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再編はこれで最後に

新たな国民民主党にも参加した前原元民主党代表らが、維新の会に接近している。具体的には、維新の会の議員達と地方分権の勉強会を開いている。これは超党派の勉強会ということになっており、立憲民主党の議員も参加しているが、大阪都構想賛意を決議したことからも、これが維新と同じ立場の会であることは確かだ(新たな立憲民主党に参加した、元国民民主党の松原仁―元国民民主党―も賛成している。松原は9月14日に立憲参加、決議は10月8日)。

しかし維新の会のほうは、あくまでも勉強会というスタンスで、前原らとの連携強化については否定的だ。たちあがれ日本系とも、結いの党とも結局分かれ、他党との合流にはこりたのだろう。あるいは急速なものとはならなくても、独力で議席を増やしていけるという、自信を深めたのかも知れない。

しかしそこには、野党第1党が立ちはだかる。維新が一度野党第1党になり、それが国民に広く認識されれば状況は変わるが、だからこそ、つまり野党第1党というイメージが、政権批判票を集めるのに有利だからこそ、その地位から立憲民主党を下ろすことは難しいわけである。野党第1党というブランド力を持たない維新の会は、少しでもこけると大打撃を受ける(これまでの他の新党と違い、大阪での地位だけは、しばらく守れるとしても)。

ところで、政党同士がすぐに合流をしようとするのは、おかしなことなのか。議会政治の経験が豊富な国々を見ると、政党同士の合流も、政党の大分裂どころか、中規模の分裂すらも、ほとんど起こらない。その中でも、中小の政党は、制度等にもよるが、少しでも大きな政党になるために合流すること、大政党に合流することがある。めったにないことに変わりはないものの、いずれ数えてみたいと思うが、大政党よりは離合集散があるという印象だ。分裂については、新しい政党ほど不安定だという傾向は、少しあるように見える。主要政党はやはり、党名が変わることがほとんどない。

日本も五十五年体制においては、その点では安定していた。1955年に自民党と社会党という大政党ができて、1960年代に、社会党の右派がつくった民社党、ゼロからできた公明党という中規模の政党が生まれた。他には、戦前からあるにはあった、中規模の共産党があった。これらが、自民党が政権を独占する中、【社共】、【社公民】、【自公民】と、たまに組み合わせを変えながらも(いずれも、統一会派でも連立政権でもない、ゆるい連携)、1993年までは存続したのである(他には自民党から一時期新自由クラブという政党が分かれて存在し、また社会党から社民連が分かれてできたが、どちらも小党に過ぎなかった)。これらの政党は、その後も存続したり復活したりしているが、離合集散の激しい時代になった。自民党は基本的には最強の政党であり続け、共産党は他党と合流できるような政党ではなかったから、離合集散は必然的に、【第2党(野党第1党)の社会党と、民社党系、そして自民党の離党者や、変化の時代に入ってから初当選した保守系】によるものとなった(事実上、創価学会という宗教団体の政党である公明党は、一時期離合集散に加わっていたが、早期に復活して、自民党にひっついた)。

簡単に言えば、自民党に勝てず、与党になっても経験不足でうまくいかない社会党系が、新しい血を入れたり、分かれた仲間と再び一つになるようなリニューアルを繰り返しながら、自民党のライバルになろうと、もがいているのだと言える。

このこととも関係はあるのだが、ここで話を戻したい。野党第1党に短期間でなれないのなら、維新の会はまずは自民党か立憲民主党の陣営に明確に入って(そうなれば自民党を選ぶだろうが)、まずは「非自民」同士の共倒れを防ぎ、大政党の陣営の中で主張の実現を試みるべきだ。このままだと、維新の会と国民民主党が連携しようとしまいと、現状では【自公vs左派野党vs維新(維国)】という3陣営の対立となりかねない。繰り返すが、【1党優位制+1位しか当選しない小選挙区中心の選挙制度】では、これは非優位政党の共倒れに終わる。筆者はやはり次のように思う。今の維新の会が維新の党を飛び出さずに民主党と合流していたら(民進党の結成に参加していたら)、その良し悪しは見方によるとしても、大きな変化があっただろうと。大きな変化が起これば、一時的には不安定になっても、離合集散のループから抜け出せると思う。

