井出庸生議員の寝返り

さて、もう一つここで挙げたい事例がある。民進党の所属であった井出庸生議員の、自民党入りである。

井出は民主党の出身ではない。みんなの党→結いの党→維新の党→民進党と歩んできた議員だが。非常に興味深い事例なので、詳しく見たい。

みんなの党を離党した議員達が結いの党を結成したのは、日本の維新の会と合流すらためであった。こうして結成されたのが、「維新の党」である。その維新の党は、民主党と合流して民進党となった(手続き上は民主党に合流・民主党が民進党に改称。この動きに反対した、維新の元祖と言える大阪派は、離党したり除名されたりして、大阪維新の会を結成した。これが現在の日本維新の会である)。

民進党の結成は1強多弱の状況を改めるためであった。野党第1党の民主党と、野党第2党の維新の党が合流して、衆議院で100議席程度の勢力となることで、自民党に対抗しようとしたのだ。民進党は共産党、社民党、自由党と選挙協力をし、自民党には遠く及ばないものの、民主党系としては、苦境をある程度脱したと言える程度の議席を得た。ただし、この護憲派(少なくとも自民党の改憲案、安倍内閣期の改憲に反対)の4党で、憲法改正の発議阻止に必要な、3分の1を超える議席は得られなかった。

その後、状況は大きく変化した。舛添要一東京都知事が2016年、政治資金の公私混同疑惑で辞職し、急遽、都知事選が行われることになったのだ。

2012年の自民党総裁選において、安倍でなく石破を支持したためか、与党復帰後の自民党で活躍の場を得られていなかった小池百合子は、これを再起のチャンスと見て、公認を得られないまま衆議院議員を辞職、都知事選に出馬した。そして自民党の推す候補、左派野党(護憲4党)の候補に大勝し、東京都知事となった。勢いに乗る小池は、さらに地域政党として都民ファーストの会を結成し、自民党を離党した。

公明党が自民党から小池側に寝返ったこともあり、都民ファーストは2017年の都議選において、過半数にこそ及ばないものの(小選挙区制ではないので無理もない)、他党を大きく引き離す第1党となった(公明党と合わせて過半数)。自民党はといえば、公明党と同数にまで転落した。

都議会の民進党は、議員を小池側に引き抜かれて、都議選前にも議席を大きく減らし、さらに都議選でも後退した。同党では前年、岡田克也に代わって代表に選出された蓮舫の、父親の出身地である台湾との、2重国籍、そしてそれへの対応が問題となっていた。

都議選後、小池が総選挙を戦うために希望の党結成を発表する前後、民進党からは議員が次々に離党した。そして9月に党代表に選ばれていた前原誠司は、希望の党への合流を決めた。

しかし、小池はリベラル(この場合は左派)の議員を排除する姿勢を示し、結局、希望の党にいけない議員、行きたくない議員(解散後なので正確には前議員)・候補者が、枝野幸男の結成した立憲民主党に参加した(彼らは民進党を離党)。無所属で出馬した者達もいた。残る衆議院議員(前議員)・候補者は、希望の党から出馬した。参議院議員達はどちらにも属さず、無所属で出馬した衆議院議員(前議員)達と、民進党に残る形となった(ただし福山哲郎だけは離党して立憲民主党へ。総選挙後は様々な動きが起こった-『政党・会派に関する図など』の「政党、会派の離合集散」「民進党分裂から新たな立憲民主党結成までの民主党系議員の動き」参照ー)。井出はこの時、希望の党から出馬した。

ここで、小選挙区制が導入された1994年以降の、井出の選挙区(長野3区)を見てみよう。

前提として述べると、長野3区に自民党の議員はいなかった。羽田孜は1993年に自民党を離党し、新生党を結成していた。そしてさらに、公明新党、日本新党、民社党、他の自民党離党者の小党派と合流して、新進党を結成した。1993年の総選挙後は非自民連立の与党議員であり、総理大臣にまでなったが。次の1996年の総選挙の時には、新生党は下野した後であり、後継の新進党(野党)から、野党の立場で出馬した。

一方、井出正一(井出庸生の伯父)は、やはり1993年に自民党を離党して、新党さきがけの結成に参加。ここでは当初、羽田と共に非自民連立の与党であったが、社会党と同時期に連立を離脱、羽田内閣を倒し、社会、自民両党と連立政権をつくった。その後、社会党(日本社会党)は社民党(社会民主党)と改称し、その多くが、新党さきがけの多くと民主党を結成したが、大物議員は排除されたため、社民党もさきがけも存続した。井出はこの新党さきがけから出馬した。小党だが、当時はまだ与党であった。

さて見ていくが、共産党や諸派とされる候補は省略した。

1996年 1位 羽田孜(新進党)  2位 井出正一(さきがけ) 大差であった。

2000年 1位 羽田孜(民主党)  2位 岩崎忠夫(自民党) 大差であったが2位も比例復活

2003年 1位 羽田孜(民主党)  2位 岩崎忠夫(自民党) 同上

2005年 1位 羽田孜(民主党)  2位 岩崎忠夫(自民党) 小泉ブームで差は縮まったが、落選

2009年 1位 羽田孜(民主党)  2位 岩崎忠夫(自民党) 民主党ブームにもかかわらず差はさらに縮まったが、落選

2012年 1位 寺島義幸(民主党―羽田後継―)  2位 井出庸生(みんなの党)

