日本人はなぜ政権を選び取ることができないのか、考え、論じる
 
内閣・与党に足元を見られる国民

内閣・与党に足元を見られる国民

今年に入って何度か、立憲民主党が内閣不信任案を出そうとし、自民党が衆議院解散で受けて立つ姿勢を見せる、ということがありました。

自民党政権のコロナ対応を評価している人はあまりいませんが、内閣不信任案の提出については、「コロナで大変な時に選挙どころではないだろう」という批判が、立憲民主党にも向いています。これは当然です。日本はどこかの国のように、全国民が同じ考えである必要はない、自由な国だからです。「こんな内閣なら政権交代だ。選挙で民意を問え。」と言う人もいれば、「選挙や政権交代など、やっている場合ではない。」という人がいても、不思議ではありません。「自民党政権を終わらせたいけど、民主党系はいやだ」という人も当然いるでしょう。

ただ、忘れてはいけないのは、10月までには必ず総選挙があるということ、自民党が不信任案を否決できるだけの議席を持っているということ、そしてほとんどあり得ないことですが、不信任案が可決されたとしても、内閣総辞職を選ぶこともできるということです。

私は自民党内の疑似政権交代は望みませんし、実際には「疑似」とすら言えない、同じ派閥連合がトップを交換するだけのことだと思いますが、とりあえず総理大臣だけでも交代させて、しっかりとしたコロナ対応に努めるということはできるはずです。それなのに、不信任案を提出しようとする野党が批判をされる・・・。

さらにおかしいのは、野党が、内閣不信任案の提出を取りやめても、「おじけづいた」と批判されることです。いや、内閣・自民党に批判的で、政権交代を希望する人ががっかりするのは分かるのですが、批判のされ方を見ると、少なくともその一部には、そのような気持ちが表れていないように見えます。要は自民党側が批判させているか、自民党を支持する人が批判しているように見えるのです。野党は、強硬的になっても、協調的になっても批判され、自民党が安穏としていられるようになっている、ということです。

様々な考えがあるのは当然ですが、それでも内閣、与党に絶対に許してはいけないことがあると思います。それは、「国民は俺達だけじゃなくて、野党のことも公平に批判してくれるから楽だ。」とか、「国民なんかどうせ俺達に投票するしかないだろう。」などと、国民をなめる、足元を見ることです。それを許していれば、民主性、そして自由が奪われることになると思います。仮にそこまでいかなくても。内閣の質は下がる一方です。

例えてみたいと思います。町に2つスーパーがあって、ひとつは人気店、もう一つは以前何らかの失敗をして、客足が遠のいている。ところがその人気店も、最近衛生管理がなっていない。住民が不満を募らせていると、人気のない方の店が、「うちはちゃんとしていますから来てください。」とアピールする。すると住民が「お前も前失敗しただろ、お前のところなんか行けるか」と返す。するとどうなるでしょうか。

人気店は、「うちはこれでいいんだ。いやならうちで買わなくてもいいよ。」と開き直る。さらには、「うちか、あの人気のない店か、選んでみろよ? え?」と悪態をつく。今起こっているのは、実はこれに近いことだと思います。これでは人気のない店も、「どうせ客なんか来ない」とやる気がなくなり、質が下がります。新しい店ができるとしても、競争がないところで出店するのは楽です。楽だということは、手を抜けるということです。あるいは人気店に歯が立たなくて撤退するか・・・。受け身でいるばかりの、どの店も公平に批判はするが、人気店に通い続ける住民は、危険にさらされ続けます。

「あの人気店は信用できないが、他の店もだめだ」と、批判しているのは確かに楽です。「誰かいい店を出してくれ」と、待っているのも楽です。しかしそれでは生活は改善されません。危険が大きくなるばかりです。

このような場合は、仮にどちらの店にも問題はあっても、競わせるしかありません。2つの店を本当のライバルにするしか、向上を生む方法はありません。

今試されているのは、政党よりも、日本国民なのだと思います。

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