「良し悪しは別」だとしたのには、いくつか異なる道が考えられるからでもある。かつての民主党の、【無駄を省いて格差の拡大も阻む中道左派】というイメージでうまく融合して、行動力のある強い政党になっていたかも知れない。あるいは左派が抜けるか弱って、【新自由主義か第三の道の比較的大きな政党】になっていたかも知れない。どちらにせよ、国防についてはもっとリアル志向になっていたはずだ。内部対立を回避できず離合集散を繰り返していたかも知れないが、それは実際にも起こったことである(希望の党の誕生による、民進党系等の離合集散)。

では今から、立憲民主党と維新の会に合流して欲しいかといえば、それは違う。なぜなら、維新の党が民主党に合流して民進党になった、その繰り返しとなるからだ。なぜ繰り返しがだめかと言えば、ゴタゴタするからだ。

民主党と維新の党の合流が実現した背景を整理すると、次の通りだ。

 

①当時は民主党と、日本維新の会→維新の党の議席数が接近していたが(特に日本維新の会の時代)、自民党があまりに強く、日本維新の会→維新の党はキャスティングボートを握るに至らず、影響力をあまり持てなかった(与野党激突の構図を弱め、安倍内閣とその政策を正当化し、実現を助けることしかできなかった)。

 

②安倍自民党内閣が右寄りであると見られ、左傾化した民主党との、55年体制に戻るかのような左右対決がクローズアップされ、日本維新の会→維新の党は、その中で存在感を示せなくなった。

 

③日本維新の会のブームがしぼみ(橋下の従軍慰安婦に関する発言の影響も大きかった)、同党はみんなの党を離党した議員達による結いの党と合流した(維新の党結成)が、第3極だけで再編をしても、選挙で議席を増やしたり、影響力を強める見込みがなかった(第3極の右派すら仲良くできず、チャンスを逃したという面もある―『政権交代論』「第3極の2極化」「第3極右派もまとまらず・・・」参照―)。

 

④日本維新の会→維新の党は第3極だけでなく、民主党の右派との合流を目指したが、民主党内では左派が強く(相手が安倍内閣であったこともあり、全体的に左傾化していき、細野や長島が取り残されたようなイメージ)、前進しなかった。

 

⑤総選挙で議席を大きく減らすと見られた維新の党は、根強い橋下人気だけではなく、民主党との一定の選挙協力もあって、現状維持を果たした。しかしそのことにより、民主党出身者、親民主党的な議員が増えた。

 

⑥以上の状況で、みんなの党も、維新の党も、自民党寄りと民主党寄りに分化した。

 

⑦みんなの党系(民主党への合流で一致できず解党)、維新の党でも、民主党だけでなく共産党とも組んで政権交代を目指す議員達が現れる。

 

以上だ。ここで状況を分析するつもりはないが、上のような条件、状況があり、民主党と維新の党の合流は実現したのだ。再編にはエネルギーがいる。「ちょっとやった方が良さそうだから」、「ちょっとやってみたいから」ということで、できるものではない。

①~③の状況は今もあまり変わっていないが、希望の党騒動と、それに起因する再編もあった後でまた、④~⑦のようなことを繰り返したりしたら、政治不信が決定的になるだけだ。そして民主党のせいで維新の党がおかしくなり、自分達が出ていくしかなくなったと考えているであろう今の日本維新の会は、民主党系、特にその左派や維新の党出身者との間に、憎しみのようなものがあるようだ。これを克服するような道を歩むのも、あまりに遠回りだ。維新の会が弱って、民主党系に一方的に吸収される、いわば民主党と維新の党の合流の補完のような形しか、筆者は望まないし、それも起こり難い。

変化の速い時代、離合集散が頻繁にあっても良いのかも知れないと、筆者は考えたこともあった。しかしやはりだめだと思う。今回の立憲民主党を中心とした合流で最後にすべきだと思う。

30年か40年くらいは経って、さらに時代が変われば、場合によっては再編が必要になるかも知れない。しかし今は最後にするという決心が、やはり大事だと思う。なぜか。それは離合集散が完璧に理念、政策によるものとは、ならないからである。その時の力関係、人間関係、感情も作用する。これは現実として受け入れなければいけないが、そのような不完全な離合集散には、政党の団結力や魅力を、減じさせる副作用も出てき得る。不参加者が出るというロスも起こる(「合流するなら取りこぼすな!」参照)。最低でも30年に一度くらいのことであれば、そのような弊害は、新たな課題、対立軸を前に小さくなり、その克服は比較的容易であるが、頻繁に起こっていては、ねじれにねじれ、ゆがみにゆがむばかりになる。

