ブログ

伊是名氏と連帯するという社民党

伊是名夏子氏のブログが物議を醸しています。先に述べておくと、私は伊是名氏のやり方は支持できません。むしろ反感を覚えました。という前提で話を進めたいのですが、このような話題はやはり気をつかいます。「しょうがいしゃ」の表記すら迷います。「がい」は「害」か「碍」か「がい」か。とりあえずひらがなにしておきます。

障がい者のつらさは、健常者にはなかなか分かるものではありません。と書こうとしたところで、また迷ってしまいます。「障がいがある=つらい」と書いて良いのか、それも差別ではないのか、ということです。私自身、人のことを「かわいそう」と簡単に決めつける人は好きではありません。

しかしこんなに気をつかっていては心のバリアフリーには程遠いので、考えたことをそのまま述べますが、やはり障がい者には、健常者には想像もつかないつらさがあるはずです。そして失礼かも知れませんが、伊是名氏はあのような、身勝手にも見えるような強気さで、コンプレックスや、他者との壁を乗る越えようとしてきたのだと想像します。誰かに助けてもらった場合、お礼を言うのは当然だし、障がい者のほとんどがそうしていると思います。しかし私は心が弱いので、自分が障がいを持って、一日に何度も何度も人に助けられるようになった時、マイナスな感情を抱いてしまうのではないかと言う気もします。それを克服するために、「助けるのは当然のことなのだから、礼を言う必要はない」と考えてしまうことが、ないとは言い切れません。お礼を言える人は強いか、優しいのだと思います(伊是名氏も礼を言うこと自体を否定しているわけではありませんが・・・。また今の自分だって、考えてみれば人に助けられてばかりです)。

だから私は、全く同意は出来なくても、伊是名氏を責める気にもなかなかなれません。誰かが声をあげないと変わらないということも確かにあるのだし、伊是名氏は社民党という公党の要職にあるのだから、「面白い問題」として、前向きに議論すれば良いと思います。お互いが遠慮なく話せれば、前進すると思うのです。

今回の事に関しては、「全国どこでも、障がい者がいちいち事前連絡などしなくてもすむようにすべきか?」ということが問題になると思います。そのようにすべきだとすると、例えば、バリアフリー化していない無人駅は存在し得ないことになります。であれば改善して、その費用を税や運賃によって皆で負担する(あるいは富裕層が特に多く負担する)か、駅自体を廃止するということになります。

この議論で気を付けなければいけないのは、多数派の健常者が、「障がい者の助けになる事はしたいが、負担が増えるのは困る」と、少数派を押し切る事です。可能であれば、皆で負担してなるべく完璧なバリアフリーを実現するのが最高です。しかしここで問題になるのは「弱者」とは誰かということです。

例えば伊是名氏は、障がいがあるという点では弱者であっても、他の面では強者なのではないのでしょうか。本を出版するなどしている社民党常任幹事と、一般の駅員とでは、どちらが強い立場にあるでしょうか。障がいがあっても高収入の人はいます。一方で、健常者の中にも、これ以上の負担にはとても耐えられないという人、駅がなくなったら生活が成り立たないという人が大勢います。

皆が互いに敬意をもって、相手の立場に立つことを心掛けて接し、問題があれば議論するしかないと考えます。当たり前の事ですが、それしかないと思うのです。

最後に、もっと私の関心事に引き寄せると、伊是名氏が社民党関係者であることでヒートアップしている「ネトウヨ」にもげんなりするのですが、伊是名氏を100%支持し、党内で議論することを封じているようにしか見えない社民党には、失望しました。社民党が、その理念の上で伊是名氏を支持するのだとしても、もともと労働者の党でもあるのだから、現場の駅員の対応よりももっと、経営者やそれを支持基盤とする政党を批判するべきです。

ただ、立憲民主党と合流する党員たちが離党したことで、ますます小さくなった社民党の残部は、もう政党構成要件を維持する見込みすら失っています。「伊是名氏をとにかく支持する」というタイプの人々を引き付けるほうが、双方の立場の人々の話を聞くよりも、党勢の維持には有利なのでしょう。それで良いとは思いませんが、社民党内で議論できなくても、せめて違う党と議論できれば、例えば左派陣営の中で立憲民主党や共産党と議論するだけでも、少しは意味があるとは思うのですが、今は残念なことにそれも難しそうです。

 

図:左右統一後の社会党系の変遷