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合流するなら取りこぼすな

ここで民主党系の再編と、それにおける繰り返しを整理しておきたい。以下の通りである。

 

・社民党+新党さきがけ=民主党:自社さ政権の負の面を背負う、社民党とさきがけの党首クラスを排除した。このため社民党の残部が現在まで存続し、民主党系とはずっと、協力したり、すれ違ったりを繰り返しており、無駄が出ている(衆議院60名強の社民党、同20名強のさきがけの、それぞれ約半数が参加しておらず、選挙が迫っていなかった参議院については、参加は少数派―総選挙後に社民党から移る議員が多く出た。総選挙の前後合わせて見て、参議院議員の約3分の2が社民党に残留―)。

 

・民政党や新党友愛の民主党への合流:党首も菅直人のままで、民政党から不参加者が出た(民政党は衆院29、参院9議席であったが、衆院4名が不参加)。理念はあいまいで、合流したものの、民主党(旧社さ系)、民政党(自民党離党者等の保守)、新党友愛(1960年に社会党から分かれてできた民社党の系譜)出身者の団結は難しかった。これはかなり解決されたが、もっと後に初当選している(保守系の)議員と、その他多数が、野党転落後の民主党系の、国防に関する左傾化、共産党との連携について、対立した。民社党系の社会党系に対する対抗心が、希望の党騒動によって再び強まった面もある。

 

・自由党の民主党への合流と、離党:民主党は自由党を吸収したが、その自由党を率いていた小沢の力を借りざるを得なくなり、小沢を代表に選出した。初当選の議員を多く吸収した小沢派は拡大した。政権獲得後に反小沢派と小沢派が対立、小沢派が離党して国民の生活が第一を結成した。しかし国民民主党が結成されると、生活の党→自由党(小沢派の流れ)はこれに合流した(最初は立憲民主党に合流しようとしていたようだ―山本太郎が断られたことを話していたと、筆者は記憶している―)。なお、民主党が自由党を吸収した際、双方に離脱、不参加はなかったが、その前年に民主党を離党して、保守党と合流し、保守新党を結成した議員(衆院5名)には、自由党との合流に否定的であった議員もいたようだ(熊谷弘や佐藤敬夫がそうであったと考えられる。民主党の母体となった社さ両党は、非自民連立政権で小沢と対立して連立を離脱していたし、民主党に合流した新進党出身者は、多くが新進党内で小沢と対立していた)。

 

・民主党+維新の党=民進党:手続き上は民主党による維新の党の吸収。その前に維新の党から大阪派が離党(分裂前衆院41、参院11議席であった維新の党の、衆院25、参院5名のみが民主党と合流)。

 

・民進党の衆議院議員が希望の党から出馬:民進党が希望の党に合流しようとした。希望の党の小池代表がリベラル(日本の場合には中道左派、社民系を指すのだと思うが、左翼まで含めて使われる場合もある)の排除を表明、排除されそうな議員、そもそも希望の党から出馬したくない議員が立憲民主党を結成した。

 

・希望の党+民進党(残部)=国民民主党:希望の党が民進党との合流(合流に否定的な立憲民主党以外の民主党系の、とりあえずの合流)を決めたが、党内に反対があり、民進党からは離党者が出て、希望の党は、国民党と(新しい)希望の党に分党した上で、国民党が民進党に吸収される形になり、党名は国民民主党になった。

 

・立憲民主党+国民民主党 国民民主党が参加者と不参加者に分裂。社民党も、合流するかどうかで内部対立が続いている。

※民進党、希望の党、立憲民主党は、最終的に主に立憲民主党にまとまったが、衆参とも、およそ5名の不参加者が出ている(新たな立憲、新たな国民のどちらの党にも、会派にも参加しなかった議員)。その多くは選挙区で当選する力のある議員で、自民党側に移った者が多い。追記:社民党は残留派と立憲合流派に分裂し、結局、立憲民主党が野党の中では圧倒的な規模となったものの、枝野代表・福山幹事長の立憲民主党、玉木代表の国民民主党、福島党首の社会民主党が、合流前と同じく存在するという、再編の印象を薄める状態になった。

