日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
自民党総裁選と、合流新党代表・党名選挙

自民党総裁選と、合流新党代表・党名選挙

2020年9月、自民党の新総裁に菅義偉が選出され、菅は官房長官から総理大臣になった。安倍前総裁の任期中の総裁選であるため、通常ならば【国会議員1人1票、党員・党友票は、合計で国会議員票の合計と同数を比例配分】というところ、【国会議員1人1票、都道府県連各3票(3票×47)】となった。自民党の国会議員は約400名なので、国会議員のウエイトが高い(通常の選挙は国会議員と党員・党友が同数だが、党員・党友の方が国会議員よりはるかに多いのだから、それでさえ1票の重みは天と地の差だ(国会議員の票が重いのは民主党系も同じだが)。地方議員が軽視されていることについて、地方議員が国会議員の手下であるような、中央集権の古い政治を体現しているようであり、改めるべきだという意見もある。

それより問題であったのは、菅、石破、岸田の3名が立候補したわけだが、石破派と岸田派以外の全派閥が、菅義偉を支持したことである。国民が知らないところで、国民に説明もなく、一気に流れが決まる様子は、そしてそれと一線を画す議員も出てこない状況は、派閥のボス等による密室政治と変わらない。菅でないと選挙に勝てないというのならまだ分かるが、そんなこともない。派閥の力が弱くなった、性質が変わったなどと言われるが、そうした面もあるのだとしても、自民党の派閥政治は、根本において変わっていないのである。いや、勝ち馬に乗ろうと大挙するするさまは、さらに劣化したように見える(中身がないのに人気だけはあるような政治家を担ぐのもどうかと思うが、党の支持率が大きく下がれば、それもやるだろう。そして今の自民党ならそれも、派閥のボス達によってなされるだろう)。

しかも日本は1党優位だ。自民党という一政党の派閥のボス達、いや、わずか2,3の有力派閥のボスの意向で、総理大臣が決まるという状況が、まだ続いているのだ(2021年の総裁選では変化も見られたが、別の問題も浮上した。改めて述べたい)。

ところが、それを責めるべき野党も、ひどい状況であった。立憲、そして小党のれいわとN国はワンマン、維新、公明、共産という独自の基盤、組織がある3党にも、まともな党首選など期待できない状態だ。立憲民主党が中心となった合流新党(新たな立憲民主党)も、その不参加者が結成した新たな国民民主党も、合流の結論を先延ばしにしてきたため、時間がなく、国会議員だけで党首を決めるしかなかった。合流新党(新たな立憲民主党)では代表選が行われたが、国民民主党にいたっては、改めて代表選をやるということではあっても、国会議員による協議で決めてしまった。橋下徹が言った通り、ここで党員やサポーターを巻き込んだ党首選(代表選)をやれば注目も集まり、差別化もできたのに、非常に残念であった。いや残念どころか、直後に【新内閣の支持率が下がる前の衆議院の解散・総選挙】が行われる可能性が高かったのだから(追記:実際には行われなかったが、まさかそれが分かっていたと言うのか?)、自民党のライバルとしては失格だと言っても過言ではない。難しいのは分かる。しかしその難しいことを成し遂げる実行力を、国民は求めているのだ。

民主党系の党名が、選挙の度に違うという状況が続いている。党首選を行うゴタゴタ、公約を練り上げる時はなくなっても、有意義な議論がなされ、自由で開かれた形で党首が決まれば、「民主党も変わった」と国民に思ってもらえたはずだ(公約はやりたいことが分かり、無責任でない程度で良いだろう。以前のものを土台にすれば、十分可能であったはずだ)。

旧みんなの党や維新の党の議員が少なからず参加していることも、その議論を通してもっとアピールできたはずだ。そうすれば支持を広げられたと思う。左右が否定し合うのではなく、補い合う建設的な議論は、相手が自民党ではないのだし、できたはずだ。そうすれば左の支持者の離反を食い止めつつ、右に支持を広げられたと思うのだ。社会民主主義と新自由主義のどちらか一つの路線を選び、極端な形で進めるのではなく、格差を是正する社会民主主義をベースに、新自由主義的なものをその手段として、使えるところは使うというイメージだ。その策を競えれば良いのだ。イギリスの「第三の道」を真似るということではない。可能性はもっとあるはずだ。

ちなみに、合流新党が党名も選挙で決めることにしたのは、面白いやり方だ(主張したのは、国民民主党の玉木代表)。結局【枝野代表・立憲民主党】に決まり、代わり映えはしないが、たとえ結果の分かり切ったセレモニーであるとしても、考える機会、多少の話題にはなったはずだ。

「かつて政権交代を実現させた民主党という党名が良い」、「野党がコロコロ党名を変えることを反省し、改めるためにも、もとの「民主党」が良い」という意見がある。筆者もそれには共感するところがあるが、野党に戻ってからの民主党には、自分を見つめ直し、生まれ変わるための歩みが求められている。「進」という字が入った政党は、優位政党と対等にはなれないという印象があるが(戦後の改進党は日本民主党になって政権を得たが、日本民主党に改称しているわけだし、実際には自由党を離党してきた人々が中心となった)、民進党という党名も、立憲民主党という党名も、民主党+αであるという点で、筆者は好きである。それに、自由民主党(自民党)や社会民主党(社民党)に含まれている「民主党」を何も付けずに使っていた党名は、実は最初から好きではなかった。さらに言えば、合流新党の名称が、もう一つの候補であった「民主党」になっていた場合、「もとの党名に落ち着いた」という評価だけでなく、「また変わった」という見方も、多くなされたはずだ。

「立憲」という言葉については、かつての左派政党なら「護憲民主党」という名前になるべきところ、プラスα(前進)で、「立憲民主党」になったと捉えている。「内容が右に寄るものでなければ、改憲にも賛成する。しかし今の憲法、改正された憲法も大事にする(そのためにも矛盾や問題点を改めることを否定しない)。立憲政治を守る。」という、当たり前の姿勢である。同時に憲法を尊重しない安倍内閣を批判し、それが狙う改憲には、抵抗するということである。

 

国民民主党の分党を愚策だと考える理由→

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