立憲民主党批判が目につくが、内閣・与党に対する批判を封じ、疑惑から目をそらすために、国の、国民の苦難を利用し、「空気を読まずに内閣を追求する議員達」が責められる事態を生じさせれば、戦時中の日本に逆戻りしてしまう。あっという間にそうなり得る。もし言論が弾圧、懐柔されたとしても、国会中継だけは、少なくともしばらくは残るだろう。その国会で左派野党が自民党を追求していれば、その時には今の左派野党が、自由と民主主義を守る砦になる。これは大事なことだ。

そんな重要な野党について、国民が忘れないでおくべき、大切なことがある。それは、【一部に評価されても、全体的には知られることすらあまりない対案路線】と、【批判はされても知られる(それだけで票につながる)対決路線】のどちらが、優位政党になんとか対抗し得るものであるのかということについて、不利な状況下、第2党(野党第1党)は内部対立を繰り返してきたということである。そして分裂を何度もしている。

それは最近始まったことではない。戦前は立憲国民党の大分裂、特殊だが立憲政友会からの政友本党の分裂、戦後は改進党系の民主党、そして、社会党、民進党の大分裂という例がある。いずれも、大政党が真っ二つに割れている(民進党の場合はもっと複雑)。分裂にまでは至らなくても、党内対立で力を消耗してしまうことも、多々あった。

第3極だってそうだ。長期間自立していることすら難しく、自民党に寄るか、他の野党と協力するかで、一致できずに分裂するのだ(新自由クラブ、特殊な例だが自由党―その前の、90年代前半に誕生した新生党、日本新党にも、そのような面がある―、みんなの党、日本維新の会、維新の党)。そのくせ、第3極に位置する一定規模の政党は、繰り返し誕生する。それで何が変わるというのか。

改憲など、左派の言う「右傾化」がある程度問題となれば、左派野党は一定の支持を得られる。しかし、それだけでは選挙で勝負にならない。時に、左の確実な支持者をある程度失うことすら覚悟し、現実的な対案を用意して、しかし自民党の土俵には乗らず、まともに報道もされない中、インターネットでは保守、右翼に勢いがある中、多くの国民に声を届ける。他の面でも信頼を得て、もし負けても必要な勢力だと思わせる。所属議員達が気を緩めることなく、希望を持っていられる状況をつくる(そのように育てる)。これはあまりに大変だが、挑戦せざるを得ない。そしてそれは、特別偏っているわけではない多くの国民が状況を理解すれば、本来実現できるはずのものだ。「自民党が与党でいないと、私たちは食べていけない」という人々がいるとしても、変化が起これば、そこにとどまってはいられない(そのような人々は、必要に応じて別の方法で公正に救わなければいけないが)。

筆者は、左派政党に「右に寄れ」と言っているのではない。左派政党の問題となっている面を克服する必要はあるものの(そもそも完璧な政党などない)、左の選択肢としての自らの必要性を、国民に知らせることが重要なのだ。その際、国民に自らの問題点と、現実に妥協しなければいけないこと、あまりに不利な状況であることを共に知らせ、謙虚な姿勢で意見を募る、理解を求める。平等、平和の高い理想を持ちつつ(「誹謗層中立」だって理想としては良い)、まずは、大きな弊害をもたらさずに、それをどこまで実現できるのか、それとは別に、しなければならないことはないのか、現実的な判断をすべきなのだ。

憲法改正について、立憲民主党が広告規制を前提としていること、解散権を縛ろうとしていることはとても良いと思う。しかし左派野党は、「それが改まるなら、改憲の議論に前向きにに参加する」というくらいのことを、積極的に主張すべきだ。共産党は反対するだろうが、左の立場からの改憲案がなければ、説得力に乏しい。

たとえ改憲が、9条も変えないごく小幅なものであっても、一度実現すると、再度の改憲が受け入れられやすくなり、自民党が好きに変えるための突破口になってしまう、という左側の主張も、分からないわけではないし、敵の土俵に上がることにはリスクもある。しかし安倍総理が改憲に本腰を入れる場合、そうも言っていられない状況になり得る。「本当に良い改憲ならやるべきだ。」、「反対する野党は、選挙目当てか、一部の変わり者の支持者しか見ていない。」という声があふれる状況になることはあり得る。小泉総理が郵政改革ブームを起こせたのだから、安倍総理が改憲ブームを起こせないということはない。もし起こせなかったら、それは安倍が無能なのか、あるいは実は、他の事に比べて熱意がないということになる。確かに、改憲に拒否感を持つ人も少なからずいるだろうが、そのような分断こそ、ドラマを盛り上げる材料になる。だから左派野党も、目指しているものを実現させることを放棄せずに、慎重に状況を見極めるべきだ。

もちろん、対案が必ず必要なわけではなく、止めさせることこそが重要な場合もある。国民はそれをもっと認識すべきだ。浜田国松の「腹切り問答」を思い出すべきだ。

今は両院とも、護憲派(左派政党)で3分の1弱だ(国民民主党を含む)。公明党が改憲に消極的だから、3分の1に届かなくても護憲派はねばれるが、今改憲を阻止したとしても、改憲論は再燃し得る(もちろん、改憲すれば日本単独で中国と渡り合えるというわけではない。本当に大切なのは、課題を放置しないことである)。野党は、自民党が改憲に以前よりも熱心であることで、それにとにかく反対の人々から、最低限の議席を得られるという面もある。しかしそれだけでは、当然ながら政権は取れない。