ねじれ、ゆがみと言うと、上で触れた民主党と維新の党の合流は違うのか、ということになるだろう。左派政党だと言える新たな立憲民主党にも、みんなの党や維新の党の出身者がいる。いや、いるどころか、経済政策を担当する代表代行は、みんなの党、維新の党の要人であった江田憲司だ。

筆者は実は、このことにはむしろ期待をしている。かつて民主党は、社会民主主義なのか新自由主義なのか、分からないようなところがあった。最初に結成された時は、社民党出身者が多数派で(結成当初の衆院52名中34、参院5名全員―その後の、民政党やッ新党友愛を吸収するまでの合流のほとんども、社民党出身者―)、ほぼ社民党とさきがけの出身者しかいなかったが、それでもさきがけは保守政党ではあった(菅直人は社会民主連合の出身で、自民党に属したこともなかったが)。それに当時は、癒着、利益誘導と批判された自民党型の「大きな政府」への反動の、改革の時代であった。だから社民系を土台にしながら、新自由主義・小さな政府の色もある民主党の性格には、分かりにくいところもあった。ヨーロッパの社民系のように、新たな党首が描いたビジョンがあった上で、それを宣言したり、与党として実行したりして、同じ政党(党名)で変化を遂げるのとも、似た部分もないわけではないが、やはり違った。

「改革の時代」というのは、優位政党自民党による、癒着・利益誘導の政治を改めるという競争が、自民党も含めてなされた時期のことである。それはブームと呼べるものであり、政治改革、行政改革、規制改革・・・、何であれ、とにかく改革を声高に訴えることが、支持される条件となっていた。格差が深刻になるのはそれよりも後のことで、しかしバブル崩壊後の低迷期には入っていたから、古いものをとにかく否定することを最優先として、日本の再起を図るという志向が強かった。

実際には、自民党が与党の地位をすぐに取り戻したことを最大の要因として、改革が不十分にしかなされないうちに、再起がどんどん難しくなって、今度は小泉自民党の新自由主義的改革による格差拡大が批判を招き、その路線も弱まったりしながら、結局は中途半端、というよりも、少しやっては放り投げられた状態で、今に至る。政治改革、行政改革は政党の党首の力を強くしたが(小選挙区中心の選挙制度や政党助成金の導入で、派閥に代わって公認、資金配分を仕切る党執行部が強くなり、続く行政改革によって、総理大臣の力が強まった)、しかしその党首、特に総理大臣によってなされることを、直接変えたわけではない。小泉内閣期の目玉であった郵政民営化については、小泉が排除した郵政民営化反対派の一部が結成した国民新党が、民主党と連立を組んで、小泉路線と逆行するような改革をしている。

その間民主党には、かつて新自由主義的改革派などとして自民党を離党した議員達、そして民社党系等が合流した。その合流して来た議員達も様々であったから、民主党の色はますますわかりにくくなった。後から合流してきた自由党は、新自由主義から社会民主主義に転換し始めていた(具体的には、新生党時代から対立していた社民党に肯定的になった)。その党首であった小沢一郎によって、民主党は左傾化し(外交、安全保障についても左傾化した)、新自由主義に傾いた自民党に対抗したわけだが、民主党政権ではそのいびつさが、与党経験の不足、小沢の陸山会事件による失脚がもたらした党内力学の変化と合わさって、バラ色の公約から、一気に、現状に安易に妥協するに至る、失態を招いた。

この1990年代後半から2000年代前半にかけての分かりにくい合流と、2016年の維新の党との合流とは、異なるというのが筆者の見方である。民主党よりも色がはっきりしている立憲民主党が事実上拡大した今回の合流について言えば、なおさらそうだと思うのである(今回は、合流したことで立憲民主党の色が薄まる可能性はあるが、現時点では旧立憲民主党の代表、幹事長が共に続投し、党をコントロールしている。変化が起こる場合、それがクーデター的なものにならない限りは、発展的に変化するという期待も、民主党系-新旧の立憲民主党-の色が明確になっているだけに、民主党→民進党の時よりも持てる)。

