菅総理と山尾議員の「辞め方」

自民党総裁選のさなか、遅れている「続・政権交代論」の仕上げをしています。頭が疲れる日々なので、やや感覚的なところで話をしたいと思います。とは言え、重要な事だとは思います。

それはタイトルにもある通り、菅総理と、国民民主党の山尾議員の、辞める理由です。タイトルに鍵括弧をつけたのは、どちらも総理、議員を続けないと表明しただけで、まだ辞めてはいないからです。

本題は実は山尾議員についてなのですが、まず菅総理についてです。総裁選に出馬しない理由は、「コロナ対策に専念するため」だそうですが、これをその通り受け取る人がいるでしょうか。理由は明らかに、総裁選で負ける危険が出てきた、その敗けを防ぐ策も封じられた事です。

皆が察しているのに、負けを認めない事、いいように言う事に意味があるのかと、疑問に思います(この話は菅総理、菅内閣の評価とは別です)。

これは野党も同じで、支持率が下がっても、「国会が閉じると報道が減るから下がるものだ」という理由を挙げて、強がる姿を見せます(強がっているようにしか見えません)。この理由は、けっして外れてはいないのですが、国民はそのような一つの原因ではなく、改善点を聞きたいのではないでしょうか。

野党が非常に不利であることも、改善策をとるのが簡単ではないことも分かっています。しかし、改善点が何も思い浮かばないという事はないでしょう。改善点がない、つまり自分達が100%正しいと思うのなら、「国民がバカだ」と言う方が、まだ正直で、ましな気もします。確かに野党第1党の場合、選挙で支持率以上の議席を取りますが、それは消去法で選ばれているに過ぎません。

これらのことを考えると、負けを認め、「まいった」と言える維新の会はすごいと思います(私は野党第1党の立憲民主党に力を集めるべきだと考えています。維新がいたずらに候補者を立てて非自民票を割ることについては、全く評価しません)。都議選の不調を認めた枝野立憲代表にも変化が見られ、良い事だと思います。

ここで本題なのですが、菅総理の不出馬の理由はまだ、分かるのです。勝つのが難しい総裁選に必死になって、コロナ対応などがおろそかになるという事があり得るからです(その点で河野ワクチン担当大臣の出馬についてはどうかと思います。総裁選院ついては近く感想を書くつもりです)。しかし山尾議員については、正直引いています。

山尾議員が次の総選挙に出馬しない理由は、その方が主張を実現できるというもので、山尾議員は、政治家一筋というキャリアが標準モデルとなっていることに違和感を持っているのだそうです。永田町のプレイヤーの交代が重要で、国会議員の在職期間を制限する必要、現職がいても候補者の予備選挙をする必要があるそうです。このことをこれまで提案したものの実現せず、であれば今後も議員としては実現できないということのようです。

一理あり、非常にかっこいい理由だとは思いますが、それはあくまでも、次の選挙で勝てるにもかかわらず、出馬しない場合に限ります。負けが見えている人、しかも、それが身から出た錆であると言える人が、こんな発言をすれば、普通は笑われる、軽蔑されると思います。

そもそも、建て前にもなっていないと私は思います。山尾氏は今議員なのだから、やはりその立場で、議員でない人の発信のプラスになること、議員の任期制、予備選の提案を、もっとやれば良いと思います(これまでそんなに熱心に主張していたでしょうか?)。野党、しかも小党の議員では簡単でないとしても、まずはその努力を見せるほうが説得力があると思います。共感も得られると思います。

「身から出た錆」としたのは、以前不倫が報じられた倉持氏を政策顧問にし、今も、本人は否定していると思いますが、交際が報じられている事です。山尾議員も、不倫相手と報じられた倉持氏も、すでにそれぞれ離婚しており、交際は自由です。いや、山尾氏の主張する「公私の別」ということでいえば、山尾氏は政治家としての実績で評価されるのであり、不倫は国民とは関係の無い事です。

しかしそれにしても、最近報じられた不倫のその後については、私はちらっと読んだだけであり、内容はここでは書きませんが、あまりに嫌な気持ちになるものでした(内容からして、でたらめ、誤報ではないと捉えています)。とは言え、私が知ったのは出来事の一面に過ぎないとも言えますし、知り合いの話でもなく、そもそも国民民主党に投票する考えもなかったので、この考えたくもない話を、忘れる事にしました。

そこに、山尾氏の次期総選挙不出馬の報と、何よりその理由・・・。山尾議員が言う公私の別を全否定するつもりはないのですが、それについても、議員パスを私用で利用した上に、「もう議員パスを使わない」という、謝罪こそしたものの、普通に考えれば「逆ギレ」としか言えない対応に、不快感を覚えました。「公私の別」が、追及を防ぐためのものでしかないと、少し疑いました。

「少し」としたのは、それ以上に山尾議員が、自分に酔っているのではないかと思うからです。山尾氏はプライベートに関する質問は受けないという姿勢ですし、追及を煩わしいとは思っても、恐れるような性格には見えません。

以上から、どうしようもなく山尾議員が嫌になってしまいました。今まで他にも、言動や、世襲である事で、否定的に見ていた議員はいました。しかし、ここまでの気持ちになったことは、一度もありませんでした。

そんなことをわざわざ書く必要もないのかも知れませんが、政治家についてこのような気持ちになったのが初めてなので、はき出そうと思いました。

もちろん、それだけではありません。政治家を主張や能力だけで選ぶか、人間性も考慮に入れるか。あまりに激しい事例に触れ、改めて考えてみたいと思ったからです。人間性を考慮に入れる場合、私達にそもそも、本当にその候補者の人間性が分かるのか。そのための判断材料は、メディアから、あるいは本人から、提示されるべきなのか。自民党の総裁選を見ても、考えさせられる事です。

現段階で私が思うのは、人の気持ちにあまりに無頓着な人が政治家になるのは、良いとは言えないということです。特に総理大臣になれば危険です。その総理を選ぶものだと言える、自民党の総裁選で言えば、河野候補がかつて、印鑑の関係者の神経を逆なでするような投稿をSNSでしたことについて、私はかなり批判的です。改革、合理化を進める立場であればこそ、それによって不利益を受ける人の事にも考えを巡らせて欲しいものです(だから評価するというわけではありませんが、明るい小泉総理も、このことについては悲壮感を演出していました)。

最後にもう一つ。民進党時代から山尾議員を、「ガソリーヌ」などと批判する右寄りの人たちがいました(この疑惑の詳細は省略します)。その中には、山尾議員が立憲民主党を離党して国民民主党に入ると、「山尾議員は変わった」とほめている人が少なからずいます。その背景には、山尾議員が対決型の野党に批判的になり、改憲等について積極的な姿勢を見せていることがあります。改憲に関する(旧)立憲民主党の消極姿勢、自由な発言を抑える姿勢に、批判があるのは当然です。しかし右寄りの人達も結局、自分達の側なら、自分たちの側になれば、批判はしないということです。あえてこのような言い方をしますが、それは「何でも反対の野党」と、何も変わりません。