筆者は、維新の改憲案には賛成できる。しかし維新の場合、国民の権利を軽視する自民党に、利用されて終わるのではないかと危惧をする。

2012年の自民党改憲案は、権力よりも国民を抑える、憲法とは別の何かだ。仮に維新の案も実現したとしても、自民党の本心が具現化したら、民主主義国としては、日本は重症を負う。

9条については、現状にある程度合うように、そして中国等に立ち向かえるように、改めるべきだと筆者は考えている(そのために重要なのは一般の法律であり、憲法9条の改正は、その良し悪しは別として、自衛隊等の現状を追認し、さらには国防を甘く見ない日本の姿勢を世界に示すものである)。左派野党にもそれくらいのことを、本当は求めたい。維新の改憲案についても、細かく賛否を示して欲しい。しかし彼らには警鐘を鳴らす役割もあるし、繰り返しとなるが、政権を得れば現実的にならざるを得ない。

やはり、現実にやらなければいけないことと、本来の理想を整理して公約にすればいいだけの事だと思う。もっとも、左の有権者が離れては政権獲得がより難しくなるから、簡単にはいかない。選挙の時にごまかせたとしても、政権を取った時に失望されるかもしれない。左の有権者のもっと多くが、理想と現実の区別をすることができるようになり、左右の別が、もっと競争か平等かということにならなければいけない。左派政党が誠実に、悩み、議論をすれば、国民を変えることもできると、筆者は思う。

改憲に関して言うと、少なくとも1党優位が本当に変わらない限り、筆者は緊急事態条項の制定には反対だ。野党が外から監視するだけではなく、政権交代による【前政権に対するチェック】も必要だ。それが定着していない状況で、緊急事態状況という強い「武器」を、万年与党のような強い勢力に与えるのは危険すぎる。

権力の均衡、抑制というのは微妙なバランスの上に成り立っている。警鐘を鳴らせば矛盾をはらむことにもなるが、それを背負っていく覚悟も、野党には必要だ。左派野党は、【1党優位+安倍内閣の路線】あるいは【1党優位+2012年の自民党改憲案】というのが、どれほど危険なのかを国民に訴え、1党優位でなければ賛成できることもあると、国民にもっと示すべきだ。全くないというのでは、かつての枝野代表個人、そして民主党の姿勢とも矛盾してしまう。少なくとも説明は求められる。

今述べたことは、「もっと票を入れてくれないと左派野党は前に進めない」ということでもある。本人たちが言えば自己中心的に見られるから、関係者以外からもっと声が上がるのが望ましい。中立的な人々へ、明治以降の「1勢力優位→1党優位制」における、日本の野党の厳しい状況を訴える必要があると思う。何とか、その相乗効果を生まなければいけない。もちろんそれでも、政党の訴えが重要であることに変わりはない。

左派野党は維新の会と話すべきだが、維新の会が【多少の譲歩で自民党に利用される】という道を行くのなら、左右激突というのが次善である。国民が選択肢を得ることにはなる。

繰り返しとなるが、維新の会の支持率がまた下がるだろうと、待つのは愚かだ。仮に下がっても、また上がる可能性が十分ある。これから大阪都構想の住民投票もある。そして仮に維新が倒れても、これまで通り、またあらたな保守の新党が現れ、足を引っ張ってくる。左派野党の新たな段階は、維新の良い点、同意できる点は認めるというところから始まるべきだ。仮にないのだとしても、維新の政策を実現させていくとどうなるのか、良い面、悪い面を分かりやすく説明すべきだ。「維新は悪くて民主党系は良い」というのはだめだ。長所、短所はそれぞれ(の政策)にある。その違いを明らかにし、どちらかのタイプにまずはかけるのか、国民に選んでもらわなければいけない。

その障壁となる自民党支配を終わらせるために、できることはないのか。立憲民主党は維新の会と、頼んででも議論すべきなのだ。維新がもし応じないのなら、それはそれで良いのである。国民は見ている。現状だと、左派野党も向き合っていないようにしか見えない。今だに、同じ左派政党のれいわ新選組に対してすら、立憲民主党はしっかり向き合っていない。今だからこそ、さらなる変化に期待したい。

自公を利するような状態が続くと、維新は大阪以外では支持を減らすと思う(特に自公政権が支持を失っている時には)。何でも妥協するのは論外だが、野党はもう少しだけ、大人になるべきだ。上で「さらなる変化」としたのは、立憲民主党がすでに変化を見せているからだ。対案路線をアピールするようになってきたと感じる。消費税についても、迷いながら向き合っているように見える。確かめていないのであくまでも筆者の印象だが、党で問題が起こった際、批判された際の自己正当化も、以前より(民主党、民進党時代も含めて)なくなってきている印象を受ける。新型コロナの問題、自民党の迷走、維新の会の支持率急上昇に刺激されているのだと想像するが、期待している。