民主党の場合は、長老を排除し、議席が伸びていったことから若手が多く、自民党ならまだ中堅でもおかしくはない、同世代の要人達が、内側では意外と激しいトップ争いをしており、それでよく分からなくなった面もある。その結果、菅直人と鳩山由紀夫が交互に代表に就いているようにすら見える状況となった(民進党時代を含めれば、岡田克也と前原誠司も2回代表を務めている)。さらには新自由主義者であったはずの小沢らが合流してきて、その要人達と主導権争いをしつつ、それに勝った時には党を全面的に左傾化させるという、分かりにくさも加わったのである)。

今の日本では、生活にそれなりに余裕のある人も(まだ)多く、格差の拡大がそこまで深刻には感じられていなくても、しかし少なくとも認知はされている。そこに旧立憲民主党が、あいまいな中道ではなく、中道左派政党としての地位を確立し、さらにれいわによって、もっと左から、大胆な貧困、較差対策を求められている。

さかのぼれば民進党の結成も、共に左傾化した民主党と維新の党の合流であった。その時の左傾化とは、安全保障に関するものであったが(集団的自衛権を容認しないという点で)、だからこそ分かりやすくなったのだと言える。左右の別は経済に関するものであるべきだと筆者は考えるが、日本では残念ながら憲法や安全保障が中心であった。しかしその象徴的な分野において、左側で一致できたことは、左派陣営に新自由主義的政党が参加することを助け、さらにそのまとまりを、強く、明確にした。その点ではよかったと筆者は思う。憲法・安全保障については、社会党と同じような構造の政党になってしまわない限り(良し悪しは別として―というよりも、なぜだめになったかここで簡単には記せない―、議員でない活動家の影響力が制度上も強いことなどが挙げられるが、それは現代ではあり得ないだろう)、団結を強めた上で、議論すれば良いことだと思う。いや、自民党がぬえであることを考えれば、日本が変わるには実はそれしかないと思う。

民進党の分裂後も、旧維新、旧みんな系では、左派の立憲民主党に入るか、近い立場をとる議員が多かった。左派を排除するのとは正反対に、立憲民主党に近くなったか、同党への譲歩を余儀なくされる形で、新自由主義政党の出身者が加わったという面もかつてと違う。これは、強い者を守る規制をなくし(団体などのかたまりとしては強くても、そのメンバー個人は全く強者ではないという場合も多い。だから判断は慎重にしなければならない。強者が一気に弱者に転落することを防ぐ策、あるいはそうなった場合のケアも必要になる)、強い者をより強くするような規制緩和を止めるという方向になり得る。強い者をより強くしない方法で規制を緩和できればそれを左派政党がするのは良いし(既成のしかたを変えるというのでも良い)、強い者を育てるということも、国際競争では必要だから、それについては他の、新自由主義政党が主に担う)。

様々な改革と平等重視を両立させる。それこそかつての民主党が目指したもの、社会主義政党からの脱皮をしきれず、再編によって薄めるしかなかった左派政党が、その経緯を無駄にしない唯一の道、目指すべきものではないだろうか。

最後に、「再編はこれで最後に」としたが、社会民主党が、近く立憲民主党に合流するかどうかを決めるはずだ。その際には、国民民主党と同様に、分裂する可能性が高い。歴史が長いと言える政党だから、党の存続にこだわる議員・党員も多く、【現状ではどのみち存続できなくなる、あるいは左派の力を結集させるべきだ(民主党系が右傾化しないように、内部で影響力を持つべきだ)】と捉える議員達と、真っ二つに割れてしまうだろう。

筆者は今回の立憲民主党や国民民主党の合流を最後の合流と捉えているから、国民、社民両党の残部が新たな立憲民主党に合流するなら、それは映画のエンドロールの後の、おまけのシーンのようなものであると考える。そこに新たな物語はなくて良い。意味はその前の合流にすでにあり、ただ、それが完結したというだけであるべきだ。そうでなければ「いつまでやっているんだ?」ということになる。