 

以上だが、合流の度に多少なりとも不参加者がでる。それはとりあえず無所属となっても当選できる「貴重な議員」であることも多い。そのロス、また、結局は合流するのに、分立している間に対立感情が強まるということもあるわけで、深刻な、悪しき繰り返しである。

今のところ、立憲民主党と国民民主党の合流は、結論が先送りになっているだけだ。合流しないのも一つの道だし(「国民民主党に望むこと」参照)、筆者は、国民民主党が選挙協力だけして、選挙後には左派陣営を離れるという心配を多少はしつつも、合流なしの連携を肯定するのだが、もし合流するのなら、取りこぼし(合流不参加者)は一人でも少なくするべきだ。合流することでブームが起こり、支持率で自民党を凌駕するというのなら別だが(それでも、選挙区で当選できる議員が多く参加しなければ、本当によほどのことがない限り、支持率通りの議席数にはならないと思うが)、一人の取りこぼしでも支持率には響く。特に、小選挙区で当選できるような議員・候補者の取りこぼしは、獲得議席の減少に直結するから許されない。

これは決して大げさではない。総選挙の結果は、2012年以降は特にそうだが、政権交代(2009年)前の2005年までのものも、自民党が民主党を引き離していた。そこには比例代表の結果も含まれている。下の総選挙結果を見て欲しい。第2党になったのは、2000年から2014年までは民主党(ただし2009年は自民党と逆転)、2017年は立憲民主党である。【小選挙区+比例区=獲得議席】という順で記した。

 

自民党        第2党         第3党

1996年 169+70=239  96+60=156  17+35=52(第2党が新進党、第3党が民主党)

2000年 177+56=233  80+47=127  省略(公明党)

2003年 168+69=237  105+72=177  省略(公明党)

2005年 219+77=296  52+61=113  省略(公明党)

2009年  64+55=119  221+87=308  省略(公明党)

2012年 237+57=294  27+30=57   14+40=54(日本維新の会)

2014年 222+68=290  38+35=73   11+31=41(維新の党)

2017年 218+66=284  18+37=55   18+32=50(希望の党)

 

2005年までは第1、2党が、政党に投票する比例区では互角であり、2012年以降は第2党が自民党の半分強である。ところが小選挙区の結果は、ずっと極端になっている。2003年には逆転すらしている。小選挙区制の部分の定数の方が、比例区のそれより大きいこともあり、合計の獲得議席でも、第1、2党の議席差は、極端と言って良いほどに開いている(2003年については、比例票で自民党に勝った民主党が、選挙区では3分の2に届かないという矛盾がある。民主党より自民党を評価するが、比例では自民党を増長させないように自民党に入れなかったという人も、少なからずいたであろうが、それでも小選挙区があまりに自民党1強なのはおかしな状況である。また2000年の総選挙で保守党は比例票が非常に少ないにもかかわらず、22倍以上の比例票を取った社民党の2倍近い7名が小選挙区で当選している。自民党が選挙協力をしていること以上に、個々の議員の強さによるところが大きいのかも知れないが、やはりおかしくは感じる)。

半永久的な1党優位の中、1位しか当選しない小選挙区で、第2党が議席を得るのは本当に大変なことだ。何度も落選しながら地盤が少しずつできてきたところもある。一方の自民党は、多くの選挙区で議員達が根を下ろしている。いや、根を継承している。多少のブームでは野党の小選挙区の当選者は大きくは増え難いのだ。

2009年の結果を見ると、小選挙区制が選挙結果を極端にこそするものの、むしろ第2党にチャンスを与えるものであるようにも見える。実際、中選挙区制よりも政権交代は起こりやすいという面がある(『政権交代論』「疑似政権交代の背景にある自民党の多様性と中選挙区制」参照)。しかし2009年は、本当に色々なことが重なっている。以下の通りである。

 

・もともと自民党が、比例代表では第2党になってもおかしくないくらい支持を減らしていた。

 

