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小選挙区中心である以上「自民vs立憲」になる

立憲民主党と国民民主党が合流した。「せっかく分かれてすっきりしたのに、合流して欲しくなかった」という声、「新たな立憲民主党と新たな国民民主党には、選挙協力をして欲しくない」という声を耳にする。民進党系の再統一が立憲優位の再編となったため、不満は国民民主党の支持者のほうにあるようだ。同党に維新と組んで欲しいという人も、少なくないだろう。

このような声に対して言われるのが、「小選挙区中心の選挙制度だから仕方がない」ということだ。小選挙区制では、各選挙区で1位となった候補者だけが当選する。衆院選(総選挙)はもちろん、参院選でも、この小選挙区が勝敗を決すると言われる。「小選挙区制だから仕方がない」というのは、1位しか当選しないのだから、中小の政党が候補者を擁立しても仕方がないということである。第1党と第2党の戦いが、(どうしても)中心となるため、他の政党はそのどちらかと組んで戦うべきだ、ということである。

例えば主要3党が、本当に対等な規模、力を持っているような場合なら、この限りではないだろう。しかしそうなりにくくするのも小選挙区制である。
また、総選挙とはそもそも、極端に言えば現政権を肯定するか、否定するかという選択に近い。であるから、比例代表制であったとしても、選択の軸となるのは、与党第1党と野党第1党だ。そしてこの2党は政策の近い政党と組むことが多いから、おのずと2つのブロックの対立、つまり2大政党制に似たものにはなりやすい(例外は、例えば国内の異なる民族、言語に配慮するような、多極共存型デモクラシーだ。スイスなどの例があるが、ここでは述べない)。

後述するが、日本は比例代表制との並立である。小選挙区と別に議席が決まる比例区があり、自民党ほど小選挙区に根を下ろせておらず、選挙区への利益誘導もできない第2党以下は、そこで議席を稼いでいる。小選挙区だけを見ると、民主党に政権交代した2009年を除けば、いつも自民党が非常に強い(「合流するなら取りこぼすな」参照)。第1、2党がぶつかるというより、第2党が、自民党との差をどれだけ縮めるのか、そしてごくごくごく稀に、「奇跡的な逆転を実現できるのか」という選挙になる。

また、選挙に強い野党の議員が、自民党に移る機会を「得られる」のも、小選挙区制だ(「野党から与党に移りたがる議員と、長野3区のケース」参照)。かつての、中選挙区制の時代にも、政党間の移動はあり得た。だが複数の候補が当選する中選挙区制だと、他党から議員が移ってきても、自民党が候補を下ろす必要がない(理屈の上では、全員の当選を狙うということで、定数いっぱいまで擁立できる。候補者を降ろさせるには、党の執行部が今と比べて弱い。そして全議席を自民党が独占する選挙区はほとんどない)。だから自民党の候補が増えて、競争率が上がることになる(落選中の元議員も再起を図るし、所属派閥が応援する)。同時に、意見を通す力のある主要派閥はどこも、非常に多くの選挙区に候補者を立てている。だから他党から議員を引っ張ってきても、自派の候補と競合する。これらが抑止力となって、政党間の異動が難しくなるということがある(一部の新人と同じく無所属として立候補し、それでも当選する力を示せば、選挙後に自民党入りが叶うことはある)。

以上のようなことがあるなら、小選挙区中心の選挙制度を変えるべきだという意見があって当然である。いや、筆者の関心事に寄せて述べたから、少し補足しなければならない。

小選挙区制について日本でもっとも問題とされるのは、議員の「小物化」である。自民党という強い政党(2009年だけは民主党が強かったが、何年も前から予想できたことではない)の公認さえもらえれば当選するので、議員がきたえられず、小物になるということだ。小選挙区制は、金権政治と結び付いていた派閥政治を弱めたが、それによって派閥の、議員を教育する機能も弱めた。

これは確かにそうなのだが、派閥政治の負の面を軽視し過ぎているし、本格的な候補者予備選挙が行われれば、候補者は本当は鍛えられるはずだ(このことからも、「候補者公募で決まった候補は、親の背中を見て育った世襲候補に劣る」という見方を筆者はしない。世襲については『政権交代論』「世襲」参照)。