3位 木内均(自民党) 3者僅差で、2位も3位も比例で復活当選

2014年 1位 井出庸生(維新の党) 2位 寺島義幸(民主党)

3位 木内均 僅差であると言えたが、比例復活は3位のみ

 

そして2017年、現職(前議員)の井出と、落選中の寺島は、共に民進党を経て、希望の党の所属となった。希望の党は井出を長野3区の候補とし、寺島を長野4区に移した。これは前回の選挙結果を尊重した判断だと言える(もし、どんな意図があったとしても)。現職優先の選挙区調整は、政党が合流、選挙協力する際には良くあることだ。問題はその先である。

井出は、前回の井出と寺島の票を合わせたものに比較的近い、大量の票を獲得し、自民党の木内を大差で破って、その比例復活も許さなかった。これはもちろん、井出の実力だけでできることではなかった。かつて自民党を離党し、政権交代可能な政治を目指した羽田孜の選挙区の有権者が、羽田の民主党の出身ではない井出に力を集中したからである(多少離れた支持者もいるだろうが、そうとしか見られない、大量の票を獲得している)。それは当然、羽田の後継者であった寺島が、他の選挙区に移った結果である

ところが井出は、希望の党が解党すると、民進党系が結成した国民党(民進党と合流して国民民主党を結成するための政党)にも、他が結成し直した希望の党にも参加しなかった。一時は野田元総理の会派に参加していたが、結局自民党に移ったのである。

なぜ、移ることが「可能になった」のかと言えば、ライバルの自民党候補を、比例復活もできないような、完全な落選に追い込んでいたからである。長野3区は、井出が今後もずっと勝ち続けるかのように見えたのである。

今は状況が変わってきている。有権者の気持ちを考えれば当然だという気もするが、自民党政権の支持低下、そして後述する羽田孜の息子、羽田雄一郎参院議員の、コロナによる死も影響していると想像する。ただそれでも、一度とは言え、民進党→立憲民主党は候補者を立てなかった。これは大きなことである。次は立てることが決まっており、前述のことで、その当選の可能性は低くないし、「羽田家」の地盤、人気も残っているのだろうが、世襲でない候補が、一から根を下ろさなければならないという面もある。ましてや相手は、弱いとはいえ「井出家」の、広い意味では世襲議員だ。

永遠に勝ち続けられる井出庸生だから、自民党は取りにいった。井出を獲得すれば、羽田系(民主党系)が強かった長野3区での、議席の獲得、そして維持が保証されるからだ。井出から離れる票もあるだろうが、その分、今度は、自公両党の票が井出に乗る。普通に考えれば無敵に近くなる(過去に民主党系の地盤であった選挙区なので、そこまでではないが)。

寝返り議員の支持者の中には、「~さんだから野党の所属でも応援したけど、ずっと、入れるのなら自民党に入って欲しかった。」という人もいるだろう。その背景には、万年与党の自民党の国会議員とつながっていないと、不利だという事情がある。しかし世論調査の結果、これまでの選挙結果を見ると、長野3区で井出に投じた人の多くは、そうでないように思われる(支持者に限定するとどうか、筆者には分からないが)。

それにしても、立候補しやすい野党から出馬して、強くなったら自民党へ。こういう例が増えたらどうなるのか。

野党は全国的に弱い。そこで強くなれた議員が与党に移る。野党が揺れた時には、それを口実に移る。完ぺきな政党などないのだから、口実はいくらでも作れる。これでは、不利な野党はいつまでたっても、議席が増えなくなる。

野党を支持してきた有権者の力に最も助けられながら、自民党の候補に勝ち続けられる強さを得た野党議員が、だからこそ、その選挙区を手にしたい自民党に入りやすくなり、実際に入る議員がいるというのは、本当に皮肉なことである。確かに井出庸生は民主党の出身ではなく、保守政党であったみんなの党の出身だから、民主党系の議員が寝返るほどには非難されないかもしれない。それでも筆者は、やはりひどい話だとは思う。そして実は、この井出の例は、別の意味でも残念なものである。

どういう事かと言うと、次の通りである。羽田孜は世襲を制限する民主党のルールに則り、参議院議員となっていた羽田雄一郎を、自身の後継としなかった。後継にしていた場合、伯父からの、間は空いているものの世襲だと言える井出も、今のように有利にはなっていなかったであろう。羽田孜の方が、井出正一よりはるかに強かったからである(なお、井出正一も羽田孜も2世であり、井出庸生、羽田雄一郎は3世)。世襲を控えた側が‘、世襲に負けたというのは、あまりに残念なことである。

結局、羽田雄一郎の後継には弟がなり、当選した。上で述べたことから、筆者は応援したいと思う。しかし非常に複雑な気持ちである。

最後に改めて述べたい。

自民党の候補に楽勝できるようになったら自民党に入れる。入りたい。選挙で野党が強い選挙区があるなら、その野党議員を自民党に寝返らせれば良い。このような状況は恐ろしい。野党も努力が必要だが、国民はこれを「成功例」にしてはいけないと思う。