・自民党の支持を回復させたように見える小泉内閣だが、自民党の利益誘導政治をある程度転換したため、組織票が減っていた。特に郵政問題で、自民党の支持層に亀裂が生じ、本来の支持者の支持を得られない状況となっていた。

 

・自民党を離れた「郵政票」が国民新党を通して民主党側に入ることとなった。

 

・創価学会と自民党の協力関係に否定的な宗教団体が、民主党側に移った(今ほど民主党系が弱くなかったので、そうすることができた)。

 

・小泉内閣期のマイナス面だけ解消しようとする虫のいいやり方が、小泉改革を支持する国民の、自民党離れを起こした(例えば、郵政民営化法案に反対した議員たちを復党させたことで、第1次安倍内閣の支持率は大きく下がった)。

 

・共産党が資金的な負担の大きい、【全選挙区に候補者を擁立する方針】を改めたことで、反自民票を民主党が独占できるような選挙区が多くできた。

 

・郵政解散(とその後の反対派の復党)によって、自民党の議席が過去最高レベルにあった。このような大勝に今ほど慣れていなかった国民の多くが、自民党が強くなり過ぎることを危険視した。

 

・民主党も、さかのぼれば自社さ連立、非自民連立、55年体制下の自民党議員として、ある程度の与党経験はあった(与党経験の全くない若手の議員も多かった)。しかし民主党自体は、与党経験のない勢力と見られ(結成時などにそのような演出もなされた)、その分不安も持たれたが、自民党や今の民主党系のように、過去の失敗を問題視されることもなかった。

 

・【都市部に多い無党派層を引き付ける民主党】に、【保守層、農村部の有権者を引き付ける事の出来る存在であった、小沢一郎の自由党】が合流した。そして野党であったため、それによって生じ得る矛盾に、国民の関心が集まらなかった。なお、今の民主党系がこのような「いいとこ取り」をするのは難しい状況だ。

 

これだけのことが重なって、やっと小選挙区でも民主党が議席を大きく増やしたのである。だから2009年の再来は期待し難く、「小選挙区は政権交代を起こしやすい」とはなかなか言いにくいのである。

話を戻すと、より国民に近いところで活動している地方議員が増えなければ、小選挙区の当選者を増やすのはとても難しい。だから地方議員も、本当は一人たりとも取りこぼしがあってはいけない。

民主党から民進党になった時に、「やっと衆議院で100議席に迫った」と言われたが、それでも第2党としてはかなり少ないし、維新の党から合流して来た議員を見ると、比例選出が非常に多かった。もちろん、弱っていた民主党も、比例選出の議員の割合が高かった。つまり、【橋下徹ら大阪派と一緒であった維新の党】と民主党が、2014年の総選挙で得た比例票を、次の総選挙で民進党が全て得るのでなければ、民進党の議席は減ってしまう可能性が高かった。しかし現実には、維新の党が得た比例票の多くは、おおさか維新の会→日本維新の会を結成した、大阪派に流れる可能性が高かった。民進党が多少「健闘」したくらいでは、比例票が合流前の民主党のそれと大して変わらないから、トータルの議席が減ってしまうという状況であった。100議席にも届いていない議席が、さらに減るということである。そこに小池・希望ブームが起こったのだから、民進党があわてたのも無理はない。希望の党に合流する以外に手はなかったと考えたことも、分かることは分かる。

もちろん党の支持が広がるような努力を最優先にすべきであり、たとえそれが実を結ばなくても、「小党になる覚悟で自分を貫く」のが本当だとは思う。ただしそうしていたらそうしていたで、立憲民主党も、そのブームも存在しなかったことになる。希望の党と民進党が非自民票を分け合い、自民党が万年与党のまま、希望の党が万年野党ということになっても良いのか、という問題にぶつかっていたはずだ(選挙協力をして、希望の党と民進党の連立を目指すとしても、共産党に非自民票を削られても勝てるのか、違いを乗り越えて政権を担えるのか、という深刻な問題が出てきていたはずだ)。