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バリアフリー化の促進、社民党とれいわの違い

本日、伊是名氏の騒動について考えた動画をアップしました。

しかし本当に話すのが難しいテーマです。見返してみると、「みんな理解があるのだから、あんなやり方をする必要はない。」というニュアンスが、自分が思っていた以上にあって、改めて考えさせられました。

私は本来、綺麗事が嫌いな人間で、正直に言えば、「何でもバリアフリー化されるのが当たり前」という意見には、やや懐疑的でした。そこからスタートすると、自分も変わってきて、バリアフリー化も確実に進んでいるという感想を持ちます。しかし今なお、非常な不便を強いられている人、他人の「嫌な視線」などに耐えている人は少なくないのでしょう。それを考えると、安易に前向きなことを言ってはいけなかったと思えてきます。

しかし一方で、そんな自分こそ正しいと思う面もあります。私は政権交代の定着を目指しているわけですが、それ自体について反対されたことはほとんどありません。しかし民主党への政権交代、立憲民主党への政権交代、あるいは維新の会への政権交代と、話が具体的になると、今度は賛成してもらえたことがあまりありません。しかし現実には、いずれかの野党が政権を取って、ある程度経験を積まなければ政権交代の定着はない。世の中とはそんなものです。

「そんな話と障がい者の問題を一緒にするな。」と思う人もいるでしょうか。しかし政権交代が安定的にあり、うまく機能する事は、民主的な国であろうとするなら、本当は基本中の基本、土台であるはずです。それがないのは危険なこと、とても深刻な問題だと思うのです。

しかしどんなに深刻な問題で、実はみんなが大変だと思っていても、それだけですぐには解決しない。問題意識を持つ人が、そうでない人の共感を得ながら、実現へと少しずつ進んで行く。それしかないのが現実だと思うのです。環境問題などもそうです。

そこで思い浮かんだのが、れいわ新選組のやり方はどうであったのか、ということです。重い障がいを持つ候補者を当選させて、バリアフリーとほとんど無縁だった参議院の現実を変えた。その費用はもちろん国民が納めた税金から出ます。これは伊是名氏・社民党のやり方より強引ではないのか。

強引だが、うまいやり方だというのが、私の考えです。一つは、伊是名氏の例で言えば駅員のような、一般の、弱い立場にもある人々を批判する(批判しているように見られる)ことなく、バリアフリー化を進めることができたから、そして、バリアフリー化が思うほど進んでいないことを象徴する国会という場所で、それをアピールできたからです。そしてそれは、「正義」や「不満」の物語ではなく、痛快な「快進撃」でした。障がい以外の問題を抱えている人々をも、大いに励ましたのではないでしょうか。

こんな「技」はしょっちゅうは使えません。一般人だけでは、少なくとも短期間ではまず無理なことです。しかし、今もまだれいわ新選組よりも大きな政党だと言える社民党は、学ぶべきだと思います。