国民、社民両党の残部が存続することは避けるべきだ(追記:国民民主党は必死に提案をしており、それは評価できるし、その限りにおいては日本の政治に良い影響を与え得るが、国民が選ぶことの方がずっと重要だ。小政党が自己満足のために残っていると、国民の選択肢が減らないようにも見えるかもしれない。しかし実際には、国民民主党と社民党は選択肢から脱落しているに等しい。「それでも国民の多くが支持するようになれば」と言っても、新たに多くの候補者を立てることは難しく、ましてやその当選は不可能に近い。  ただし国民民主党については、左派野党の陣営に留まる姿勢を見せておけば、一部の新人と落選中の候補を統一候補とすることが認められるだろう。しかしそれは公明党と同じように、現状維持かせいぜい+数議席というものになるはずだ。それなのに存続するのは多少なりとも、自民党1党優位、1強多弱、自民党一択の傾向を強化することになる。どうしてもと言うなら、立憲民主党に頼んで左派野党統一候補における、自党の候補者の比率を上げてもらうしかないが、立憲と別の党だと、将来離れる可能性も高いし、譲ってもらえるだけの信頼を築くのは時間がかかるし、難しいだろう。

そう、この離れてしまうかも知れないというのが問題なのだ。繰り返し述べているように、筆者は2ブロック制を支持する。しかしそこに前提がある。政党がブロック間を頻繁に移動することがあってはならないということだ。なお、小選挙区が中心の日本では、同じブロックを構成する政党間の選挙協力は必要不可欠である。しかし以下で述べる「ブロック」は、そこまで密接なつながりがない場合を、含むものとする。

多党制の国々を見れば分かるように、右派政党は他の右派政党と比較的近く、左派政党は他の左派政党と比較的近い。確かに中道の政党が、右派ブロックから左派ブロックに移る(あるいはその反対の)動きをみせることはあるが、そこには政策的背景がある。ところが日本の場合は、国民民主党はどう見ても労組系の左派政党であるのに、近親憎悪と優位政党の引力によって、立憲民主党よりも自民党(あるいは自民党と近い維新の会)に寄るという懸念が大きすぎるのである。国民民主党はもともと社会党の右派であると見ることができる。それは戦前から、社民系~社会系の左派と、付いたり離れたりを繰り返している。議会政治の経験が豊富な国を見れば、それは考えられない事である。社民系(~社会系)から右派が離党して、新党を結成した例はある。しかしその場合、その新党は、保守政党よりも後にして来た社民系と近く、だからと言って再統一などせず、左派ブロックにおいて必要な時は当たり前に協力し、互いに切磋琢磨するのである。それはドライな関係でもあり、あくまでも理念や主要政策が他よりも近いから同じブロックにいるのであって、主導権争いはあっても、近親憎悪などというものは起こり難い。完全に離れたとしても、「じゃあ保守政党と組むか」とはならない。最近左右の連携が増えてきているのは、対立軸が変化しつつあり、そのためにポピュリズム政党が台頭しているからである。日本はまだそんな段階にはない。

衆参両院とも、一人しか当選できない小選挙区が中心である。国民民主や社民党がどうしても、2大政党のいずれからも自立したものとして、党を存続させたいのなら、選挙制度を完全な比例代表制にするために、まずは命をかけるべきだ。それによっても、自民党の優位制は弱まるし、国民が選択肢を奪われている状態はある程度緩和されるから、党利党略だと批判されることも恐れずに、最優先事項として取り組むべきだ。筆者も比例代表制は悪くない考える(選挙制度については改めて考えたいが、とりあえずは『政権交代論』「疑似政権交代の背景にある自民党の多様性と中選挙区制」「比例代表でない選挙制度と1票の格差」参照。筆者は中選挙区―正確には大選挙区単記制―には否定的である)。

そうしないのなら、立憲民主党に後からでも合流するか、議席を増やすことすら、まずは考えず、とにかく立憲に協力するか、あるいはただ、【他党の選挙の邪魔は極力しないようにするが、どうしてもどの政党にも合流まではしたくない現職議員】のサークルのようなものにとどめるべきである。しかしそうなると、それこそ単なる「無所属議員の会派」になる。新たな国民民主党を、【自民党に続く、新たな無所属クラブ】にしてはいけない(自民党のことを無所属クラブと言うのは誇張し過ぎかもしれないが、理念や政策をあまり背景としない連合体という点では、それに近い面がある)。

なお、民主党を離党し、維新の党を経て民主党に戻ったという議員もいるが、彼らには筆者はやや懐疑的だ。しかしそれだけで否定はしない。それほど、菅・野田の民主党(政権)の方針転換は、納得できないものではあった。